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2008年1月分
[カセットテープの音楽を聴く/合評会は若い女子たちで]

1月29日
ずっと棚の奥にしまっていた音楽を録音したカセットテープを
10年ぶりくらいでまた聴き始める。ホロヴィッツのピアノの
粒だちが懐かしく美しいなーと聞き入ったかと思うと、今度
はざらざらな声の魅力に引き込まれたり、
ばらばらな聴き方だけど、一度しっかり聴いていたものは、
なぜかしっくりするものですね。さまざまな記憶も身体のどこか
に浮き上がっているのだと思います。トム・ウェインツのこの曲
はゴダールの映画『カルメン』の中で、海辺の別荘の広間で
像の映っていないザーとざらついているテレビから流れていて
そのテレビ画面をなでるように揺れていた掌を思い起こさせて
くれました。つかめない感情の砂嵐をテレビが比喩として映して
いたのだったら、あのざらつく人間くさい声は、ほんとうに
ぴったりだと、いま思うのもおもしろいです。

高橋明洋さんの新宿ニコンサロンでの写真展、とてもよかったです。
日常のシーンでの違和感を切り出した一枚が淡々と並んでいましたが
なんと13枚くらい数秒の内にぐるんと撮ったものを一枚にまとめた
ものらしいのですが、まったく解りません。どう見たって一枚です。
でもぐっとせりだしてくる感じがあるのは、やはり一度撮っただけで
はないからでしょうね。
偶然、三宅章代さんが来て、会えて嬉しかったのでした。

現代詩の合評会は3時間でも足りないほどの読み応えのある詩が
集まりました。また参加は二回目の五十嵐倫子さん、初めての小林さん、
初めての川津さん、ひさしぶりの中村葉子さんも参加して、合評会は
若い女子たちで盛り上がりをみせました。励まされます。
次回も楽しみです。



[シロとクロ]

1月25日
 きょうは冷えたから、ね。寒がりのクロはシロに足の裏を
暖めてもらってすやすやと眠ってます。シロとクロ。いつまでも仲良く
していてね。手をつないで眠ってね。




[もーあしび12号、フィクショネスに納品]

1月24日
 きょうは風がつめたかったですね。
きょう下北沢の本屋さん「フイクショネス」に『もーあしび12号』
を納品してきました。下北沢へ来られたときは、よろしくお願いします。




[雪]



1月23日
 とても冷える。きょうは朝に雪が降った。
外に薄く積もった雪。やわらかな白さ。空から透明な雪の結晶が
降っていた。雪の結晶は透明なのに白く、雪のひとひらになる。
セーターに雪をつけたまま、部屋へ入ると、レンズが曇ってしまった。
細かな室内の水蒸気がレンズを曇らせ、室内にもこんなにたくさん
水が浮いているのだと思う。外には凍った水の結晶が地上へ吸い寄せ
られている。




[ベートーヴェン弦楽四重奏曲/もーあしび12号の「風船乗りの汗汗歌日記」]

1月22日
 すぐにトンネルに入ってしまう伊豆急踊り子号の車窓で、明るくなるごとに
海がみえるかなと期待していたら、小降りだった雨の合間に光が雲の模様を
透かせていた。ほんの数秒の光景。二週間前のことが、とても遠くに思える
この街の速度は何だろう。
 ひさしぶりにベートーヴェン弦楽四重奏曲をかけてみる。あの空の陰影の
ように音楽が淡い光のようにやってくる。弦楽四重奏曲の響きがしみてきて
震わせてくれるう。ちがわに広がる海や空を。そのさざ波のような陰りも光も
呼吸を通ってゆく。

もーあしび12号の「風船乗りの汗汗歌日記」その11。
いつも×月×日の日記のあとに一首あって、読んでいて作者の大橋弘さんの
足取りにそってゆけるからとてもおもしろい。この日の終わりにこう短歌に
なるのね、とユーモアの滲む展開にくすっと笑ってしまうことも。
こんなに楽しく短歌が読めることってあまりないかもしれない。どの日も必ず
「×月×日」と省略せずにあるのが、またいい味でしてます。


[もーあしび12号]

1月20日
 おととい『もーあしび12号』ができあがりました。
七月堂さんへ集まって発送をしました。この冊子は少部数
なのです。だから発送もあまり時間がかかりません。
私が初めに到着。その後白鳥信也さん、五十嵐倫子さん、
辻和人さん。作業をしていると知念さんがモーアシビは
読みやすいですね、と感想をもらされた。自分でいうの
も変かもしれないですが、ほんとうに読みやすいです。
詩もすっと入っていって読めるし、エッセイもみなさん
いい味だしてます。今回、呉生さとこさんが「石にはまる」
というパワーストーンなどのエッセイを書いてますが、
さあこの人はいったい誰でしょう。
さと・さん。極上のユーモアを堪能しました!

今号は白鳥信也さんの新詩集『ウォーター、ウォーカー』の
詩の解題、及び詩集評を鈴木志郎康さんが詳しく書かれて
います。詩集の解題の方は「なにぬねの?」というSNSに
日々志郎康さんが書かれていたものです。読み応えありますし
いろいろ気づかされる読みがあり、おもしろいです。

私も詩と写真で参加してます。


『もーあしび12号』、読んでみませんか。
メールいただければお送りします。頒価500円です。


一月でもあるので、終わってから新年会をしましたがものすごく
寒い晩で、ゆくお店がみな入れなくて、やっと居酒屋に入れ
ました。







[温室の窓]

1月10日
 おおきなガラス窓に水滴がしたたっているここは、堂ヶ島らんの里の温室。
きょうの「詩のテラス」に載せた詩「呼吸の跡」はここを訪れたことがきっか
けでうまれました。

呼吸の跡
    
         北爪満喜


ここは温室だから
気温は外よりもずっと高い
くっきりとした形と強い色彩の
熱帯の花に囲まれていると
湿って蒸し熱い空気に
皮膚の内から浮き上がるような
溶かすような呼びかけに誘われる


誰が?
花が?
わたしに呼びかけている?


わたしを誘っているものなどないのに
温室のむっとする高さへ
浮き立って
ツララのような記憶を下げたわたしをすり抜け
出ていってしまうものがある


背中から
衣服が縦に裂けて
裂け目から
するっと細い茎が
うつむくように現れた


このまま背中の茎は蔓へと成長して
わたしは背中から植物の蔓をのばし
温室の壁や柱を這いだすのだろうか
あの花たちのところまでゆくのだろうか


まだほんの少し茎が現れただけなのに
執拗に細く枝分かれしながら
壁に張りめぐらされてゆく蔓を想像して
這いずる苦しさに捕らえられてしまった
けれど
ふいに
首をあげた茎は
背中で
細い鳥の頭のような
鞘へとすうーっとふくらんで
やがて鞘は鳥の嘴のように
二つに割れて開いていった


そこには
開かれた鞘の上には
鋭いオレンジの羽根をのばして
熱帯の鳥が飛び立とうとしている
いまにも細い爪で蹴って
オレンジの羽根の鳥が飛び立つ


飛び立つ
オレンジの鳥が飛び立つ
わたしから
咲くように
出て行ってしまった
オレンジ
もう花花のあいだに紛れて


とても浅い呼吸になっているのに
しっとりと温室の植物たちの呼吸と混じって
まはだかの皮膚に 汗の雫が
つぎからつぎからしたたって
ひどく走った後のように
足が浮いているのだった


2008.1.10 2008/01/10(Thu)  



 きょうは昨年、銀座へ行ったときにパティシエ杉野英美のお店を探して
買ってきたジャムを食べて感動しました。「洋梨といちじくとカシス」の赤いジャム
をヨーグルトにかけて食べると、それはもうケーキのようです。こんなジャムが
あったなんて。



[ゆたかなひと雫]

1月9日
たったひと雫。
でもまるで一つのフルーツのようにさえ見えるゆたかなひと雫。
水仙の一群れがすっかり映り込んでいるひと粒の水を前に、
生き物の私の内部が満ちてゆく。
ふれたら壊れてしまう水の表面張力の凛とした静けさに、響いてゆきたい。



[鳥のように成りたい]

1月16日
 その植物は全身で、鳥のように成りたい、と叫んでいる。
鶴のような細い茎の首をするりとのばし、鳥の頭のような鞘から
いまにも飛び立ちそうな花の鳥を咲かせている。
まちがって鳥になるところを植物に入ってしまった魂が過去にいたの
かもしれない。ストレリチア。極楽鳥花をみるたびに不思議な気分
に浸される。

 鶴の卵という不思議な和菓子をいただいた。卵形のマシュマロの中に
白餡がはいっていて、みかけは卵みたいです。ホントウの鶴の卵って見て
みたいです。




[狙いうは赤い実]

1月5日
 なぜせっかく成った柿の実をもがないのでしょう。冬の庭
にはそんな眺めるだけの実があちこちにあるから、鳥たちには
良い食事どころとなっているようです。「あっ、柿だ」と声が
聞こえるようなカラスの嘴が今にも柿に届きそう。

 年賀状をいただいて、詩と写真展をみてくださった詩人の方がいた
のを知ってとてもうれしかったです。平田俊子さん、阿部日奈子さん
中本道代さん。ありがとうございました。
 
 五十嵐倫子さん、長田典子さんもブログに感想を書いて
くださっていたのですね。励まされます。
 次へと進みたいと思います。


[路上の星]


  
1月3日
 ぴかっと足元でひかった星。誰かが落とした髪飾りだろうか。
路上の星は路面ではなく、また別の誰か拾ったひとの手によって
石の上に置かれて、ピンクや紫に輝き、星をつけた金属には青空
を映しだしていた。

 読み終わった綿矢りさの『夢を与える』を近くの古本屋にうりにいったら
100円になった。本のなかの家族の日常会話の堅牢さについて語っている
ところが鋭かった。どんなことがあっても日常を続けたいという意志が強く
働いているからというほかない、との言葉に共感する。
ちょっとやそっとでは、それは崩れず、さまざまなことを飲み込んでいって
しまう、というところが小説の中でくっきりでている。


◎お知らせ

投稿誌サイト、ポエニーク内の4wheelsに詩誌評を載せました。




[朝の月、昼の花]

1月1日
あけましておめでとうございます。

空を見上げると下弦の月が白い半球をみせて笑っていた。
「かぐや」が月から見た地球の青さ。月はこの地球の青へ微笑んで
いるのではないだろうか。様々な事柄が渦巻く、この地上を、それ
でも祝福してくれている、そんな気持ちに浸れて、新年の朝の
空気を吸い込む。

 

すこし近くを歩いてゆくと風がつめたく頬をなでる。
ポケットに手を入れてうつむくと、白いビニール袋が
街路樹の根元に置き去りにされていてへこんだ缶ビールの
空き缶がぺこんと横たわっていた。私の気持ちのなかにも
ぺこんとへこんだところがあって、やあ、とその缶に
挨拶する。へこんだところのない人なんていないもの
ですよね。



ほっとするために、立ち寄るところがきょうも開いていて
よかった。