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2007/10


[プレゼント]

10月31日
きょうは母の誕生日。花束をプレゼント。
ホームのスタッフの人たちが小さなバースディケーキに蝋燭を
灯して部屋へ持ってきてくださる。母が蝋燭の焔を吹き消すと
みんなでおめでとうと言って拍手をして、記念の写真を撮って
くださった。ちょっとした心使いかもしれない。でも母も私も
祝っていただいて嬉しいひとときでした。スタッフの人達はい
つも忙しく、6人も集まってちょっとした時間を作るのも大変
なのがわかる。ほんのひとときですぐに呼び出されてゆくスタ
ッフの人たち。いつもありがとうございます。




[KODAKと歩く/コスモス]

10月20日
 きょうから「詩のテラス」の4巡目の担当になりました。
秋らしくさわやかな天気なので駒沢公園へ散歩にでかけました。

 ・お知らせ
「モーアシビ」11号が出来上がりました。
ご興味のおありの方、どうぞお気軽ご連絡ください。
こちらから郵送させていただきます。
1冊500円です。  




[東京の空/鈴木志郎康さんの新作の詩]

10月19日
ひさしぶりに鈴木志郎康さんの新作の詩を読みました。
「記憶の書き出し 焼け跡っ子」。長田典子さん個人誌『KO.KO.DAYS』の
ゲストで書かれた作品です。

焦土の体験が11歳の少年の体から再現されるているようにリアルに
伝わってきました。焼け跡での一こま一こまが、くっきりと迫ってきます。
決して消すことのできない強烈な記憶が、少年の身体感覚を貫いて、いまも
生きているのだ、と、初めて詩の言葉になった11歳の焼け跡の日々を読み
ながら、長い間、言葉として現されることのなかった志郎康さん少年時代に
打たれました。「記憶を反芻するのは嫌だね、」と思いながらの呼吸のリズム
のリフレイン。そこをすり抜けるように現れる、「ガラス拾い」や「湖」や
「トロッコ」。これがみな楽しかった遊びなのでした。焼け跡というと苦労
話に結びつくような話しを聴かされていたから、まっすぐにこどもの輝きや、
焦土であっても遊ぶことの楽しさがあったことを読めて、気持が広がる思い
がしました。
ガラスを拾って売り、そのお金で甘い寒天のお菓子を食べるところの楽しさ。
水道の鉛管を古金屋に売ったら、高額の金を得られて、映画館に行った楽しさ。
詩のなかには、「浪費の快楽があった」「自分を忘れる楽しみを覚える」
と書かれていて、自分の出発点をぱっとタッチして帰ってくる時間のダイビング
のような詩の姿を感じ、記憶を書き出されていてもぜんぜん重い感じがしない
意味がわかりました。煤煙を出す工場もない焼け跡の真っ青の空は、想像すると
ほんとうに澄み渡った空気なのだろなと、時間の遠くへ思いがゆきます。
良い詩を読ませていただきました。



10月19日

 『詩学』が廃刊になるということです。
詩学、が終わってしまっていいのでしょうか。
詩学や欲しい詩集を買って、協力できる方はお願いします。
私もバックナンバーを購入しました。
在庫 はこちらで確認できます。
寺西さんは、すぐに手配して送ってくれました。


[映画『ミルコのひかり』]

10月18日
これは視力を失った10歳の少年ミルコの物語。
目が光を失ったら、聞こえてくる音がみえだすのだとつよく胸打たれる。
「雨が降り出してから晴れるまで」の音をミルコは聞き取る。
木々のざわめき、雨の激しい連打、雨上がりのぽつぽつとまばらに落ちる
水滴。雨があがって晴れ間に聞こえはじめる小鳥のさえずり。
ありありと映像が浮かぶ音を、ミルコは盲人の寄宿学校のテープレコーダーを、
こっそり持ち出し、拾いあげる。
細い紙のテープの擦れる音は、木々のざわめきへ。
濡れた指で掌を打つ音は、雨上がりに雫が草の葉を打つ音へ。
そしてシャワーが床を打つ音は激しい雨音へ。
ミルコが集め、テープに録音し見えない指でテープをハサミでカットし、
それをセロテープで繋ぎ録音を編集するとほんとうに生き生きとした音の光景がうまれる。
織物などの職人になるべく、訓練のために押し込められた生活をさせられている目のみえない
子供達の中にあるあふれる想像力と独自の発想。その生命感のつよさと純粋さに圧倒される。
この映画では盲学校の型にはまった指導で窒息しそうなミルコが、
自分の大切なものを生かす道を切り開く第一歩を踏み出せたまでのキセキのような過程が
展開される。劇中劇で演じられるミルコ達が作る音の童話劇は、ほんとうに素晴らしい。

大切なものを持ちつづけたい、と思わずにいられなくなる。
ミルコは実在の人で、現在イタリア映画の第一線で活躍するサウンド・デザイナー
になっている。


[KODAKと歩く/きょうの空]






[KODAKと歩く/出縄由貴・詩「焦がれる」]


10月13日
 いきいきと空を見上げる猫。みれば目に光がある。そう目にはだれにでも
光がある。自分ではみえないけれど。ブロック塀にピッタリ添って置かれた
鉢植えのコスモスも虫に喰われながらも、はっきりと空からの光をキャッチ
する姿勢。

 きょうは皮膚科にゆきました。足の中指の裏に小さな突起があって、魚の目
に成長するのではないかと怖くて見てもらったのです。疣でした。疣はウィルス
によるものだということで液体窒素を付けて焼きました。液体窒素焼きも痛い
ものです。


それでは、きょうは出縄さんの詩を一つ紹介します。
この詩はいつもの出縄さんの詩とは少し別の詩です。
じっさいに見たものから、みえないものにまで入りこんで書く
集中力と迫力はみての通りです。ラストに、積み上げた負のもの
が一つのイメージによって反転して、ぐっときます。


詩学 2006年12月号 投稿編より 

焦がれる  
        出縄由貴

潰れた中華料理店
公園の隅にあるちぎれたブランコ
三年前の火事の残骸
原色で描かれた動物の看板
覚えやすい小児科の電話番号
真新しい選挙のポスター
折れ曲がった道路標識
神社の大木の下に置かれた花束
倒れた可燃物のゴミ箱
溢れたペットボトル
一定のリズムで轢かれ続ける猫の死体
ドブ川に浮くビート板
白い部分が汚れた横断歩道
鳴らない踏切
釘が刺された電柱
刑務所の前で停まるタクシー
公衆便所に貼り付けられた家族写真
地下鉄の階段に交互に吐かれた唾液
魚屋にいつまでも並ぶ眼の大きな干物
蜘蛛の巣から落ちた干乾びた蝶々
コンドームの自動販売機
乳母車の中の赤ん坊が抱く
左目のない人形
救急車の運転手と目が合う
金融機関の戸を開ける老婆
信号を待ちながらガムを吐く
片腕のない少年
床を見つめて立ち読みする中学生
チョコレートを握ったまま出て行く看護婦
電話ボックスの中で正座する外国人
五つの靴と四つのぬいぐるみを
バス停のベンチに並べる幼女
カゴの潰れた自転車を引きずる骨のような男
マンションの一室を凝視する母親
教会で弁当を広げる非処女
五つのランドセルを背負う小学生
ファミリーレストランで心中の予定を立てる
年老いたカップル
盲目の息子の誕生日を忘れた妻を
殴り続ける弁護士
ホチキスをねだる園児
裁判所で散歩する同じ顔をした夫婦
駅前でハバ抜きを始める双生児
今日の恋愛運を嘆く失業者
姪の忘れ物を届ける途中
バスに轢かれた未亡人
歯医者の待合室で自慰を行う女子高生
レトルトカレーを箱で買う二児の父親
死亡率が最も高い五年二組
毛のない犬の笑い声
飼い猫の餌にピルを混ぜる
マッチ売りの症状
ティッシュ配りの少女
受け取ったティッシュでさっそく鼻をかむ
中年の売春婦
夜に溶けだす歳の離れた妹の喪服
豚の群の中央で直立する隣人の髪の輝き
未熟児の口に舌を入れる
ウサギを泣かし取り出した眼球と
血の色を比べる
蝶々を理由に肉親を捨てる
キャベツ畑で蜜を欲張り腹を壊した
空を剥がして神を覗いた
太陽に見つかり西へ逃げる
お腹で飼っていた宇宙が暴れる
指と指の間に指を入れ
ひとつにならない
罪人と罪人が互いを犯し合う
罪人と罪人と罪人が家をたてる
あたたかいスープを盗み
声を殺して泣く
子宮の中で溺れることをゆるされるなら
瞳をあけて沈む
確かな命が泡となり
消える
パンとはじけて
いくつもの天使がうまれる





[KODAKをまた]

10月12日
 ひさしぶり、何年ぶりだろう。コダックのデジタルカメラを使った。
電池4本入れるからとても重い。それに稼働にこんなに時間がかかった
かしら、とおどろくほど時間がかる。でもこの色は、やはりコダック。
これから空を撮って、コダック・ブルーを堪能したい。

 きょうは飯沢耕太郎さんのコラージュ展『骨とアングル』を見に、茅場町へでかけた。
霊岸橋のそばのレクトヴァーソギャラリーのあるは古いビルでとても雰囲気がある。
 森岡書店という世界の古本を売っている店も入っていて興味深かった。恩知孝四郎の
詩画集もみられた。それから永代橋まで歩いて、ギャラリーマキへ。このギャラリーから
は川が見える。素敵な抜け方をした部屋はいつも楽しい。そしていつもここで写真展を
していた佐藤淳一さんの展示が白い壁に思い浮かんだ。


 ところで朗読会に来てくれた出縄由貴さんは、詩学へ投稿してくれていたときは
地方在住の高校生だった。だから新宿眼科画廊に出縄さんがいるのがとても不思議で
嬉しい出来事だった。そしていまも十代!  出縄さんの詩をそのうち紹介したいと思い
ます。



[きょう出会った花]
 
10月11日
 千歳船橋の住宅街で今日であった花はアスターともう一つは名前がわからない。
こうした花をとっている間も、どこからか濃い金木犀の香りが漂って、秋だな、と思う。

 朗読会の感想をいろいろ頂いて、私も考えてみた。詩の言葉を詩人が朗読すると
いうのは、特別の魅力というか良さがあるのではないかという思いがする。
 詩人は言葉を書いたあと生きているから変化してしまう。でも詩の言葉はそのまま。
だから、詩人が朗読するときは、書いたとき、つまり発語したときから離れているとい
ことがある。読むこと自体が、一回ごとに新たな出会いなのだ。読む毎に詩人が新鮮
に開かれて、詩が改めて立ち上がる、創作ライブのようなところがベストに思える。
いつも同じく朗読できてしまっては芸になるのでは。それはそれで面白いということ
はあるけれど、詩の朗読会で詩人が読むときは芸じゃなくて、いい。ないほうが惹かれ
ると私には思える。




[「もーあしび」朗読会の模様]

 
 
 

10月9日
 『秋の隠れ家 白い箱』は盛況でした。
ご来場下さった皆様、ありがとうございました。
楽しんでいただけたなら幸せです。

総合誌『もーあしび』で詩を読み合ってきたことから、この詩はいいから
読みたい、というように、朗読会を希望する気運がおこり、会場さがし
からはじめて、どんなテーマにするか、どのような空間にするかという
ことを共に考えながら朗読会を作れたことが、とても良い体験になりました。
新宿眼科画廊へ足を運び、ホワイトキューブの空間を目にしたときから
イメージが予感のようにうまれました。

 五十嵐倫子さんとデイドロ・ドロシーさんの二人で読んだ詩には、
ぐっときました。仕事すること、止めること、ほんとうにしたいこと、
を心に問いながら生きるている、その感情が共鳴しあうような、二人
の朗読。これを引き出せたことだけでも、この朗読会を持ててよかった
と思いました。
 それぞれみな、ひとつも重ならない味のある朗読だったと思います。
詳しくは次の次12号「もーあしび」の誌上でお伝えします。
(すみません。疲れてまだぼーとしていて詳しく書けませんでした。
ええと、子供たちにスライドショーが受けたのが私は密かに嬉しかったです)

 感想を書いてくださったブログをご紹介します。

詩のテラス 薦田愛さん 万歩計を忘れる 10月9日
光冨郁也さんの「狼」編集室
ふらんす堂 編集日記10月8日

出演者ですが五十嵐倫子さんのブログ





[どんなときも]

10月7日
どんなときも、だれの上にも太陽は輝いている。
曇っていても、雨雲から雨が降りしきっていても、
雲の上には、きょうの太陽が輝いている。
みえないと忘れてしまうけれど、忘れているだけ。
忘れているから、厚く覆っていた雲の切れ間に、
青空がみえたとき、はっとする。
だから忘れっぽいこともいいのかもしれない。




[秋の空き地]

9月4日
 すでに崩れそうになっている柵に針金がたわんでいる。
それをいい足場にして草が生い茂る。林のあるところだったら
こんな入り口を通ってゆくと、秋の隠れ家へ辿りつくのかも知れ
ない。

 きょうはチケットを作りました。カラーで写真を入れ、小さなカードのように
しようとフォトショップで作りました。そこまでは良かったのですが、A4の紙を
カットするときに、幅がそろわなくて、しかも切り口がきれいじゃなくて、いかに
も手作りカードになってしまった。『秋の隠れ家』の受付でお渡しします。
それから、予約の方は(ありがとうございます)受付のときに名前を言ってくださいね。
解るようにしておきます。

楽しい隠れ家にしたいと思います。
 


[明るい雫]

9月3日
 ふるふると光をためている雫が、雨上がりの葉の上で明るい。
光がつよいとそれだけ影も濃く落ちる、という比喩がこわい。
だから光と影の淡いの曇り空の下で、表面張力で耐えて輝く雫
をみると、さっきのような二項対立のような考えではだめで
コントラストの快調が限りないように、その限りない快調の
なかに可能性があるのだと考え直せる。


毎日新聞、夕刊に「もーあしび」朗読会の案内が掲載されました。
来てくださる方がいることを期待しつつ、来週に迫った『秋の隠れ家』
へ向けて、コンディションを整えてゆきたいと思います。



[明るい瞳]

10月2日

 家事の合間にいろいろな用事が押し寄せてくる、それぞれ大切なので気が抜けない。
母の介護保険申請審査があり、群馬県から依託されたケアマネージャーや
やホームの人とともに母の審査に付き添う。期限が切れたのに母の新しい保険証
がないと、ホームの人に確認を求められ、群馬県から届かないのだろうと前橋市へ
問い合わせて、郵便局へゆき、転送願いを提出し、役所へ電話して何日以降と条件を知らせて
保険証の再発行を依頼。火災保険の契約更新の書類と送金がぎりぎりになっていて、しかも
今年の支払い金額がいつもの年と違うから確認するように、と言われる。担当者へ電話。
お休みなので別の人からの返電を待ち、確認してから急いで銀行へ走る。でも
窓口支払いは本人確認が必要なため出来ない、キャッシュカードのある他行へ行って
送金。母の秋の下着が足りなくなってきたので、老人用の下着を売っている店へ。
(母の足がまた痛みだしてしまった。整形外科へ付き添い神経ブロックの注射を受けました。
そしてまだ治りきらない魚の目の切開手術もしたのでした。麻酔なしの痛い痛い切開。
今回も私も参ってしまいました。ぐったりして帰って来たときのことです。家では家で
老義母が体調不良をうったえはじめます。愁訴を聴きづけることしかできないのですが、
疲れる。とても疲れます。)

あいまを縫ってイメージフォーラムの『明るい瞳』を見ました。
映画館へ入るとほっとします。映画がはじまる前のなんでもない時間にすこしだけ日常から抜けて
私にもどれるようなひとときが好きです。
森のきこりオスカーと出会って、苦悩から開放されるファニーにとても感情移入できました。
よい映画でした。


★10月8日 
もーあしび」で朗読会を開きます。ぜひお出かけ下さい。

私の写真のスライドショーも行います。
また、ヒミツの趣向もありますのでお楽しみに。

なお会場は新宿眼科画廊といいますが、目の診察はしません。
あしからず。