今月へ

2007年月3分

[昆虫に似ている]

3月26日
 木陰に止めてあるバイクには枝模様が落ちていた。
金属のつるっとした表面が影に濡れると、まるでバイクが
昆虫のように見えてきた。道路を突っ走るものから、
影のせいで文脈が変わってしまったのだと思う。
そうでなければ、メカに疎い私の目に飛び込んでこな
かったはずなのです。




[それは道しるべですか? ]

3月22日

茂木健一郎さんのブログで、あなたの「レディ・メイド」はなんですか、
というお題が出ている。

私の今のレディ・メイドはこの写真のシイの実、かもしれない。
このひとコマから、詩がうまれた。だからこの写真のシイの実が
今の私・言葉を引きだした私のレディ・メイド。きっと。
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詩   それは道しるべですか?  完結編   北爪満喜


それは道しるべですか?


ところどころに落ちていて
通り過ぎるときにふと気が付くので 
シイの実は
歩くとき
しるべというより
しらべです。
靴のときめく しらべです。


調べならば音がしますか?


はい。耳を澄ませば
いまもカチッ。
耳の奥の遠い秋の 歩いている私の足元で
シイの実が落ちて音をたてます。
梢から降って地面へ落ちて
カチッ。パララ。カチッ。カチッ。パララ。
小さな運動靴の隣りで 黒い通学靴のとなりで
神社の境内の近道で 体育館の裏の小道で
幾つも固い音がなります。

歯を食いしばって向かい風に
自転車を漕いだスニーカーの
遅刻しないように小走りに地下鉄の階段を駆け上り
舗道を走ったパンプスに
シイの実 みている暇はなくても
うつむいて帰る帰りには
シイの実が目の端掴んで引いた

地面に落ちて カチッ。パララ。


遠くからも音がして
何か つなげようとしてるのでしょうか?


知らせているのかもしれません。
この時も、その時も、あの時も、
ちゃんと実ってましたと。何かが。

(それを拾ってこなかった
 
(とてもバカなことをした
    
悔しい小石が飛んできて
辺りに穴を開けてゆく

きょう歩いていた夕陽の舗道で
シイの実の影が 地面に穴を 開けているように見えてしまった


夜になってお風呂に入ると
湯気のこもる水面へ
パシャ。
シイの実が降ってきて
降ってきた水の音がして
音に合わせて 
お湯のなかへ顔から潜ってしまっていた


追ってゆきたかったのですね?


湯舟がどんどん歪んで溶けて
わたしも崩れて溶けてしまって
眼差しだけが通り抜けてると
今日歩いていた夕陽の舗道に
シイの実が落ちた瞬間でした


それで何かわかったのですか?


シイの実がまばゆく陽を受けていて
シイの実があると気付いたわけです。
気付いたことを、みつけたのです。

ぎゅっとそれを掌に にぎりしめる
いま ぎゅっと
何もなくても掌の中に暖かい力が握られる





[春の分け目]

3月21日
 ほんとうにもう春。たくさんの花が咲きはじめている。
もうすぐ元木みゆきさんの写真展『息の結び目』がはじまる。とても楽しみ。

このところ花粉かな? アレルギーや何かで微熱が続いていて、調子が良くない。
病院で漢方薬や薬を処方してもらったので、これで元気になりたいものです。
送っていただいた同人誌をしっかり読みたいものです。




[それは道しるべですか?]

3月18日

それは道しるべですか?

ところどころに落ちていて

通り過ぎるときにふと気が付くので 
シイの実は
歩くとき
しるべというより
しらべです。
靴のときめく しらべです。

調べならば音がしますか?

はい。耳を澄ませば
いまもカチッ。
耳の奥の遠い秋の 歩いている私の足元で
シイの実が落ちて音をたてます。
梢から降って地面へ落ちて
カチッ。パララ。カチッ。カチッ。パララ。
小さな運動靴の隣りで、黒い通学靴のとなりで、
神社の境内の近道で、体育館の裏の小道で
幾つも固い音がなります。

歯を食いしばって向かい風に
自転車を漕いだスニーカーの
遅刻しないように小走りに地下鉄の階段を上り
舗道を走ったパンプスに
シイの実 みている暇はなくても
うつむいて帰る帰りには
シイの実が目の端掴んで引いた

地面に落ちて カチッ。パララ。
  
            (つづく)

[下弦の月]

3月14日
ふとみあげる空。この、ふとっていうのは何かな。
ふと、っていうスタンスがないと、日々は息苦しくなるかも知れない。
あの日の、昼の白い月は下弦の月だった。

下弦の月 という映画があった。下記は前に雑誌に書いたレビューです。

 「19年に一度同じ月が現れるとき、天国の恋人が生まれ変わって、恋人と再会する。
月から魂がやってくるのだ。運命の交差点で絡みあうのは、
美月と知巳、
さやかとアダム、
蛍と正輝。
彼等の謎にぐいぐい引き込まれる。
美月の耳に子供の頃から夢で知っているメロディーが聞こえてくる。
その音を追ってゆくと洋館に辿りつきアダムと出会う。

月から恋人に会うために来たアダム役をラルクアンシェルのHYDEが演じ、
奏でるギターの美しい音と、洋館の怪しさとともに雰囲気を盛り上げ深みをだしている。
交通事故にあい洋館に一人霊として閉じこめられた記憶喪失の美月を蛍達が救おうとする
切なく美しい物語。」




[雲とであう]

3月8日

これは、茂木健一郎さんのトークのなかの言葉。
クオリア日記に載っていた音声ファイルで聞いたもの。
忘れないようにメモしておこう。

たとえば美術館などで作品を見るときなどのこと。
美しいものを長く見る。真剣に向き合う。
「なぜ私は、これを美しいと思うようになったのだろう」と自己分析してみる。
(そこには全人生のものがある。切実さがある。)

美・プライベートなもの。(自分を信じる)
美・文脈によって変わる。

自分と世界が自分の中で出会う。
それを目撃している。そういうことが美しいと感じている状態ではないか。


[もうすぐ]

3月2日
すこしづつこわばりを解いて、この蕾も花へと開いてゆくはず。
冬の寒さから、春の暖かさへと移るのと同じように。
椿は文字が現すように、(椿)・春の木なのだな、と思う。

樋口えみこさんが新詩集『生まれて』(草原詩社)・発売元星雲社03-3947-1021
をだした。「じかんがたっていくのは、とてもおかしくて」と帯にあるように
じかん、のなかで起こって心の事件を、いま目撃しているように読めて、
痛くて、切なくて、とても浸みる。樋口さんが、「わたし」としてここに
いるから、何度もまた読んでみたくなる。後でまた感想を書いてみたい。

なお、この詩集『生まれて』の表紙に樋口さんは、私の撮った写真を使ってくれた。
ホームページでそろそろと始めた写真のコーナーが、樋口さんの役に立てた。
光栄で、とても嬉しい。

しずかな、生まれてという言葉の雰囲気をこわさないかわいい表紙。
なかの詩は、愛しく、激しく、突き抜けていて、だからこそ逆にかわいい。
そういうことを秘めたとてもいい装幀になっている。