2007年6月分

[青山二郎の眼展へ]

6月29日
 いろいろ落ち着かない。揺れ動いてしまっていて、しなければならないこと
が手につかないので、世田谷美術館の青山二郎の眼展へ。「眼は言葉である」
白州正子の物語も小林秀雄の骨董もこの男から始まった。とチラシに書いて
あって、白州信也さんの芸大での講義を茂木さんのブログのクオリア日記の
音声ファイルできいていたので興味があった。みえなかった美しさがおかげ
ですこしみえてきた。明の大皿の鳳凰や渦なす雲や花などの絵が象徴的な記号
であること。記号だけど筆の美しさも含んで、描いた絵のパーツどうしの係
わり合いで世界が構成されていることなど。そしてそれらは皿の物の限りを
超えて広がっている。抽象的な空間へ。とてもダイナミックだと思った。
地ではなく象徴的な絵が浮き上がるから、意味や文脈よりも言葉を浮き上が
らせる現代詩と共通しているところがあるように感じられた。
うつくしい物があるばかりで美なんかない、と青山二郎はいう。
美はみたひとが創るものだと。出会いということなのだろう。

村上春樹の『羊たちの冒険』を読みかえしている。
17才になったTちゃんが感覚がわかる、と言っていたから。
いつかTちゃんと話しができるように・・なんてね。
Tちゃんは私の詩集『青い影 緑の光』をすごくいいと
言ってくれたらしい。

かみいとうほさんの「ささやかにともると」展にゆきたい。
7月7日までだった。 かみいさんの詩集『ささやかにともると』
の出来上がりを見たい。とてもおもしろいく良い詩がいっぱいだから。

まずあさって7月1日はポエケットへ行き、「もーあしび」の売り子を
するのです。白鳥信也さん、五十嵐倫子さんといっしょに。
よかったら
東京江戸博物館まできてください。


[アストランチア]

6月27日
 きょうは母を車椅子で散歩に連れだす。暑いけれど
雲も出ていたので汗だくにならなかった。よかった。
公園で歩く練習もして、カフェで休むと、綺麗な花が
生けてあり、母は思わず店員さんに、この花は何て名前
なの、と質問してしまった。アルバイトの店員さんは、
えーと。といってから二階へ駆け上がり、名前を確認
してきてくださって、アストランチアです、と元気良く
答えてくれて、にっこり。母もお礼をいって、花の名前
も知ることができたのだった。

きょう、ネットは君たちの味方だ、という『フューチャリスト宣言』
梅田望夫、茂木健一郎著 ちくま新書 を読み終わる。
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれている。
インターネットの成り立ちのところに、利他性というかボランティア精神的
なものがかかわっている。というオープンソースという思想に触れられた。
茂木さんはブログに講演会の音声ファイルを載せて公開していて、その実践
の恩恵を私は確かにただで得ているのでした。「生きて死ぬ私」も
たたでサイトから読みましたし、身近なのでリアルです。
ちょうどそんなとき、河津さんが「詩のテラス」で茂木さんと吉増さん
の対談の朝日新聞の記事を取り上げていたので、読みたいと「詩のテラス」
に書き込むと、すぐに薦田さんが新聞のコピーを手にしたからいる
のなら言って、というメールを私宛に送ってくれて、すばらしい繋がり
の一日でした。ホクホク。




[連写みたいに/ 詩 SU I CA  移り映るから]


6月26日

 「詩のテラス」に載せた詩なのですが、ここにも置きました。
この詩を書く間にテラスのメンバーや、ネットやリアルの付き合いで
見てくれた人とのやりとり、というか時を待たず返ってきた言葉に
刺激され、繋がりに励まされまて書くことができました。
 よかったら感想を、なんでもお聞かせください。


詩

SU I CA  移り映るから

                北爪満喜


友達とカフェで相談している

SU I CAがJRや私鉄やバスだけではなく どんなギャラリーにも入れるから
今度面白いギャラリーに行こう
      
夢の中で
そう話す友達を
真ん中にして
右に私がいる
左にニホンゴの話せる外国の女の子がいる
私達はそれぞれ透明な硝子ケースの仕切で体を囲まれている

一緒に行くギャラリーはどんなところなのだろう
硝子に肩を寄せながら
友達の言葉に耳をそばだてる
                                                  
聞こえる声が硝子を通ると ときどき文字が光って灯る

 SUIREN SUIZOKUKAN SUZUMUSI  SUISEI-NO-O 

友達の声を聞きながら
硝子の表面を光って流れる文字を眺めて拾い読む
アルファベット表示になって文字が光るのは
ニホンゴが母国語でない人の声も同じように点滅するため

聞き取れる  SUIREN SUIZOKUKAN  
水滴のように響く  SUZUMUSI  SUISEI-NO-O
軽い呼吸は  SOYOKAZE    SAZANAMI   SAZANKA   SUASI 

話す友達の唇がみたくて 硝子の囲いに額を押しつける

それに気付いた友達は
深く息を吸うと 
やわらかいピンクの唇を大きく開け
ほら見て
と口から光を吐きはじめる
鮮やかな光が口から出るとテーブルに何か映りだす


なんだか広いフロアーのよう
植木鉢だろうか
広いフロアーには何か植えられている植木鉢があちこちに散らばって置かれている
鉢の間を人が静かに巡り歩いて 
そこはきっと
友達がこれから私達を連れてゆこうとするギャラリー

テーブルの映像がアップになると
どの植木鉢にも植えられているのは植物ではなかった
ブルーの鉄棒のポールやブランコの支えの支柱が一つ一つ鉢植えされて置かれていた
子供のころ遊んだ公園の遊具の足という足が 
みな鉢に植えられて遊具を支えているのだった
そして公園につづくようにして
街灯や信号機や電信柱や
携帯電話中継用の鉄塔までもが植木鉢から生えて
街路を作り とびとびにずっと並んでいる


口を開けて光を吐いていた友達の顔がだんだん苦しそうに歪んできて
フロアーの鉢がアップになって10秒ほどで光が消えた
友達は荒い呼吸でぐったりとテーブルに顔を伏せてしまった
疲れたよね  体から鮮やかな光を吐いたのだから

伏せてしまった友達をはさんで
さっき見たギャラリーにあったなにもかもが
移動できるんだね
とカタコトのコホンゴの女の子と話していると
どきどきしてきて
どこへでも持って行けるブランコをどこへ運んでゆこう
街灯をどんなふうに灯そうか とはしゃぐ子供になっていた

いつもは忘れている
置いてきぼりで日々に追われて
躓いて痛いのを我慢している
ホントは移し動かせる
もってこられる
楽しい記憶は
どこへでも移動可能なのだ

古い時間から今この瞬間へ
移す
映す
動かして

メールが遠く電線の中を伝わって 
送られた人のパソコンへ走る
鉄塔を飛び移ってゆく携帯電話の声や文字が
飛んでゆく
その言葉の中にも楽しい時間が映って移る
移動可能
暗い道には街灯を多く並べよう
信号の色彩を強くしよう
どこまでも 移る 映ってゆける


ぐったりした友達が起きあがったら
一人づつ席をたってギャラリーへ行こう 


硝子ケースのドアを開けて
抜け出ると
硝子がぱたぱたと畳まれてゆく 
小さく小さく
まるで小さな手鏡のように

あ 人は 硝子ケースをバックやポケットに入れて携帯しているのだな
無意識に広げたり折り畳んだりして
電車やバスや地下鉄に乗って
会いにゆくのだな 
移って 映りに






[海の中の海ホタル]


6月23日
 東京湾の真ん中にある海ホタルへ初めて行きました。
海底のトンネルを車で走ってゆくとき、とても緊張して
海の下ということが頭を離れませんでした。

 「詩のテラス」に海ホタルのことを書きましたので見てください。



[泉ガーデンから「水と生きる」展へ]


6月20日
 はじめて六本木一丁目の地下鉄の駅で降りると、段々に区切られたエスカレーター
を5つほど乗って、昇りきると泉ガーデンにでた。働く人たちが通り過ぎる小道の
奥へゆくと、ほっておかれたような大木や石灯籠があって、昔お屋敷の庭だったの
かも知れない雰囲気だった。
 きょうは水越さんに誘われてサントリー美術館の「水と生きる」展へいった。
水が日本画のなかで表現されてゆくときの様式を追ったものだった。厳島天橋立図屏風
厳島三保松原図屏風などをみながら、これを見て旅行したときのことを人に語って
聞かせられるね、などと気付いたことを話しながら見ていると、とても良く名所など
が描かれていて、カメラやビデオがなかった時代の旅行記を兼ねた存在が、こうした
屏風絵なのかもしれないと思い至った。そして、厳島天橋立に本当に行きたい気持に
なってきた。また波の形が、陶器や蒔絵や着物の柄になって、様式だけではないうねりを
描いているのに惹かれた。荒波に兎を配したものが一般的な組み合わせだったことに
はとても驚いてしまった。高速で疾走する耳のながーい兎はグライダーのようで、
もうとても兎のイメージとはかけ離れたものだった。菊に水の菊水の刺繍された
能衣装は特に素晴らしかった。

 それから、サントリー美術館のチョコレート展、後で見てみたい。

[注意 注意 注意]

6月19日
 自転車が後ろ姿で訴えかけている。注意 注意 注意。
この自転車を注意してください、というよりも、この街
は、危険だから注意が必要です、と言っているような。




[17日の朝陽]

6月17日
 今朝は朝陽を見てから寝たのでした。
理由は締め切りのためです。どうしても
きょう中に映画のDVDを見て次の人に
発送しなくてはいけなかったのでした。
 段取りが悪かったので自分のせいな
のです。
 ということは置いておいて、朝の陽差し
は、なぜか清らかで打たれます。なにも
かわらなくても、陽差しをみているだ
けで、リセットされてゆく何かを感じます。
 昔の人は昇る太陽に向かって手を合わせた
ということですが、そういう気持はいまも
私たちのなかに漂っているのですね。

 これを書き込んで日付が変わりました。
あと数時間すると、また朝の陽が昇るの
ですね。朝が来るってすごいです。
 ずっと前、沖縄の映画「深呼吸の必要」で
誰とも口をきかなかった女の子が、
「朝ってくるんだね!」と初めて口を開いた
シーンを思いだします。



[テラスでお茶を]

6月15日
 とても雲がきれいな日でした。
 きょうから詩のテラスがはじまり、さっそく
 更新もしました。

 覗いてくださいね。
 そしてテラスでお茶を。
 ひとこと、コメントを。



[丸い髪留めをかった後で]



6月14日
 蒸し暑くて、すこし伸びてきた髪がうっとうしい。
ときどき変なときにどっと汗をかくし、そろそろ髪留めで
すっきりしたい。キャロットタワーの雑貨屋さんで迷いまく
って丸い髪留めを買った。迷ったからか、丸い、という言葉
がぼうーと頭の中に残ってしまったのかも知れない。帰り道で、
重ーい荷物をもちながらも、丸いものがつぎつぎカメラに
収まっていました。

明日か、あさってか、「詩のテラス」始まりそうです。


[サボテンの棘と花]

6月13日
 こんような扇形のサボテンの花が満開のところを初めて見ました。
すると白衣を着ていない看護婦さんが自転車で飛ばしながら、こんにちは
と言って過ぎていって、ジージャンのあの人はホントに看護婦さんだった
のかと印象の違いが面白かったです。



[水の線/『それでも生きる子供たち』]

6月11日
 雷が混じって、激しく降って止む。まるで夏のよう。
雷雲の隙間から陽差しは明るく届くから、雨の線が
くっきりと引かれる。

渋谷シネマライズで『それでも生きる子供たち』を見た。
とってもよかった。よかったというのはちょっと違うかもしれない。
でも、どんな過酷なところでも、子供たちは生きる力が光っている。
エミール・クストリッツァやスパイク・リーなど7人の監督が短編
を撮りオムニバスになっている。

その一つ、ルワンダの映画。少年たちの兵士、といっても6人ほど
の遊び仲間にしかみえない、が草原を歩いている。そろって歩く手
には機関銃がある。粗末な服で機関銃をもち、どんどん草原を
行き、ジープから降りてきた大人の兵士と出会うと、銃を撃つ。
殺し合うことがあたりまえのように、言葉もなく、叫びもなく。
部族の争いはここまで意味もなく無惨に撃ち合うだけになってし
まっているのだとショックだった。
そこには言葉がない。
言葉はいっさいどちらからも発せられなかった。
私はいつか新聞の投書覧で読んだ、戦争せずに言葉で解決できる、
という意見を寄せた少年の言葉を思い出した。
出会ったら撃つ。少年の一人が死んだ。
倒れた少年をのぞきこみ、すぐに歩き去ろうとする一番年上の
少年。困惑して覗き込む他の小さい少年たち。次に彼等は
他部族の学校を時限爆弾で爆破しようとする。年長の少年が
装置をセットして、タンザという子が小屋のような学校の
部屋に入って爆弾を置きにゆく。黒板には英語が書かれている。
タンザもチョークで英語を書く。英語がかけるのだ。つい最近まで
平和に学校にかよっていたらしい。
黒板を机に向かって掛けた椅子から楽しそうに眺めるタンザ。
そしてつくえに微笑みながら伏せたとき、頬が爆弾のスイッチの
上に載ってカチッとスイッチがはいる音がする。でもタンザは
音の意味を知らない。微笑んでいる。スクリーンはそこで終わる。
彼が起きあがったとき爆死するだろう。笑顔のままで。
これはルワンダのものだけれど、
他にアメリカ、ブラジル、イギリス、セルビア・モンテネグロ、
イタリア・中国がある。どれも忘れられないです。







[赤い傘に白く咲く]

6月8日
 いつもガーデニングに凝っている家の前を通ると
きょうは白百合が満開。濃い匂いが漂ってきました。

 ところで、6月3日の歴程朗読会は、94人の来場者があり、
おかげさまで盛況でした。来てくださった皆様本当に
ありがとうございました。サロンはなんとか入って
いただけましたが、3部のころになるとかなり狭く
なって、絨毯に座られた方はお疲れになったので
はないでしょうか。

 朗読は、日頃めったに声を聞くことのできない
那珂太朗さんや、日高てるさん、などの詩を聴け
貴重な体験をさせていただきました。また九州
から来たつる見さんは目が不自由な方で、指で
点字の書かれている白いページに触れながら、
穏やかな声で詩を朗読なさった姿に打たれました。
 朗読会としては珍しく進行が早くなり、空いた
ところに飛び入りで来客の方々に詩を読んでいただ
きました。(水嶋さん、長田さん、ありがとう)

 和室のスライドショーも5時間連続投影が成功
しました。畳にすわってゆっくり、多くの方が
見ていってくださって、とても感激です。
 またじっくり見たい、と言ってくれた人もいま
した。このスライドショーは、またどこかで是非
上映したいです。

 この会を、多くの皆さんが楽しかったといってく
ださったのがなにより嬉しかったです。
(3月から会場探しをはじめて、メールも100通以上
も交わしあい、関さん、川口さん、芦田さん、荒川さん
の裏方5人でがんばって準備した甲斐がありました。)
これからも毎年行ってゆく予定です。
どうぞ宜しくお願いします。




[歴程朗読会・和室とサロン]

スライドショーの和室

朗読の会場 サロン  (三階への梯子)


6月2日
 あすの歴程の朗読会のために最後の追い込み。
 厳選した写真のスライドショーが、楽しくみていただけるようにリハーサル。
昼の明るいキッチンで照明をつけたまま壁に映してみました。
昼でもくっきり映りきれいです! 最近のプロジェクターは光が強くて頼もしいです。
和室の広い床の間にデジタル写真が流れるってどんなだろう。未体験でどきどきします。
 そして、コードが人の足にひっかからないように、設置にも気を使ってやります。
きょう大塚文庫の方に電話して、プロジェクターが安定しておけるどっしりした座卓
を使わせていただけることを確認しました。とっても風雅な家具調度が無造作にある
大塚文庫。きれいな座卓にプロジェクターをガムテープでとめてもいいですか、と
おそるおそる伺うと、快諾! なんと気の大きな方なのだろう。
 
 そして朗読の練習。時間は? 声は?  まあだいじょうぶそう。
20数人の詩人がよむので、進行もしっかりしないと。
ワインもたくさん揃え、紅茶や、ソフトドリンクもあります。
 
 ここだけの話し、二階サロンから梯子をあがって三階へゆけます、晴れて
いると富士山がみえる小さな部屋があるので、覗くと面白いですよ。
(この写真は荒川純子さんが撮ってくれました。)