今月へ

2014年2月分

[早春のピンク]





2月27日

まだ雪がいつもの道の端に残っているので、冬だとばかり思っていた。
目をあげれば、明るくピンクを開きながら咲いている春の花たち。
季節は枝に映って移る。早春のピンクは塞ぐ気持ちを開いてくれる。
上は梅。下は椿です。

●池田康さんが主催する詩と音楽の雑誌『洪水』13号の「雲遊泥泳」というコーナーで、
南川優子さんがパリ、ビジュアルポエジー展(ギャラリーサテリット)を採り上げ、
私の作品についても触れて書いてくれてます。作品だけパリに行ってもらったのでした。
サテリットのサイトの写真をクリックすると大きくなります。
ヤリタさんの「非」という文字がさまざまな場に立っているのが面白そうです。
あれらの作品をいつか見せてもらいたい。





[ミヒャエル・ボレマンス展「アドバンテージ」 原美術館]

2月21日

ベルギーを拠点に活動するミヒャエル・ボレマンスの初の日本での個展。
エッチングや写真から絵画に表現を変え、評価が高まっている。
静けさと、謎めいた気配と、不透明さ。現代社会に生きる人の屈折と内面が
シュールに描かれる。

マグノリアが咲いていて、時間がたって枯れ、花びらがテーブルに落ちている。
花器には水があるのだろうか。花器に目を移すと、透けているのだ。後ろの壁が
透けて見える。ギャラリーの同じ部屋の奥には「one」というタイトルの女性の横顔の
上半身が描かれていて、顔だけくっきりと描かれ、肩のあたりから、腕も体も半透明
になっている。
人が何か思ったり、考えていたりするとき、その人は、ややそこにいない。
その場の時間ではない時間を巡っている。記憶というと過去に思えるかも知れない。
けれど、記憶はどこかにコツンとあるものではなく、考え、思い起こしながら、作って
いるものだ。その思念の空間は、そこにある時間は、(時間といえるのなら)いったいどんな
ものだろう。わけのわからない位置、広がり、範囲。つかめないものだらけの中で、
それでも私たちは、確かに記憶を辿る。思い悩む、考える。体が生きて呼吸しながら
体の内がどこかへ行っている。見えずらい体感だろうか?捉えきれない感情だろうか?
そこは、まだくっきりとは生まれていないが、それはどうも言葉と共にある空間ではないかと
思える。
「ナイフ」という作品では、蒼い服を着ている女性がうつむいているのだが、その服が
ナイフで削られているように(絵の具をナイフで削ったのだろうか、そのような見え方を
残している)穴が数カ所、開いている。特別な暴力の気配はない。ただ服の生地に穴
が開けられている。完全ではない私たちは、見えない穴だらけの服を着ているのかも
知れない。ナイフは、人が、ある身に起きた出来事を追求してゆくなかで、くっきりと
刃となって光り、それによって、メタのナイフに削られ、穴が開いてしまうのかも知れない。
作品は静かで、うつむいた顔から表情は見えない。それだけに、絵画を見た者に
投げかけられる。私の服にも穴が開く。


[曇りのように]



2月17日

大雪の影響で、スーパーに買いたいものが一部なかった。テレビで雪に閉ざされた村や、道路の車など
を見るたびに、天気が暴れ出している恐さを思う。ツイートする助けを求める人の言葉を読んでも
何もできないもどかしさ。それでも発信があれば、広く知らせ、情報をもらったり、対策の役に立つから
ネットを纏める人と、援助を動かす人が繋がれば、速い救済ができるようになれるだろう。無意味なわけじゃない。

写真は1月の晴れた日の北関東。晴れていると言っているけれど、曇っているように見えるじゃないか、
と思われることだろう。それでも晴れているのです。冬の強風で関東ローム層の土が舞い上げられ、
あたりを煙に巻いたようにしてしまう。このことを「土曇り」と言ったことを先日、高崎線の電車に乗っていて
年配の人が話している声を聞いて、はっと、思い出したのでした。私の冬はこんな土曇りの日がよくあった。
土だらけの私の冬だ。

[近所で]



2月16日

昨日の、近所の雪かきは、こんなふうになってました。建設中の業者の人が雪かきしたのだろうか。
図面をひくようにきちりと雪かきされていて、目をみはりました。
わずかだけれど、私も道路の雪かきをし、軟弱なことに少し肩に違和感。
塗るタイプの湿布薬を使いました。


[海に映る]








2月12日

三崎港の船があざやかな色を海に溶かしている。
海面近くを風をきって飛ぶカモメたちは、水面を滑る鳥の影を別の生き物のように生き生きさせる。
水面を裂いて進む船の泡立つ波の上には日光は光そのもの。光る海面に飛び込んでみたくなった。


◎お知らせ

2月の共同通信コラム「詩はいま」に、加藤思何理詩集『すべての詩人は水夫である』土曜美術社 、
浅山泰美詩集『ミセスエリザベスグーンの庭に』書肆山田 、渡辺慧介詩集『背後の色彩』榛名まほろば出版 、
について書きました。各地の新聞に載りましたらよろしくお願いします。





[ソチ開会式画面/雪をのせた葉の手]







雪をのせた葉の手


2月9日

ソチオリンピック開会式を全部見てしまって朝になったのでした。
LEDのふかふかの服を着た人達の赤や青の光が消え、ふかふかの白い服
になったところは、どうも羊がたくさん並んで立っているようで、不思議な感じ
でした。「ワタシはカモメ」と言った女性宇宙飛行士のテレシコワがオリンピックの旗を
持っていて、あのテレシコワだ! とちよっと興奮。しかし日本の宇宙飛行士の
向井千秋さんは「天女になったみたい」と言ったので文化を感じたのもです。
思えば現代アートでは森万里子が天女になって(衣装を身にまとって髪を結って)
舞っていた。あれも美術館を変わった空気にしていた。ポンピドゥセンターでは
森万里子は都市の高層ビルを思わせる無機的な風景のなかで、楕円のカプセル
の中に横たわっていて、これもSF的な変わった異世界を引き出していておもしろ
かった。ソチの競技場の楕円の屋根もSF的で、カプセルのようなカーブの中には
LEDを身にまとった人たちがくるくる回っていて、とにかく浮遊しようとファンタジー感
を盛り込んでいるようにみえ、LEDで白く輝くトロイカの馬も空中を浮遊して地の
泥に足を汚さないようにしているのだった。

テレビ画面を撮っていたら俯瞰した照明鮮やかな競技場に、聖火の灯った聖火塔
が一瞬ダブルで映ったのでした。
もうフィギュアの団体戦で男子ショートの羽生結弦くんが凄い演技で一位発進していた
のでした。雪も降り出していて、ドラマチックな冬のオリンピックのはじまりの夜でした。



[波立つ水面をはるかに]
















2月7日

三浦半島、三崎港を巡る。

水面を走ると空が近くなった。
鳥たちもすぐ近くを飛ぶから、デーキの吹き抜ける風にあらがっていると
鳥の浮遊する速度につられ、揺れ走る水面を浮き上がり、まるで飛び立って
しまったように感じる。カモメはしっかりこちらを見ている。黄色い鋭い嘴のカモメは
しなやかな白い翼をさまざまに波打たせ、船とぴったりの速度にしたり
不意に高くのぼり離れてゆく。少し後から、巨大な翼を広げトンビが追ってくる。
猛禽の容姿のトンビが近付いてくるとさすがに恐い。思わず身をかわしてよける
仕草をしてしまう。
船は少し沖へでて、撒き餌するところまで海を走った。







[ゆうぐれの三崎港]















2月3日

三浦半島、三崎港のゆうぐれ。
オレンジと金。
銀とグレー。
世界は時間にこんなに着色されてゆく。

鳥目というけれど、港を飛ぶ鳥たちは、ずいぶん暗くなるまで
いつまでも空や水面を飛んでいた。

体の内側がすっかりオレンジ色になって冷たく澄んでゆく。
ここの夕暮れは人をおきざりにして落ちてゆく。
速い。速い。
何をしようとしていたか、思い出せなくなるほど
シルエットになった鳥に通過されて
速度のとりこになっていた。
鳥にも夕日にも追いつけない。