今月へ



[歩行者]

12月29日
きょうのツイート
現代詩手帖1月号、多和田葉子さんの詩のコトバ「土地の名前は定住者」!!
「どこでもない紙の中に住むこと」と続いている。そうだった。
土地の名前は定住しているね。地の上、地図の上にも。 

手帖1月号、鈴木志郎康さんの詩のコトバ「庭に草が生えている/地図には載っていない」
地図に載っていない草は定住者じゃないんだ!「
人はだれも/身体があやふやだからか/地図には載ってない」! 定住者じゃない。 
    
[12月21日の満月/12月25日イルミネーション表参道]




12月25日
 近況です。
 介護保険で来ていただくヘルパーさんとだーっといっきに義母のところや自分たちのところの大掃除をして、
年賀状をプリントして書いて出して、クリスマスケーキを並んで買って、クリスマスの夕食を作って、プレゼントを
義母と夫にあげた。疲れでぼーとしてます。ケーキは並べる程度の列の店にならんだけれどおいしかった。
「菓乃実の森」でした。・・ほとんどケーキを食べない日々を送っているので、とくにおいしかったのかも。
また、久しぶりに装幀をしてくれた島田薫さんと会えたのでした。通路の展示の新作をみていただいた。

きょうの夜、夕食の片付けが終わってから夫と車で表参道のイルミネーションの間を通り
抜けてきました。あっというまだったけど気分転換になりました。渋谷へきたらトラのかぶり物
をしている人がビックカメラの前で何かくばったり子どもをハグしたりしていた。トラもあとわずか。
まだウサギのかぶり物じやなかったところがよかった。



[写真を割ってドアを開けてはいる桃園画廊の写真展]
12月21日
玄関を巨大な一枚の写真が包んでいました。
日本の庭の写真です。でもどうしてもここが玄関なのです。
でも写真が。入れない。
よくよくみると写真の中にドアの取っ手があります。そこだけ本物の物質です。
それでもやっぱりこれは高橋明洋さんの写真です。
困惑してつったていたら、後ろからきた学生さんが、がばっとドアの取っ手を
握って引き開けたではありませんか! 
展示された写真のど真ん中を割って、中に入ったのでした。
まさに写真の中へはいったのでした。
家のさまざまな空間を利用、いえ空間と闘うように工夫された展示が
なされていて、見応えがありました!
写真の選択とモノ化と展示構成は、ほんとうに難しです。
私などは感心してしまいます。

「写真合体派宣言」ムサビ映像学科 
展示の中継の中に私の詩集が! 高橋明洋さんに会えなかったので詩集を預けてきたら、
中継で桃園画廊のきさらさん(来年1月末に取り壊される家のオーナー)が紹介してくれてます。
数分間ありますが、写真の見方などとても参考になるので興味があったらみてください。



この後、東京キ現代美術館の『トランスフォーメーション』展をみました。
動画作品が多くてたっぷり3時間。呉生聡子さんと話しながらまわりました。
マシューバーニー。五台のアメ車の五芒星、フリーメイソンなど「クレマスター3」の要素が
動画や写真などで展示されていました。透明な義足をつけた女性の美しさと血だらけの
口がテーブルナプキンと接続している男。このカップルをみていると身体の曖昧さや
知らない間に内在している人間の身体の変容を突きつけられるようです。
生きものを食らう口は動物の血しぶきをあびている。みえないそれは拭き取ることが
できない・・というように。
通路にながーくひっそりと展示された切り抜かれたシャツや靴下、ならべられた細かいモノ
鼠、白い紙皿、洗濯バサミで干されている虫、赤い糸の蜘蛛の巣など、面白いなーと
思いながらみてゆくとサラ・ジーの作品だった。さすがです。
きょう残念だったのは帰りにお茶する時間もなく返ってこなくてはならないことでした。
いろいろ話したかったです。





[首をかしげる癖]

12月14日
猫は詩のなかによく登場する。朝起きると、キッチンで何か食べたい
と言われるので、よくめざめていない私にするっと入りこんでしまうの
かも知れない。奧のミケは前にいるシロの母猫。仕草などどことなく
似ている。

井坂洋子さんの詩集『嵐の前』を読む。
「ゆうらんと時間」がすぎる。これは詩の世界の感触。とても面白く味わい深い。



[イングリッシュローズ]

12月11日
 これは何ですか。花屋さん。イングリッシュローズです。家人のお祝いに買って帰る。
霧吹きで枯れないように霧を吹く。猫がびくっとして逃げ腰になる。フッーッ、という霧吹き
の音は、猫の威嚇音ににているらしい。
 
 毛利珠江さんが花のシリーズで詩集『みみぱぁまぁ』をだされた。
 花との関係は、手入れして育てたりしたものだけではなく、さまざまな出来事の記憶に刻まれていて、
花をきっかけに、詩を書くことは、出来事とつながる内面世界を自らを解きあかす、或いは問い詰める、
或いは解き放つ時間だと受け止められました。そこがわたしにとって価値ある詩集です。
 こうした詩の成り立ちなのに自分につきずぎていないところが素敵です。


[首都高へ沈む]





12月9日
 夜の国道246沿いを歩いていて、見上げると月が光を反射させていた。
月は天空から離れるように、この夜、首都高速道路へと沈んでいった。


[ぱたぱた]

12月8日
 気持ち良く晴れた日には、ぱたぱたと洗濯物を振って、すっかり干してしまおう。
窓からみえた知らない人の両腕。何度も何度もいろいろな布を振るたびににゅっと
腕がのびて、生活を祝っているようなのどかさを振りまいてくれた。

 現代詩手帖年鑑で松尾真弓美さんが、拙詩集について書評欄で論じてくださっています。
今回は私も年末のアンケートに答えました。代表詩で載った作品は「月の瞳」でした。
 多くの詩人の方がアンケートで私の詩集を10冊のうちに上げてくださって、とても嬉しいです。
 今井さんが「うすいー」にして「うすーい」としなかったことに気付かれていて驚きました。
 またいちばん若い文月悠光さんが、「みずみずしく、氷りを削ったような風景」とコメントしてくれた
のにも驚きました。元気が出ます。
 


[日大芸術学部で特別授業]

12月1日
昨日は日大芸術学部で特別授業をしてきました。
詩の言葉もデジタルカメラでとることも社会化され習慣化された人の見方を突破するのに有効だ
という話しを少し。詩+写真のスライド上映+朗読。その後、学生さんが質問や感想を書いてくれて、
それにそって話し合い。充実でした。

『3月の呼吸』DVDと「月写真スライド上映と詩の朗読」を鑑賞してもらいました。
学生さんが投げかけてくれた言葉に、私の力不足で分け入って話せなかったのが反省点です。
私の方がたくさん学ばせていただきました。ありがとうございました。
学生さんの感想抄
「写真に言葉がついているわけでもなく、言葉に写真があてがわれているわけでもないのに
どちらもすっと溶けていくみたいだった。最近、写真集に言葉をそえた写真集(詩集?)みたいなものを
多く見かけるが、そのどれとも違う、どちらも独立している、なのに自然でステキだなぁと思いました。」

「写真はそれで、詩もそれで成り立っているのに、うまく調和していると思います。」

「短編小説を読んでいるような気分になりました。しかし、聞いているのは詩です。
なぜ短編小説を読んでいるような気分になったかと言うと、それはやはり写真の影響が
大きいのだと思います。様々な時間帯の様々な月を見ることによって、そこで生活している
詩の中の人物が浮かび上がりやすくなったことによって一つの物語を聞いているような
感覚を覚えました。しかし、冒頭で述べた通り聞いているものは詩なので、本当に
不思議な気分になりました」

「北爪さんの詩はすきまがあって時折心地良い。朗読は聴いている者をも一緒にかけ出させるので、
私は必ず、途中途中で置いていかれる。(留まれないのが少し辛い) また我にかえるかのように、
再び共に駆けていく。」