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2014年6月

[Googleマップ ストリートビューの撮影車がいた/野川朗読会のお知らせ]


家への帰り道にストリートビューの撮影車がいました!  
ほんとうに走って撮影しているのに初めて出会いましたが、こんなに堂々と
ストリートビューの撮影です、と分かるように走ってるんですね。
もっとこっそり撮影しているのかと思ってました。




野川朗読会5「魔法の言葉」 
●7月21日13:30〜
●成城ホール集会室seijohall.jp
資料代1000円

野川朗読会に出演します。
どうぞお出かけください。
ポエケットで販売したフリーペーパー「THE MEMORIES」(写真と詩)13×54p(200円)も
持ってゆきますので、声をかけてくださいね。
(今回もDMの写真を担当しました。猫は空き家をのぞき込み、魔法の言葉で
海で泳ぐ魚を呼び寄せる異空間の通路を開いているところです。
魚がたべたい! と。)




[詩「シーツを掴みます」]    

           シーツを掴みます

           
また こわいのですか?

こわいです。割れそうに。
どこにいるのか、わからないのでこわいです。
薄暗くてばらばらに散りそうです。どこかへ散ってしまいそうです。

どうしたらいいでしょう?

とっさに掌で何かに触れます。
すると手にシーツの布が触れます。
ひんやりと冷たい布を掴み、
ここはベッドの上で、ワタシは眠っていたのだ、と、言葉を思い起こします。
それで体が抱き起こされます。
肩を撫でてみます。腕を撫でてみます。
ワタシがいるようです。

あいまいですか?

おぼつかなくて。 
暗いのに あたりが半分透けて。 朝なのに 薄暗くて。

もう半分起きたのでしょう?  朝だから。

どのあたりから半分なのか 震えが伝ってゆくれけど
二つの足は一つにはなりません。スリッパが二つあります。
二つの目は一つにはなりません。
 
それで夢から覚めるのかも知れない
右目と左目で みる夢がズレて 
裂け目から 零れ出る
ワタシが手を伸ばす

こわいからシーツを掴みます。
こわいから
顔をあげます。
毛布を剥ぎます。



[第一回「前橋ポエトリー・フェスティバル二〇一四」レポート]
 
  「共感・共鳴」による詩への市民参加               
                                                       北爪満喜
        
 二〇一四年五月十日 から二五日の十六日間、前橋文学館を中心に六会場で前橋ポエトリー・
フェスティバルが開かれた。主催は芽部と前橋文学館で、芽部はオープンしたばかりの美 術館
アーツ前橋のアートスクールの受講生たちが立ち上げた団体だ。ちなみに昨年二〇一三年三月
に前橋のミニギャラリー千代田で開催した北爪満喜展『記憶の 窓は水色の枠』(詩と写真)も芽部
の企画による。便利な街なかのギャラリーだったので、近くのアーツ前橋の館長住友文彦さんを
はじめ、アーティストや詩 人、商店街の人々や、知り合いや、中学や高校の同級生などさまざ
まな人が足を運んでくれた。
 
 今回の前橋ポエトリー・フェスティバルは、芽部の若い人たちが、部活のように企画してきた
展覧会やトークイベントやオープンマイクなどの経験が役立てられた。そこで培ったノウハウや
人間関係をフルに使って開催した。部活のように、といったが、実際に前橋市はアーツ前橋が
できるときに、その関連でアーツ桑町という街なかの一軒家を市民の活動のために解放してい
る。そうした助走があったのは幸運だった。助走を生かせたことで、初めての長期間のフェス
ティバルを成功に導けたのだった。 
 
また、フェスティバル開催に向けて参考にしたのは美術界だと、芽部代表の詩人の新井髏l
さんはいう。「今やる意義=この時代に開催する詩のフェスはどうあるべきか」「地方における
詩人の高齢化と若手詩人の減少、ネットとリアルの関係」さまざまなことを考慮して「詩のフェス
(イベント)の新しいロールモデルを模索」した。そんななか、「都市や農村全体を活用した地域
アートイベント(越後妻有トリエンナーレ、中之条ビエンナーレ等)が盛んになり」アートファンの
裾野が広がったことに着目。「これを踏まえ、街なかの複数の会場で、長期間にわたり、多彩な
クリエイターが詩をモチーフに表現を繰り広げ、観客も街なかを回遊してプラスアルファの要素を
楽しむことができる、いわば地域アートイベントのポエトリー版のような形態を考案した。」のだっだ。
著名な詩人を揃えて集客を図るのではなく「共感・共鳴」により出演者や参加者が集うことに意義
を見出し、そのことに重点を置いた。
 
 会場は、前橋文学館、アーツ桑町、煥乎堂書店、アルキロコス、交水社、FRASCO、の市内の六会場。
  実施イベントは次の通り。
 @北爪満喜展 キオクの鏡(詩と写真)
  A前橋の風景を詩にする〜前橋周辺の詩人による(詩 と写真)のグループ展
 B「ANOTHER VIEW 見る朔太郎   クリエイターによる朔太郎詩のビジュアル化展」
  C「モノクローム・ワールド  切り絵と詩のイマジネーション」
  D「この展示はフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません。 空想する家」
  E「お散歩写真・お散歩ことばワークショップ作品展」
  F「HOWL TO THE MOON 朔太郎をうたう   朔太郎トリビュート演奏会」
  G「お散歩写真・お散歩ことばワークショップ」
  H「ポエトリー・カフェ   詩について自由に語ろう」
  I「ダンス・のをあある ? 朔太郎を踊る」
  J アーツ桑町展示レセプション&桑町トーク
  Kマエバシ詩学校 テーマ『詩はどこにある?』(50分(1コマ)×5コマの講義)
  L「飛び入り自由!詩と音楽のオープンマイク」
  M「クリエイターによるセレクトブックフェア」
  N 連携企画「シイナイト」
 
  出展者・出演者は詩人だけでなく、美術家、デザイナー、ミュージシャン、ダンサー等多彩な
クリエターが参加することで裾野を広げた。また今回は、前橋のキラーコンテンツである萩原
朔太郎の詩を前面に押し出した。近代詩歌俳句から創作された漫画、清家雪子の『月に吠え
らんねえ』も展示。
  出展者・出演者約六〇名、集客でいうとオープンマイク約五〇名、マエバシ詩学校約三〇名、
演奏会約五〇名、ダンスイベント約三〇名の参加、展示は推定数百名という、詩への多くの
市民参加が得られた。
 
  ゆるキャラ「アオネコ・ブラザース」が水先案内したのもユニークだった。私はポエ・フェス期間中は
ずっと週末毎に前橋に通って、様々な展示を見たりイベントに参加した。そして最も印象に残っ
たのは、いわゆる詩人が中心ではなく、アーティストだけでもなく、様々な人が詩のイベントに
チャレンジした勇気だった。例えば書店員、カフェの経営者、新聞記者は、それぞれ販売や
記事を書くことではなく、みな詩を書くために集まった。そして、詩と関わることのために力を
出し合った。それは私にとって新鮮な出来事だった。多くの人が、忙しい時間を工面して、
詩と関わり交流したのだ。
 
 私は前橋出身の詩人として呼ばれ、北爪満喜展「キオクの鏡」(詩と写真)を前橋文学館3階
オープンギャラリーで展示した。またイベントでは、マエバシ詩学校で一コマの講演をし、
オープンマイクで詩の朗読をした。詩について自由に話すポエトリー・カフェや、クロージングパーティー
にも参加した。
 
北爪満喜展「キオクの鏡」の、搬入搬出では美術館に勤務している芽部の女子と詩誌「ポエモーション」
の若い詩人菅沼順子さん、真鍋苑子さん、片桐桐子さん、が手伝ってくれて照明の設置や展示などの
作業をした。同じ階では「ポエモーション」の浅見恵子さんが他の展示の手伝いをしていた。また切り絵
作家のたいりじろーさんにタイトルを飾る切り絵を制作協力してもらった。詩作品は、ちょうど前橋で
育った頃の家族の連作に取り組んでいるので、『家の周りをぐるっと回って』『鏡面』『プラネタリウムの記憶を貼る』
『交差』の詩を、写真とともに展示した。またすでに銀座の通路で展示していた詩と数枚の組み写真『風と』
『登る彼女 登る月』も写真を精選し直して展示した。そんななか、搬入の当日に、FM群馬でポエトリー・
フェスティバルの宣伝を放送してくれることになり、急遽新井さんと若宮町のラジオ局へ収録に向かうありが
た い出来事があった。                               
 マエバシ詩学校は、「詩はどこにある?」というテーマで齋木館長、河野聡子さん、広瀬大志さん、私、
生野毅さんの五人の講師が五〇分1コマの講義を行った。朝9時代から夕方4時まで5コマあり、そんな
熱心な参加者がいるのかという危惧をよそに教室いっぱいの聴講者が参加してくれた。私は「詩と写真」
について講演。見ることと意識することなどについて話し、萩原朔太郎の写真についても触れた。少し時間
が余ったので、次の休憩と合わせ、3階の私の詩と写真展を見てもらう。後ほど、言葉まで受け取ってくれた
感想を頂けた。マエバシ詩学校は、5コマ全て聴講した人に修了証を授与して終了。齋木館長の真摯な
詩の言葉と向き合った講義も印象深かった。
 
  前橋ポエ・フェスに毎週通ってみて、結果的に私は様々なイベントの質の良さに驚嘆することになった。
「前橋の風景を詩にする」は、作者が前橋の写真を撮り、詩を書く展示だが、前橋っぽい風景などはなく
、各人のまなざしに即し詩と写真を立ち上げていた。散歩の写真+言葉のワークショップでも、絵はがき
のような写真は一切なく、焦点の合った言葉と機知のある写真が一対になって、開放感さえ醸していた。
またクリエイターによる朔太郎詩のビジュアル化も、詩はどのように読み取ってもよいのだ、ということを
多様な独創的な作品を前に、改めて実感できた。透明な箱に植物がひしめく作品や、浮浪者が時計を
抱えて立つ緊迫感ある写真などに、特にはっとさせられた。老舗の煥乎堂書店では、切り絵と詩の展示
コーナーが設けられていた。黒一色の繊細な切り絵は、平面なのにある種彫刻のように迫ってくる。
詩は切り絵の世界に向き合って場面を広げるような言葉となっていて面白かった。また煥乎堂書店に、
参加者が推薦する本のコーナーが作られ、それぞれ凝ったポップを手作りしていた。だが早くも一週間後
には推薦の本は半ば売り切れという事態。最終日のアルキロコスでのオープンマイクでは、会場の外から
ゆるキャラ「アオネコ・ブラザーズ」が迎えてくれた。まず東京や神奈川や埼玉、栃木など、遠方から訪れた方々
から朗読。ギターやキーボードはもちろん、ハープのような楽器や琴まで入って、弾け盛り上がったのだった。
 総じて、アートイベントを参考にして開催された長期間のフェスティバルは、詩にとって開かれたよい
イメージを残してくれた。本当は言葉は求められているのではないだろうか?広告ではない言葉は、
求められている、と思えた。今回の試みは、出展者・出演者や参加者に親しくて大きな起点となって
くれたように思う。今後も前橋ポエトリー・フェスティバルが地域に根付き、幅も広がることを祈りたい。



[新パソコンではじめました]

6月22日

これから新パソコンで更新してゆきます。
まだ、慣れていないので少しずつ更新してゆきます。

[井坂洋子さんのエッセイ集『黒猫のひたい』]



6月7日

井坂洋子さんのエッセイ集『黒猫のひたい』幻戯書房刊は、20年くらいの間に書いたものを集めた、
とあとがきにある。
どれも井坂さんの日々や人や詩を見るまなざしが、しずかに豊かに息づいて、珠玉のエッセイ集です。
そんななか、「詩人たちのことば」の章に、私の詩について触れてくださっている。
引用は詩集『飛手の空、透ける街』の「一粒の雨とブドウの実」についてだった。そして「表面張力 並べて」
の言葉についても触れて、「「水」というのではなく、「滴」の一滴に注目した希有な書き手だ。」と書いてくださった。
この章には、森原智子さん、牟礼慶子さん、中本道代さん、吉野弘さん、荒川洋治さん、山之口貘さん
辺見庸さんの言葉が引用されている。そしてラストにルワンダでゴリラを研究していた女性研究者ダイアン・フォッシー博士
の言葉も、忘れられない言葉としてあげている。このような中に、私の詩が、と思うと大変光栄です。
ありがとうございました。
「逢魔が刻」では大島弓子の『たそがれは逢魔の時間』について、「乳母車の老人」では森茉莉さんの作品について、
「放浪の果てに」はエリック・ロメール監督の映画「緑の光線」について、などなど引き込まれる内容のエッセイが
たくさん。とても面白い一冊です。


[マエバシ詩学校5/25の風景]











6月1日

この日マエバシ詩学校が「詩はどこにある?」というテーマで開かれました

マエバシ詩学校ではまず齋木館長が、詩のことばとは何か、詩人の言葉から考えて、ご自分で若い頃、
作詞作曲した歌をギダーを引きながら歌う、という、真っ向から向き合ったパフォーマンスをされました。
驚きつつ、すごいことだと感動。
河野聡子さん、広瀬大志さん、私、、生野毅さん、の順で50分ずつ、全く被らない別々の魅力的な内容
の講義をしました。
4階の詩学校の教室は満員。朝からはじまって、西陽の入る窓になる。でも木々の緑が揺れる大きな窓がずっと
解放感をあたえてくれていました。
全て終わって、修了証授与、お疲れさまでした!

マエバシ詩学校の講義内容の全ては、いま文字おこしをしています。
ご覧になれるようになったらまたご連絡します。