今月へ [きょうのシロ/金氏徹平「溶け出す都市、空白の森」展] 5月17日 シロが興味シンシンなのは何かというと新しいデジタルカメラ。 小さくてシルバーに光っているもののににおいを確かめている。 キャノンG9は一年ちょっと使って壊れました。私はカメラにやさしくない 人です。バックやポケットの中にさっと入れるだけだから。おまけに本の間や カボチャやキャベツの下におかれているのだから。カメラにごめんと言いつつ 相変わらず、酷使してしまうのだろうと思います。 横浜美術館で金氏徹平のつくる「空白のかたち」を見てから、現代詩の会へ。 外壁塗り替えと耐震工事のための窓をぶち壊し切り抜きする騒音の家にいること一週間。 参りました。がんがん叩く音や、チェーンソーの音がご飯のバックミュージック。 頑張ってくれる職人さんへの3時のお茶だしを夫に変わってもらって、久しぶりに外へ。 溶け出しそうなまま溶け固まっている塔はチープな素材の管状のモノが白い樹脂や石膏で包まれ ていた。白い液体はたれながら固まって異様な気配。 広いフロアーには白い石膏が入れられた容器の集まりが並んで、船のようにみえる。 空白はモノを白く塗ったり白く満たすことで表現されていた。すぐばらばらにできる。 ばらばらだけど、チープなものたちは引き合ってときに愉快に、ときに寂しさから集まってしまう、 そんな感じがした。 とくにフィギュアの髪の毛だけでつくられたモンスターは、どう受け取っていいか わからない。形と中身、形の安心が揺るがされた。 現代詩の会は作品が多く、3時間の合評を延長して4時間にしても、久しぶりの参加の 中村葉子さんと森ミキエさんの作品がのこってしまった。時間配分を次回からは気をつ けたいと思います。私は「チョコレートケーキ」という詩を合評してもらい、いろいろ 感想を聞いて、伝わらないところや、意味がずれて伝わったりしているところや、自分 が立ち止まって、向き合い直したい比喩などがわかった。詩を書くときに合評はとても 大切だと思う。信頼する詩の仲間と感想を言い合える場はこれからも続けなくては、と。 [右側と左側] ● 5月15日 右側はシルエット、左側は私の影。 間に私がカメラを持っている。 このあいだの鴨は可愛かったな、などと思いだしながら、夕日の暖かさの なかでぼーとして、撮ることは時間を捧げることだと厳粛になりながら、 体力もなく要領もよくない自分が写真なんか撮っているのが、おかしく、 危なっかしく思う。ぐるぐるする内側のことはどこにも現れない写真。 切れていて切り立っていてすっきりしている。 と言葉でわざわざ現したい、このことはまだよくわからない。 [オレンジの薔薇/『She her her』] 5月11日 薔薇の季節。公園では満開の薔薇の香り。その香りに気付いた 私は頭のなかに何か出ているようで、すうっーとすいこまれて 花のそばへゆき、きっと真剣そのもののでしゃがんだりたったり 横へずれたりもどったりしたのだと思う。 オレンジの薔薇がめずらしくてきれいだった。 このオレンジは佐藤勇介さんという方が送ってくれた手帖サイズ のちいさな詩集にかけられたブックバンドの色とそっくりだ。 ブックバンドつきの詩集ははじめて見ました。 『She her her』。手になじみ気軽に開いてあちこち読むという つきあい方ができて楽しい。 「螢が飛ぶ」の 「電車を乗りすごすことがなくなって わずかに 腰が浮き 始めている 求めたものなら切符と交換されてしまった」とい いう冒頭から、ひろってゆく状態の実況のような感触が 伊藤聚さんの詩を思いださせ、 「星、雲、シヤボン玉、糸引いて…」の 「(こどものとき手を離しそうになったカイトのよう!) あんまり青くて 冬は 一粒の目になる(そういうこどもばかり 川原にあふれて)」 というしなやかに「一粒の目」という言葉が現れるところが 印象的で何度も読んでしまう。 [電車の窓の雫] 5月8日 投稿誌サイト、ポエニークの4hweelsでの詩誌評を書いています。 読んで反応しない詩などないから、読むと書きたい詩ばかり。体力と 時間の関係でそれができないのですね。 きのうは「花眼」の写真原稿をメールで4枚送りました。 私はときどき腰痛になってしまうのですが、整骨院の先生は 姿勢が悪くなっていて、背骨の歪みが腰を圧迫していると いうのです。伸びのストレッチがいいようなので朝と夜に おもいっきりぐーっと伸びて、ぱっとゆるめる、のをして います。伸びるとき息を吸って、ゆるめるとき、はぁっと 息を吐きます。 通路の展示file.5を5月1日に搬入したのですが、 これから案内の発送をしようと思います。いつも遅れ気味。反省。 11日から耐震の補強工事と外壁塗り替えで足場が かけられ、窓の一部が壊されるから、がたがたします。 今でさえ、集中力がいまいちなのに、どうなってしまう のでしょう。 (島野律子さん情報。file.4の猫の大あくびの写真に向かって 宅配の男の子が、伸びをしていったそうです!) [モーアシビ17号ができあがりました] 5月3日 総合誌『もーあしび』17号が出来上がりました。 詩・散文・翻訳が詰まってます。 私は詩「もとのもとの」を載せました。 白鳥さんの作品は「バッタを食べる」というタイトル。 昆虫食の内山さんにつづいて、遂にそのものの世界が 展開か、と思っていると、予想外になかなかよい詩なのでした。 ちなみに私は昆虫食はたいへん苦手です。 呉生さとこさんのエッセイ「ロドリーゴ、光の桃」は ぐいぐい引き込むスピリチュアルなエピソードがすごいです。 シンクロニシティ、右脳と左脳のせめぎあい、人体は神秘なり。 読んでみようと思われる方は是非ご連絡ください。 頒価500円 年4回発行の定期購読もあります。 ☆★ きょうのシロ。 スリッパがすきなシロは、私がふと脱いでしまったスリッパの 上にのってしまう。 猫は自分を猫だとは思わないだろうから人と同じように思っているのかな。 自分も床の上ではスリッパを履きたい。スリッパは居場所になるから テーブルの下でシロは安心、リラックス、なのだね。きっと。 シロはもう11歳を過ぎている。