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2008/5 月分


[接近]

5月31日
 つい膨大になってしまう写真ファイルを開いて見ていたら
こんなに危険な接近があった。でも何事もなく鳥もヘリコプターも
きっと行き過ぎだのだろう。鳥は楽しんでいるのだろうか。
威嚇しようとしたのだろうか。好奇心だったかもしれない。
機体のなかの生き物と目を合わせたかもしれない。




[正方形の土から]

5月30日
 あまり歩かない道を選んで歩いていたら正方形の土からユリの花が緑と
コントラストを強めてオレンジ色に咲き出している。あまり背を高くせず
にすぐに花をつけているユリがとても元気に見える。

 きょうは短歌雑誌『歌壇』の書評で、東直子の小説『さよなら窓』
(マガジンハウス刊)の原稿に取り組む。以前にやはりマガジンハウス
から出した『長崎くんの指』も書評のときに読んだので、キャラクター
の似ている腕の良い職人の老人が出てきたのが嬉しかった。今回は特撮用
の岩を本物そっくりに作る「岩ちゃん」の職人気質に惹かれました。

 気温の変化が激しく、気温差のアレルギーでまた少し瞼が腫れてかゆい。
 薬を塗るとべとべとしてぎらぎらしてみばえが悪いです。


[大きな響き]

5月29日
 渋谷の東急ハンズで買い物をしたあと、すこし緊張しながら
センター街なども通って駅までもどってくるのだけれど、どう
しても昇らせたい階段が一段ごとに「大きな響き」とすごんで
いました。私は、まあ登りません。なんといっても、これまで
ただの一度もカラオケに入ったことがない(笑)のですから。
 びっくりしました? なぜか私の周りの人達はカラオケに行こう
と言い出さない方々です。私は、うーん、うまくない歌を歌うより
何かするんだったら、詩と向き合っているほうがいいかな、
という思いがあります。そういえば世間とズレている話では、ずっと昔、
麹町でOLをやっていた頃、飲みに行こうとよく上司等に誘われたのですが
ある日、「時間がもったいないです。それより本を読んだほうがいいです。」
と答えてしまったのです。その件以後、まったく飲みに誘われたり
することはありませんでした。




[はりつめた赤/詩誌『少女症』]

5月28日
 はりつめた赤は、どこかへ行こくことを内に眠る種に刻むように実っている。
真下の、土の中へ。鳥に食べられ、遠くの土へ。あるいは人の手で、どこかの
花壇へ。風も鳥も人もみな植物に知られてしまっている。


詩誌『少女症』創刊号は出縄由貴、中村かほり、三角みづ紀の詩が勢いよく
載っていて、いっきに読んでしまいました。巻頭の出縄由貴の詩「片足を
失った少女を失った」は愛に対する考察が痛い。どこまでも追求してゆく
ことを読むのは、一行ごとに自分も問い詰められてゆくこと。引き込まれます。
中村かほりの「少女たちの流儀」の玩具性という言葉の醒めた距離には、
この間知った腐女子という言葉と同じような開放感を感じました。
三角みづ紀のキャッチコピー、「ほんとうはわたし、老婆なんです」は反転した
自己愛のようなしたたかさでした。



[カルミアが弾けるように]

5月26日
 カルミアが弾けるように咲いている。レースの刺繍を思わせる模様
が開くと花というよりも手芸品のように思えてしまう。自然はほんとう
に不思議な造形をしてくれるものです。
 
 今月発売の現代詩手帖6月号に私の詩「呼吸の跡」が載りました。
4ページ分の各ページごとに写真を配してあります。「呼吸の跡」は
「詩のテラス」で書いたものです。温室の中での詩なので、テラス
では温室の水滴のついた窓に木の影がゆらいでいる一枚の写真から
詩を書きました。それを基に今回は4枚の組写真にしました。
6月号は新鋭詩人特集なので面白いと思います。本屋さんで手に
とっていただければ幸いです。

 5月24日に四方田犬彦さんの主催の講演会が明治学院大学で
ありました。
ニューヨークを拠点にして古典から現代詩までを翻訳なさって
いる著名な翻訳家、佐藤紘彰さんの『女性・詩・翻訳』の講演があり
ました。日本の女性詩のアンソロジーをアメリカで刊行された
のですが、そこに収録された詩を阿部日奈子さん、新川和江さん、
財部鳥子さんがそれぞれ朗読し、英訳を留学中の学生さんが朗読。
英語になって直裁な言葉に変化すると、母国語のオブラートが剥がれ
ドキッとするところがときどき聞き取れて面白かったです。
財部鳥子さんの「水とモンゴル」新川和江さんの「わたしを束ねないで」
はとても身近に言葉が届き、改めて良い詩だと感じました。
また阿部日奈子さんの「オーレンカ」がご自身の解説により援助交際を
超合理的にみてゆくことで、社会のシステムや家族という単位の虚偽性
を鋭く問題提起するものであったことが、くっきりして、ぞっとする
ほど圧巻でした。佐藤紘彰さんが翻訳に選んだ詩は素晴らしいものだった
のですね。英語圏の人にどんどん読まれてほしいものです。
英語圏といえば財部さんの小説『天府 冥府』が英訳されたと聞きました。
敗戦後、少女の身で大陸から引き揚げた困難な体験から、ぎりぎりの生を、
突き抜けて生きる力を、直球で投げつけてくる言葉には、いつも勇気をも
らっているので、この小説も英語圏で多くの人に読まれて欲しいと思いました。


 25日は「もーあしび」の9月15日予定の朗読会の話し合いをしました。
詩の朗読だけでなく、来てくださった方に参加していだく「わーくしょっぷ」
も企画しましております。新宿眼科画廊の展示室も一部屋借りて面白いものに
してゆきますので、どうぞよろしくお願いします。 




[35人の名監督参加『それぞれのシネマ』]

5月23日
 カンヌ映画祭60周年記念でユニークな映画がつくられた。
「映画への愛」をテーマにオムニバスで35人の名監督が
それぞれ3分間の超短編映画を撮ったのだ。上映場所は「豊洲ららぽーと」。
初めて行く豊洲でちよっと迷いながらなんとか上映時間に間に合った。

 3分間といえども、さすが凄腕の監督たち。見せました!
 特に印象的だった3編はこのようです。

ガス・バンサント「ファースト・キス」
客のいない映画館の大きなスクリーンに海が映され、まるでそこに
本物の海辺が現れたように見える。暗い客席の先でさざ波だつ明るい海。
水着の少女が歩いている。この映画を映写していた少年が映写室から出て
きて、スクリーンのところまで行くと、海を歩く少女のスクリーンへ入って
しまう。白い砂の海の明るさのなかで、二人はキスをする。親密な明るい
海辺の二人がとても綺麗。


ジェーン・カンピオン「レディ・バグ」
ゴキブリの女(ごきぶりの着ぐるみをきています)が踊っていると、掃除の男が
箒の柄をダクトの隙間から差し込んで、奥のゴキブリを潰そうとする。ゴキブリ
の女は箒の柄の攻撃を必死によけて、逃げ、また踊りだす。それから映画館の
舞台の上でゴキブリ女が踊っていると、巨大な男に見つかりいまいましそうに
男が足で踏みつけ、ゴキブリ女は足を踏みつぶされてしまって、悔しそうな顔
で這ってゆく。


アッバス・キアロスタミ「ロミオはどこ?」
ロミオとジュリエットが上映されているらしい映画館。
カメラはスクリーンをみつめている観客のイランの女の人の顔だけ
を捉えている。ちょうどクライマックスの、ロミオとジュリエット
の死の場面の音楽が流れ、台詞が流れている。女の人たちは、それぞれ
涙を流しはじめる。涙の流れる顔の背後で音楽と台詞だけが聞こえて
いるというのに、心が動かされる。それもたった3分間なのに。



■参加監督
テオ・アンゲロプロス
オリヴィエ・アサヤス
ビレ・アウグスト
ジェーン・カンピオン
ユーセフ・シャヒーン
チェン・カイコー
マイケル・チミノ
デヴィッド・クローネンバーグ
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
マノエル・デ・オリヴェイラ
レイモン・ドパルドン
アトム・エゴヤン
アモス・ギタイ
ホウ・シャオシェン
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
アキ・カウリスマキ
アッバス・キアロスタミ
北野武
アンドレイ・コンチャロフスキー
クロード・ルルーシュ
ケン・ローチ
デヴィッド・リンチ
ナンニ・モレッティ
ロマン・ポランスキー
ラウル・ルイス
ウォルター・サレス
エリア・スレイマン
ツァイ・ミンリャン
ガス・ヴァン・サント
ラース・フォン・トリアー
ヴィム・ヴェンダース
ウォン・カーウァイ
チャン・イーモウ



[ちょっと首をかしげて]

5月21日
 きょうは陽差しが暑いほどだった。ダークグレーのマンションのベランダ
にオレンジや黄色の花模様の明るい蒲団が干してあり、その明るさが良くて
撮っていたら、道路の反対側に立っていた警備員さんに声をかけられて、
何を撮っているのか確認された。1階の店舗を撮っていると思ったらしい。
けれど、私は蒲団の明るさを撮っていたのです。「お蒲団です」といったら、
「あっ、お蒲団ですか」と拍子抜けしていた。変な人だと思われたのだろう、
またしても。どこか文脈がちがっている、それを改めて照らしだされながら
違和感を抱えて歩いてゆくと、陽差しに透けて、ポピーがちょっと首をかしげて
笑ったように思われた。
 


[雫の時間]

5月18日
  一瞬、水面からも雨からも解き放たれて、水滴なにっている時間が
目に映る。水滴は表面張力を出し切って、遊んでいるようにさまざまな
形をしている。

 きのうまで10日間「詩のテラス」の担当でした。
 きょうからようやくこちらの更新ができます。
 しかし、10日間の間に必ず詩を一編書く、という取り決めは
たいへん訓練になりました。緊張感があります。

 きょうは「現代詩の会」の合評会があり、森ミキエさん、小林彩子さん、
五十嵐倫子さん、毛利珠江さん、私の5人の参加でした。作品がたくさん
あり、3時間をきっちり使い、充実したものでした。


 福田純子(大木潤子)さんがブログで、私の「詩と写真展」file.2の感想を書いてくださった。




[逗子・葉山へ/「もーあしび」13号]

5月7日
 ゴールデンウィークは一日だけ、逗子、葉山へ行きました。
やはり車は渋滞しました。横須賀線に乗った途端に大混雑。
逗子駅で迎えに来てくれた親戚の人の車に乗せてもらって、
5人乗りでドライブです。渋滞では冗談ばかり言って乗り越えました。
お魚のおいしいお店になんとか辿りついて、海辺を歩いて、
渋滞意外はのんびりできました。

投稿誌サイトポエニークの
4wheels に詩誌評を書きました。


「もーあしび」13号ができあがりました。
詩、エッセイ、翻訳、短歌、カラー写真、さまざまな表現に
触れられます。今回は鈴木志郎康さんが詩で参加されて
ます。新詩集『声の生地』の後の最新作です。
(94ページ頒価500円)
興味をもたれた方、どうぞメールください。
お送り致します。


[藤の花の一房/エッセイ「夢の雫」]

5月1日
 ゴールデンウイーク。暑いほどの気温。
公園で藤棚にみごとに藤の花房が下がって、紫に揺れていました。
小島きみ子さんから、おはがきが届きました。
もうすぐ小島きみ子さんの詩集が完成するということです。小島さんは、
詩集の表紙に私の写真を使ってくださるのです。どのような装幀になるのか、
うまくお役にたてるか、気がかりで楽しみです。


○エッセイをこれから出るサムシングプレス7号のために書きました。

夢の雫    北爪満喜
 
 だいぶむかしのこと。うまく話せないけれど詩でなら書ける、と友達にこたえたら、
本物だ、と呟かれたことがある。本物と言うのは本物の詩人という意味で彼女はいって
くれたのだと思う。でも言葉にならないものを言葉にしようと(ぎりぎりで踏ん張った
りして)書くのは、考えてみれば、ほんとうに不思議なこと。言い表せない感情や、言
葉以前の感じたことや、言葉にならないもの。そういうものは、うまく言葉で言えない
から言い表せないのだ。なのに、いつしかこの身に降り積もったそうした言葉にならな
いものから、私は詩を書きたくなる。言葉にできないことなのに、詩の言葉じゃなくて
はダメというのは、まるで矛盾しているけれど簡単には言葉にならないからこそ、その
わからないもやもやしたものを探り、何処かへ、何かへ届こうとして、詩は現れるよう
に思う。
 何のために・・・。 
  生きるために。これがいちばん私の底から起こってくるしょうじきな気持ち。
 たとえば悲しみや嫉妬や怒りや憎しみなどの負の感情はない方が楽なのになぜあるのか、
なぜ自分を苦しくさせる負の感情が身体から生み出されるのか。それは、言ってしまえば
あっけないけれど負の感情も人が生きてゆくために必要だから備わっているものなのだっ
た。意識していなくても、無意識でも、その境あたりでも、体の細胞や脳は、私の知らな
いところで、私が眠っていても、生きてゆくためにせいいっぱい動いてくれている。たと
えもうダメだと沈んでしまっているときであっても。私は、体というなんとすごい乗り物
に乗っているのだろうと感嘆する。
   そして、詩を書いて生きるということには、現実のさまざまな困難や抑圧や苦しみを突
き抜けてゆこうとする、ということがあるように思う。そうすることで、なんらかの可能性
を見いだしてゆけるのではないかと。生きてゆくために、言葉を書きたい、というとき、詩
という形でしか、言葉を探ってゆくという自由でしか、その突き抜けはできないのではない
かと私は思う。詩はどんなにあがいてもいいし、踏みとどまって向き合ってゆくこともでき
る。そして言葉を探したり、降ってくるものを求めたりしながら進んでゆくと、発見に至る
こともある。
詩だったらなんとか書ける、とむかし友達にいった言葉の後には、生きてゆくためにという
言葉が隠れていたのだと、いま実感しはじめている。

 ところで、目が覚めてもとても気になる夢をときどき見て、理由はわからないけれど印象
深く、夢のひと雫が消え残ることがある。そんなときには詩の言葉で触れていって、どうし
て印象深いのか開いてみたくなる。夢の働きには、昼の情報を整理するだけではなく、自分
の狭い意識を超えて、意識のガードが曖昧になった脳裏へ、何かを受信させている部分があ
る。おそらく記憶や更に古層の何処かから永い時間が流れついて私に関わっているのだろう。
そうした遙かな時間から流れつくものがあるなら、その力を借りてみたいと私は願う。わず
かでも夢から生きる力を受け取れることができるかもしれない。夢がゆるい自我の統制を通
して、ぼんやりした何かを浮かびあがらせてイメージを私にみせる。もしもそのイメージが
印象深く刻まれるのだったら、目覚めている私によって、詩の言葉で向き合って、もう一度
夢を言葉で生きてみたい。


二回目の詩と写真展に、森ミキエさん。佐伯多美子さん。が来てくださった。
須永紀子さんもイメージフォーラムの会場でお目にかかったとき見に行くと
いってくださいました。須永さんのサイト「雨期」の「読書日記」で
感想を書いてくださった。

佐伯多美子さんは、おはがきで感想を下さって帰りの銀座線で詩誌『庭園』
に寄稿した詩「アクア スポット」という私の詩を偶然開かれたようで、
通路で夕焼けや風にのる鳥の写真や言葉をご覧になつたあとで、詩の「ここにも、
風が吹き夕焼けがありました。空がずっと続いているようです。」と
お書きくださった。なんとも光栄です。
森ミキエさんはエルメスビルのサラ・ジー展をご覧になったあとで見てくれ
ました。ありがとうございました。