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2009/8月分

[詩 飛手]

8月31日

現代詩手帖9月号、詩誌月評のトップで渡辺玄英さんが『モーアシビ』18号の私の詩「飛手」
について批評してくださいました。

 自分の行動や言葉が、自分の意識とは全く別に、身体(の部分)の経験から導き出されて
いくという、そんな意識と身体の繋がりが語られている。脳が、その人の意志よりも先んじて
行動を誘導することは科学的に本当らしいが、「手」という接触に重きを置く部分が「わたし」
を誘導するという考え方は、少し見方を変えると、接触することで世界を再構築できるという
可能性を提示していると読むこともできる。これは、現在の希薄で分裂を孕む身体が見る「夢」
の詩なのかもしれないと考えるとさらに興味深い。

谷内修三さんがブログ読書日記で『もーあしび』18号に載せた私の詩「飛手」
について丁寧な批評を書いてくださいました。


この詩「飛手」は詩のテラスへ載せたものでした。
渡辺さんが「不思議な作品(詩&写真)」と書いているので載せてみます。





    飛手 
                       北爪満喜

掌を右と左 
うちがわの親指の第一関節をつけて 
コピー機の上にそっと並べる


覆いを下ろしてコピーすると
ゆるく指の曲った二つの掌の形は二枚の羽になる
コピー機からはき出された紙には 蝶がいる


わたしから剥がれることができて 
手の形は
自由に飛んでゆく
羽ばたいてゆく


手は秘密にしていても
ほんとうは飛ぶことができる潜在能力があって
夢のなかでは
いつも自由に飛んでいる
窓の上を
トウキョーの空を 
母と家電の買い物をした楽しかったアキハバラの空を
いつか読んだ小説のグラーツの空を


目が覚めると 手が飛んだことなんて
マッタク覚えていないけれど


でも
一人になって 何か手を動かしたくなったとき
ボールペンの先から 変わった葉っぱや
ぐるぐるした蔓や
繋がりのよくわからない単語などが
インクの線で現れるとき
飛んだ記憶が そこまで来ている









[伸びる、ふえる]

8月23日
 夏の湿度と気温のなかで、植物が伸びてゆく力に圧倒される。
静かに、力強く草は茂ってゆく。過剰な密度と反復のすごさ。
 
 昼に三軒茶屋へ行くと、日曜の歩行者天国の茶沢通りがすごい人だかり
だった。なに? と思っていると、サンバカーニバルなのだった。まだ
ダンサー達は現れないのに、人々が集まって待っている。駅のそばを
通って帰ろうとして、出番待ちのダンサーの列に会った。日本人はなま白く
衣装が浮いている感じ。ペンギンの着ぐるみの子どもたちもいた。サンバ
のリズムが流れていて、じめっとした夏もすこし軽くなる。サンバの本場
から来日した人達も踊るらしい。
 そのあと住宅街を歩いていると、静かな道に、ポン、ポポン、と音が響く。
あっ、これは、えーと鼓の音。耳をすますと、よぉーっ、というようなかけ声
も聞こえる。能楽の練習をしているのかな?  
  さっきサンバのリズムを聞いたばかりなので、音空間の違いがおもしろ
かった。

 来週8月28、29、30日、と岐阜の馬籠で、歴程夏のセミナーの
合宿があるので、きょうは話の資料作り。10年前に買ったプリンターの
カラーインクカートリッジが身近に売られなくなって、渋谷のビックカメラ
まで買いに行く。もうそろそろ限界なのでしょうか。でも気に入っている
しコストパフォーマンスも、新機種よりずっといいので、使い続けたい
気持ちがしている。
 
 夜、テレビを見るのだけれど、世界の果てまでイってQ、のイモトの
ファンなので、きょうはキリマンジャロ登頂のダイジェストがみられて良かった。
あの太い眉は、ライオンを威嚇しようとしてイモトが考え出したものだった!
 
 まだ腕が痛いけれど、これは首から来ているらしい。ストレッチを教わって
日に何度もやっている。はやく直ってほしい。明日からまた接骨院へ通う日々。
手抜き料理が身についてきてしまった。

詩のテラスのことを川口さんとも電話で話せた。川口さんと長電話する
ことはめったにないので、いろいろ話せてよかった。
川口晴美新詩集『半島の地図』を読了したので、一読だけどとても良かった
と感想をちょっと伝えて、作品についてもいろいろ聞けておもしろかった。

新詩のテラスは秋からです。みなさん、今度は気軽に参加してくださいね。




[ハンバーガー+パイン]

8月17日
  本格的なハンバーグの入ったバーガー店でした。焼かれたパインが
ジューシーでおいしかった。いつもは他店のベジタブルバーガーを
食べていますが、この日は特別。ちょっと贅沢。
 右腕が痛くて接骨院へ通ってます。いろいろな世間話をする人達なので
痛みが紛れ、痛いマッサージも耐えられます。
 今月末にアップ予定のポエニークの4hweels詩誌評を書き上げ、メール。
たくさん詩誌を読みました。すこし右腕をやすませたい。食事の準備の
切ったり剥いたり、掃除の持ち上げたり擦ったりがやっぱり効きますね。
こちらは休めないけど、手抜きを考えよう。いまキーボードは左手で打って
ます。ゆっくりなら打てるものです。

 ヤリタミサコさんからDMが届きました。ヤリタさんありがとうご
ざいます。その内容はまたお知らせします。

 河津さんと電話で次ぎの詩のテラスについていろいろ話をしました。
秋にはまた新メニューで! 


[敷島公園で]


五十嵐倫子さんと歩いた敷島公園は松林。
そこで詩人の漏らす感想の一言が私はとても好きです。
朔太郎でなくても、この背の高い数千本の松林の下を歩いて
いると、どこか幻想的なものがやってくるので。
五十嵐さんと新井啓子さんの一言をいつか詩の中で書きたい
と思ってます。



蒸し暑い日で、公園のそばのお店で食べたジェラートがおいしかった。
二人で鈴木志郎康さんの図録を読んでいると、お店の経営者の女性が
興味をもって話しかけてきたので図録を手渡しちょっと宣伝。

前橋文学館では小林さんに久しぶりにお会いできた。はじめて会った
とき小林さんは、昔私が発行していた手作りの同人誌『Kiss and tell』
をご存知で、とてもびっくりしたのでした。石塚利昭さん、松本圭二さん
、長谷部奈美江さんと50部くらい創っていたのです。

ちょっと寄った換乎堂書店では詩の棚に朔太郎の詩集の復刻判など
があり、鈴木志郎康さんの受賞詩集『声の生地』は平積みになっていました。
五十嵐さんが北爪さんの詩集がありますよ、というので見ると私の
詩集『青い影 緑の光』も棚にあって、まだ店頭に並んでいるのが嬉し
かったです。





[前橋文学館へA]

8月10日
 右腕が痛むので整形外科へ行ってきました。レントゲンを撮り、診察。
炎症が起こっているだけでひどくないようです。痛み止めの飲み薬と
塗り薬が処方されました。13日にはまたお盆で前橋へ行くのでこの
薬でなんとかなるとほっとしてます。ただ鎮痛薬を飲むと頭がぼーっと
してしまうのが困ります。
 6日は日経新聞7/26の鈴木志郎康さんの「わたし自身の不在に迫られる」
の切り抜きを持参。新宿から載った電車のなかで読み五十嵐さんにもみせる。
「詩人が生きた現実の事跡とを関連させて、新たなイメージを持って帰って貰えば
いいのだから、自分が生きてきた事跡と詩人やアーティストたちとの付き合いなど
を選ぶことにした。」という言葉が心にとまって、前橋文学館の展示を見ること
になりました。1階でパソコンのキーを押すと自動的にランダムに詩の一行が現れて
くる装置に感激。私はこの仕掛けをみたのは20年位前にゲーテ記念館で鈴木志郎康
さんの展示があったときだけだったと思う。全く同じではないのかも知れない。
あのときは行ではなく言葉がランダムに出てきたのかも知れない。パソコンを何度か押して
ゆるいつながりの詩、それでも詩として読めるのを面白く思う。
魚眼レンズで撮った写真は、写真展で見るよりも、詩人を意識して強い感じがしました。
特に枝の影が校庭を浚うように伸びているものは触覚が実感できました。
3階の展示にあった言葉を読むと、魚眼レンズの「距離感」のおもしろさに焦点をあてている
作品だということや、写真の四辺形は風景を切り取るけれど、魚眼レンズは切り取るの
ではなくそこに歪みがうまれる。その既視感ではない像を求めて撮るのだとあり、
魚眼ではないけれど、私がファインダーを覗かなくていいデジタルカメラで人の目の位置
から解放されたところで撮る写真で、既視感ではない、新たな見え方を像として撮れる
おもしろさに可能性を感じていることと同じなのだと心強い気持ちになりました。
3階の展示を読んでいたとき、地元のおじさんおばさん子どもたちがきて、履歴で
「大学入試の問題がまったくわからなかった・・」という辺りを声に出して読みながら、
こういうの読むと、親しみがわくねぇー、など言い合っているのが聞こえてきて、
ああ志郎康さんは、新聞に書かれていたように、きっと詩人のイメージを持って帰って
もらうために履歴に入れる言葉を気を遣って選ばれていたのだな、と感服。それは
ちゃんと功を奏していました。
 大きなパネルに展示された詩では、特に「異数の朝」が、ページを抜け出して一つの世界を
展開できていたので、より響きあう視覚的なおもしろさに引き込まれました。言葉が斜め
の傾斜や交差で流れやスピードがあり菱形のような洞があり、魚の尾のように締まってゆく
と詩は「臨海面が形成されてしまった」となる。この詩は『身立ち魂立ち』に入っていた詩。
詩誌は初めて見る初期の表紙のエネルギッシュなデザインにそれだけからも力を感じました。
椅子に掛けて手にとって読める「徒歩新聞」は現在の志郎康さんのブログの日々の記録にも
繋がるような食べ物の値段まで記されていて、驚きます。高校生のとき観た映画のリストも細かく
記録されていて、高校生から小津安二郎の映画など文芸作品に開眼されていた。
 私は先生は素晴らしい先生だけど、先生にもきっと凄い先生がいらしたのだろうと、
思っていたので、高橋ェ先生という数学の理知的な先生を知って納得できたという感じです。
詩誌『E』は月に二回発行していて、驚異しながら拝読していたことや、詩誌『飾粽』には
途中から同人になって書いていたことなど、自分の詩の来歴とも重なるところもあって
それ以前の膨大な知的な活動の流れに少しだけ合流できたことが大変誇りに思いました。



[前橋文学館へ]

8月6日
五十嵐倫子さんと前橋文学館へ行きました。
五十嵐さんのブログに詳しくあるので見てくださいね。
ちょっと右腕の痛みがでているので、痛みが収まったらまた
詳しく載せたいと思います。

鈴木志郎康さんが萩原朔太郎賞を受賞されたことで
開催されている展示会です。
8月22日、23日は映像を上映して鈴木志郎康さんの講演もあります。
ぜひ皆さん前橋文学館へ! 


[もーあしび18号が出来上がる]

8月3日
 総合誌「もーあしび」18号が出来上がりました。
「もーあしび」は年4回発行してます。
年間購読をしてくださる方は、ぜひご連絡ください。
送料込み2000円です。よろしくお願いします。
今回は私は「飛手」(詩と写真)で参加してます。

七月堂で、白鳥さん、五十嵐さん、川上さん、呉生さんと私の
5人で発送作業をしてから、呉生さんは帰り、残りの4人で
打ち上げをしました。もーあしびの人は昆虫食の人と誤解され
ているらしいですが、けっしてそうではありません。違いますよ。
同人の内山さんが遂にビートたけしと対談して新潮45、8月号に
載ったりするから、ますます間違われてしまいそうです。
違いますので。五十嵐さんも川上さんも私も食べませんので。


ところで上の写真は勝ち鬨橋の資料館の風景です。
橋が上がってゆくと奥から船が進み出てくる仕掛けです。
船が行きすぎると、橋が閉じ、しゅっーと橋の上を都電が
走り抜けます。現在は開かずの橋になっているので、
過去の勝ち鬨橋の風景なのですね。
私は橋梁を設計施工する会社で働いていたことがあるので
なんとなく惹かれ、夏休みの子どもたちに混じって資料館へ
入ったのでした。




2日は「おかえり/ただいま」のメンバーで会いました。
写真は原宿でであった猫です。原宿駅から近い新居に引っ越した
川口晴美さんのお宅、訪問!  素敵なまるでホテルみたいなきれい
なマンションに、みな興奮。神宮の森からうっすら靄がたっている
とみろを屋上から眺め、うっとりしました。
そして、芦田さん、森さん、西元さん、杉澤さん、水田さん、私、
みな川口さんちのトイレまで入ってしまったのが可笑しかったです。