今月へ


[ヒカリのイノリ]

9月28日

詩

ヒカリのイノリ
         北爪満喜


いつからだろう

涙の粒が
体のどこかに滞って
泣きたいのに 泣けない

つくり笑いをやめて
うつむくと
私はすかすかのカラッポで
どこにも私なんかいないみたいだ


「ダッタラ
光ニアタレバ?
体ノナカノ涙ノ粒ガ
光ヲウケテ キラキラ 輝クカラ」
緑の明るい葉の上にたったひと粒
取り残された雫が 
輝いて 話しかけてきた


私ではなくて 
雫が輝く
そんなことは考えてもみなかったけれど
輝けるなら
カラッポでも光のなかへ出てみようか

晴れていたら
あすの朝
体のなかの雫 すべて 輝かせに



ブラインドを開けると光の十字ができていた
儚く現れる光は
人の気持ちの深くまで入り
尊さにふれさせる

              (9/29)


[畑に入ってもいいよ]

9月26日
 世田谷にはごくわずかですが畑があります。畑の回りにはフェンスが
立てられています。住宅用のいちばん簡易なアルミの縦のフェンス。
道路にしゃがみ、私はフェンスの間からカメラを持った手を差し込んで、
曼珠沙華を撮っていました。窮屈なかっこうでねばって撮っていると、
道の向こうから背に消毒液のタンクを背負って麦藁帽子を被ったおじさん
が歩いて来ました。通り過ぎるとき私に「畑にはいってもいいよ」と一言
声を掛けてくれたのです。「そうですか、じゃ、おじゃまします」と
とっさに私は返事をしていました。そのままゆっくり向こうの畑へと歩いて
いったおじさんは、ここの畑の持ち主だったのです。
 しばらくしてあの麦藁帽子のおじさんのフィールド・畑に入って、野菜の
生えたての緑を撮らせもらいました。いつか私もあのおじさんにこう言いたい。
詩集を渡して「フィールド・畑にはいってもいいですよ。いろいろな作物を
見てください」なんて。


[路面電車がゆく]

9月26日
 なにかのどかに見える路面電車。三軒茶屋へ向かう電車にタチアオイ
があいさつしている。もうタチアオイの季節もおわりですね。
 しかし、きょうは、地下鉄が永田町で止まってしまいました。
人身事故ということでした。あまりテレビではこうしたニュースは流さない
ようですね。仕事に遅れそうなので、地上へ出て、タクシーを拾いました。
みんなそうするから、拾えないかと思ったら、さすが永田町。議員会館が
多いためがタクシーはわんさか走ってました。帰って、どのくらいストップ
したのか確かめようとニュースを見たけれど、どこも取り上げてなかった
のでした。それほど多いということなのかと思うと暗い気持になります。




[みえない星星]

9月25日
満月の明るい光にかくれて見えなかった星々が、写真を補正して伸ばしてみると現れて
嬉しくなった。
明るい月の光だけでなく、この星々は、細い三日月のときも都市の空の上では見えなかった
から、いつもみえないのだ。見えないけれど、この都市の空の私達の頭上にはいつも星々
が輝いている。見えないけれど輝いている。まだ見えない詩の言葉も、きっと私達の中で
輝きをためている。波のようにやってくる闇のなかでも、闇になったからこそ輝き出す
ものもあるかもしれない。一つ一つみえなかった光をさがしてゆくように詩を書くことが
いいのだと思える。



[キッチンの中をヘリコプターがゆく]

9月24日
残暑があるものの、秋の気配も近づいてきている。
ふと空を見ると、赤とんぼが飛んでいる。と思いきや、
赤とんぼに見えたのは、羽虫ほどのヘリコプター。
木の葉と同じくらいのサイズの赤いヘリコプターに、
感覚が狂わされる。

前に現代アートの作品で、ジェット機がキッチンの中を飛行して
いる映像を目にしたとき、とても奇妙な開放感があった。
フライパン平野の上空や、ティーカップ湖の上空をゆっくり飛行する
本物のジエット機。その移動に魅せられながら、ここはどこだろう、
とこの地上がゆらぎました。赤いヘリコプターがキッチンの炊飯器山
を越えてゆく映像が頭のなかにありありと浮かびあがります。




[つうじている]

9月23日
 2000年から2001年に撮った写真のデータをみていたら
こんな小道が現れた。あの頃は記録はMOだったし、使っていた
デジタルカメラはコダックだった。
 梢にまばらになった葉が誘うように小道を開いていて、私は
歩いていってしまいたい想いを胸にしまったのを覚えている。
ひきつけられながら、私の遠くが喜びはじめる。おだやかな
夢のなかへつうじている小道だと感じた。



[夜空の日傘]

9月21日
 たぶん右にひときわ輝くのが北極星。だから柄杓の形の星座は大熊座
の北斗七星。
私が見分けられる星座はあまり多くないけれど、これだけはわかります。
この少し手前で、逃げて走ってきた男が4、5人の警察官に取り押さえ
られて、地面に両手をついていました。渋谷はこのごろ少し物騒になって
きてしまったかも知れない。

 きょうは写真のプリントのことで頭を悩めていました。どうしても
よくわからないので、小林のりおさんに電話して教えてもらったのです。
しっかり聴いてくださって、的確に答えていただきました。ありがとう
ございました。こんな初歩的なことで巨匠の写真家を煩わせてしまって、
恐縮です。
 きのうは眠い夫にがまんしてもらって、教えてもらったことをノートに
とったりしたのですが、まだ解らないことが残ってしまったのでした。
ため息をつきながら、ゆっくりとした口調で(私の理解が遅いので)教え
てくれた夫にも感謝です。




[『ミリキタニの猫』]

9月20日
 ユーロスペースで映画『ミリキタニの猫』をみました。
ニューヨークの路上で絵を描きつづける80歳になるミリキタニ・ツトム・ジミーさん
は日系アメリカ人。サクラメント産まれ、広島育ちの彼はもともと日本画家だったのです。
でも第二次世界大戦が開戦になったとき、アメリカで働いていて日系人収容所へ入れられ
てしまった。家を失い家族ともばらばらになって、苦しみのなかを生きのびて来た人だった
のです。
路上にあっても画家であることを貫き、絵を売って暮らすミリキタニさんは
反骨精神と、ユーモアと、情熱とで、生き生きしていました。収容所の絵には
物語があり、繰り返し描かれる同じ場所の風景に、昔、自分になついた少年が
描かれていて、死んでしまった彼をいまも心に住まわせていたのです。
また野兎が描かれたり、故郷の広島の真っ赤な柿が描かれたり、猫がくるっと
した目でみつめていたりと、子どもの頃の幸福の記憶がとても鮮やかで美しい
色彩を絵に許していて、心たのしくなります。この映画を撮影したニューヨーク
に住む女性リンダが、ほんとうにミリキタニさんのことを考え、いろいろ世話をやいて
ゆくところが素敵です。そして、思いもかけないすてきな出来事に繋がってゆくのです。
大きな苦しみに、ささやかに火を灯せたことは、それだけで大きな希望へ開かれて
ゆくものでした。
よい映画でした。



[かぐや、を待って]

9月17日
 
(写真は14日の宵です)
 帰り道に細い三日月が消え残っていた。薄暗い空に
儚い細い月をみて、細く輝くことの哀しみを身にまとうように
かげりながら歩いてみた。
歩いて、いたのですが、ここで、そういえば! と飛躍。 
きょうは月周回衛星「かぐや」が打ち上げられたのでした!
10時31分、無事発射台に膨大な炎を水煙を巻き上げて、
打ち上がる瞬間をネット中継で目撃しました。
膨大なプロジェクトのハードとソフトの数かぎりない調整を
思うと無事発射してほしいと、どきどきしながらカウントダウン
を聴いていました。これから「かぐや」は月を撮影してどんどん
画像を送ってきてくれることでしょう。
 そして、にもかかわらず、私達は月の輝きや神秘的な
満ち欠けに、心を奪われ続けるのです。かぐや姫のお話や
月についての物語をつまらなくなるなんていうことはない
のです。イマジネーションは生き続ける。そのことを胸
に刻みましょう。





[台風が過ぎて]

9月7日
 昨日は台風。風が激しく硝子窓のそばの植木鉢をみな部屋の中に
移してみると、部屋がよりむっと湿っぽくなってしまった。エアコン
を強めにして除湿してもなかなかうっとうしさが消えなかったのに、
突然生まれた室内の草むらを気に入って、シロが葉っぱの影に楽しそう
に座っている。シロちゃん。蒸し暑くないの? と聴いても、目の中の
瞳は細くなったまま。猫の瞳が細いときは嬉しいときなのです。

 

[交差している]

9月3日


交差している


走っているとき
風を切って進んでいた
と思っていた
風は後ろへ去って
体がひりひりと空気を裂いて
流れ落ちる汗には通りすぎる猫が入って
いくつもの路地がよじれて
離れていった
汗が皮膚を離れて
散っていったように


振り切って
振り返らずに
後ろに去らせた
覆い被さるものを裂き 
瞬間ごとに すべて剥ぎ
剥ぎ取ったあとの 
薄い肌で震えて 
それが 風かと思っていた

でもきょう
道の端に捨てられていた 扇風機が
分解されて まっ青の透明な羽根を太陽にさらしているのを
目にしたとき
風を作らない羽根
と言葉が結ばれ
風を作って進んでいたにの気付いた

路面を枕に
夏の太陽を浴び
透明な青い羽根は
ほっと休んでいる
街路樹の影をのせ 
湾曲した羽根で
杖をついて過ぎる人をゆっくりとよじって


風がないなと思えるときも
流れが巨大で止まってみえる風のなかで
進むとき風を作りながら
交差している 




★お知らせ

・ポエニークとしう投稿詩のサイトの4Wheelsに同人誌評を書きました。

今回は野村尚志さんの『凛』、
白鳥信也さん五十嵐倫子さんの『もーあしび』の詩を引用しました。
また石川和広さんたちの『tab』、野木京子さんたちの『スーハ!』
について触れてます。


・『詩学』9月号に詩と写真『耳をすますと』が掲載されました。

・『現代詩手帖』9月号に「詩のテラス」の広告が載ってます。