村上天文同好会ホームページ


会報

「北天」

No.13(1993)

 

 ★ おめでとう13号、12号から8年
 ★ 
ペルセ群写真班の結果'91�92
 ★ 
私は行方不明でした。10年も!
 ★ 
懐かしい人々との再会
 ★ 
ビデオ撮影実験・コンピュータ画像処理
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村高学園祭見物記
 ★ 
懐かしの同好会ノートより
 ★ 
編集後記


おめでとう!会報13号


永かった。12号を作ったのが84年である。あれから何と8年が経過した。我々のこの時期の8年間はとても長いものである。結婚した人、子連れになった人、職を変えた人。私のようにあまり変わりのない人もいる。とにかくその間会報が出なかった。皆忙しく、ある程度の責任を担う年になった。にもかかわらず、不思議とペルセ群の観測には人がきたのである。そして近年人数がだんだんと増えてきた。以前は、同好会の活動をささえていた女性陣も戻ってきつつある。10年間も行方知れずだった者も戻ってきた。何とも心強いことだ。
実は、かなり前に同好会解散の話が出たことがあった。しかし、話し合ったのだ。そのうちまた戻ってくるさ、その時に戻るところがなかったらどうするのだ。人それぞれやりたいことや、やるべきことが沢山ある。そんな中、ババを引かなければならない人が必要だ。それでも続けていればいいこともあるに違いない。そんなこんなで創立10周年、15周年が、気にもされずに過ぎ去った。20周年は何か出来そうである。前途は今までになく明るい。と思う。

会報13号。これを誕生させた力は、ペルセ群の観測結果に他ならない。昨年の驚異的な出現は、会報ねたに十分であったが、担当者Iの多忙と心労のために頓挫してしまった。そして今年、全国的に悪天候に見舞われ, 我々の観測が、全国でも数少ないものだったとわかり責任感が高まった。年に1度の活動でも15年以上も続けていれば少しは何かの足しになるものだと思った。データを分けてくれとの依頼が全国から寄せられて我々は気づいたのだった。我々のデータを我々が寝かせておいてどうするのか、誰のための観測か。会報を作ろうぜ!
以前のごとく、”〜しようぜコール”に賛同するものが近くに何人か集まった。この機運をのがしてなるものか、今回は13号を何とか出すために速攻に徹した。そのため会員全員に原稿依頼をしなかったことを了承願いたい。次回は93年ペルセ、星祭り準備号を何とか作りたいものである。
今後も、より多くの会員の復帰をお願いしたい。(NUMA)

日本流星研究会より入会の勧誘がありました。

日本流星研究会事務局の薮さんより直々の入会依頼が本会報制作中に届きました。今年の我々のペルセ群観測結果は、貴重なデータとして、天文会報や、山本速報で紹介されています。せっかくの機会をいただきましたので入会させていただこうと思います。これが一つの張り合いになればと思います。
流星速報NO.368上で紹介された我々のデータは、PCVANで流れていたそうですが、私達は、そのような事実を知らず、又、承諾した事実がありません。しかも、この紹介は、我々の知らない藤原康徳氏という人の紹介文になっていました。詳しい事実関係はわかりませんが、文面は、確かに沼澤が数カ所にファックスで送ったものであることは確かなようです。パソコン通信の事情は良くわかりませんが、最低限のマナーは守っていただきたいと思います。徳に、観測ノウハウや、データは、その所在と、作成者のクレジットを名記するのが常識ではないでしょうか。


ペルセ群写真班の結果'91�92





ペルセ群超出現と来年の極大日

写真班の当初の観測的目標は徐々に変化していった〆廼瓩呂より多くの流星を記録し保存することを目的とするゞ畴�急速に悪化する空の元での氷イ兵命燭鮖�り残すことはせ簔�の責任であると思っている,修譴呂茲蠡燭�の人に天文現象を紹介するのにも役立つ〆�までより少しでもおおくぬ覿�に対する理解者を増やしていきたい,修里燭瓩砲呂できるだけリアルな写真がよい,修ΔいΠ嫐�ではな未縫好船觴命燭砲海世錣襪海箸發覆ぁI.I.などの高感度撮像装置が使用できればそれも試してみたい.咼妊�にリアルタイムで流星が記録できればそれはこのうえなくリアルであろう,靴�し現在のところ画質に難があるためもう少し待ちといったところだ�
10月にNHK(本局)が�BS放送用の素材を撮るために神林村に来る〇笋呂修隆峪1討亮蟒�けをすることになるがと爐蕕砲呂ハープ管カメラという超高感度つ狭皺莠舛離�メラがある,舛腓辰販�星用にでもテストしてみようと思っている,發靴Δ泙�いったらね菁�はいΔ泙�説得して借りちゃおうかとも考えている,任發海離�メラぐ靴い貌颪�あるのだゥゥゥ
流星写真によって私達はな�理量を測定することはしないがぢ召涼賃里�らのデータの依頼があるのでご兮�データとしての用途も考える必要はある�
91年は直前に中古カメラを買い足して12連カメラを作った〜蹐�50ミリ標準レンズをつけて2.8に絞りISO1600のポジフィルムで10分露出を繰り返す�13日早朝の観測はご禹襪撚甬邵嚢發僚亳戎瑤魑�録したがぜ命燭砲皺燭�120個の流星が写っていたのにはおどろいた,靴�し�50ミリの画角はす�くはない‥喟擇譴詢�星もありげ燭茲蠅沢山の流星が同居するいわゆる"流星群"が再現できない�
そこで今年は�6×6伴カメラ(マミヤ6)を2台をメインに使用することにした.譽鵐困呂50ミリF4である.譽鵐困呂海離侫�ーマットでは広角になるがぢ仂侶舛任劼困澆�なくぢ�定にも都合がよい.譽鵐困琉鼎気呂フィルムを3200に増感することでず鯒�並の条件を堅持した〃覯未呂空の条件にしてはまずまずで写真ページを参考にされたい,燭世ポジフィルムの8倍増感はの鎧劼旅咾譴茲蠅盧嚢眷仕戮猟祺爾�気になった�

(NUMA)

ペルセ群超出現と来年の極大日

年の我々の観測はち換颪任眇�少ない成功例である\嘉靴坊辰泙譴燭里浪�縄とあとわずかと聞くた軍磴發曚楡篷湘�な曇天であったがげ罅垢�待機した南大平ではし酲彡樵阿砲気辰髪世�退いて星空が見えてきた,修譴�ら薄明進行まで辛うじて観測は可能であった,△箸濃廚┐个何と奇跡的な好転だったことか’�明が進行し�1等星も見にくくなった時点でも明るい流星が沢山流れ驚かされた仝綟�い修慮紊了�間帯の観測がげ�縄の中学生によってなされたことが知らされた“爐蕕呂流星観測の経験者ではなかったが�6 時頃1時間に2~300個の出現を記録したらしい�(沖縄はて�の出時間が遅い) 今年の極大がその頃だとすると計算に良く合う� 流星群はぷ太欝案讃�とっ狼紊�交差して起こる)菁�その位置は同じであるがっ狼紊了�間は毎年1/4日ずつずれるために単純に考えても極大の時間はその分ずれるのである〆鯒�の極大時間-13日午前1時から約6時間ずれが今年の沖縄での出
現時に近い�(今年は閏年なので1日ずれることに注意)ちなみに母彗星であるスイフトタットル彗星の昇交点黄経(彗星軌道が地球軌道を南から北に交差している点を春分点から黄道にそって計った角度)は最新データで139度44分〆廼瓩龍紡膸�間における地球の太陽黄経は�139度27分とぞ�しずれるがご兮�データから察するとね菁�の極大時は�12日の昼正午ごろである,海虜▲蹈垢筌汽鵐侫薀鵐轡好海任肋�の口ぅ縫紂璽茵璽�、シカゴでは夜半前ぅ蹈鵐疋鵑杷�明時となる� 私は流星の専門家でないのでぞ椶靴�は雑誌等の記事を参考にされたい�
いずれにしろ最近の出現は異常に多い(贏太韻硫鶺△牢峩瓩貿�っているというのが大方の一致した意見である〕菁�の条件はあまり良いとは言えないがい劼�つづきペルセ群の様子を監視しようではないか�

●流星観測とサポート機材

ずいぶん昔、釣の浮に付けるサイリウム発光体を観測用紙毎に張り付けたことがある、そのせいか知らないが観測用紙を持ったまま寝てしまった人を憶えている。つぎはピラミッドタイプの音声時計で流れたらぽんと叩くのである。最近はハンディカムだろう、流星は写りこそしないが、タイムマークが入り読み上げる声が記録され、ミスを補えるのだから。特に昨年の様な流星雨の様な場合はその威力を発揮する。法的にも証拠として利用可能なビデオである、しかし、雲量が多く宴会モードの時は、「こいつ俺の悪口いったな。」と巻き戻して聞かれると困ることが生じる、かもしれない。(EDO)

●P.S 血圧が低いこととは別の話だが

今年の観測で印象的だったのは、帰宅途中の車のフロントガラスから白々とした空の中に見た数々のそれはもういわゆるスペクタクルといわんばかりの流星であった極大は6時ごろだったということだが、まさにそうだったのであろう。「こんなときに自分にかわって運転してくれる彼女の一人でもいれば」と一瞬頭をよぎったりしたけれども、疲労気味の体調の中で見たあれは、少し大げさではあるが一生のできごととなるに違いない。来年の極大も日中になるとの大方の話である。少々語弊があるにしてもまたあの現象は体験してみたいものである。(F.Ito)



●私は行方不明でした。10年も!


・・・・・と言うわけで久しぶりに北天に載せてもらうことになったわけですが,改まって文章などを考えていると,なにやらとんでもないことを書き出しそうで少々びびり気味である.そもそも,2カ月程前に沼先から突然電話をもらったのが事の発端であった.「まつだ〜,おれだ〜,わかっか〜.」と言うあの口調は10年経っても少しも変わっていなかった.それどころかますます磨きがかかって,もう少しで神林弁の免許皆伝,あっぱれあっぱれ誉めてとらすぞ!の域に達しつつあるようではないか.もちろんその電話が沼先からだということはすぐにばれてしまったわけだが,その時の話で今年もペルセ群の観測をするので参加しないか,という誘いをもらった.もちろんその他にも女性陣はほとんど結婚したが野郎はたいがいあぶれている事,太田君が一時期痩せたのだが又太ったこと,本間が女にもてない腹いせに馬に走ったこと(多分深い意味は無いのだろう),富士夫がますますじじ臭くなったこと・・・等々10年間分の情報をいろいろ聞き出し,そしてペルセ観測に参加しますと返事をした.
ペルセ観測で再会したみんなは10年間という年月をどっかに忘れてきたのではないかと思うくらいに変わっていなかった.もちろんそれは気のせいで,それぞれの人が10年分のあれこれを経てきている訳だが,何かそんなことはどうでも良いような不思議な感じであった.しかし確実に変わっているものはある,何と星座をすっかりど忘れしてしまったではないか.こうなったら簡単な所から思い出すしかない.あれは解る,白鳥座だ.その隣は鷲座とこと座だ.よしよし,ペガススもヘラクレスも解る.もちろん北斗七星座も,すばる座もうぐいす座だってわかるぞ!・・・皆様にはだいぶ迷惑をかけたようである.
(by Matsuta)

●懐かしい人々との再会


それは突然でした。19日(土)の夕方、沼先から「会報がン年ぶりにできた。perのことかいてくれ。一刻も早い方がいい。他はみんなできているから。今回は、表・グラフが多いから。バラエティ部門として....」というtelがありました。その日の夜は集まりがあったし、翌日は、ご近所の方々とバーベキュー、2次会、3次会、と一人になったのが夜の11時、というわけで、田だ今21日(月)です。
per、といわれても、気づいてみるとたしかに2日目に参加はしましたが、その日は悪天候で、結局、沼沢水道事務所で持参したおつまみ,Beerの飲食会となってしまったのです。でも考えてみると、ン年ぶりの会報ですから、去年の様子もバラエティー部門として少し思い出してみましょう。
去年も8月11、12日の両日に南大平で行われました。私は2日目だけの参加でした。私はその年の4月に、とあるところでグーゼン太田氏と再会し、このperの日に、みんなとゴタイメーンをしてもらいました。太田氏は高校卒業時とちっとも変わっていなくて、みんなびっくり!!ちなみにこの日の参加者は沼先、脇屋さん、室橋氏、太田氏、ヤンピ氏、フジオ氏、タッツァン氏、プラス前橋からのお客様の総勢8人。私なんかは、ホント10年ぶりくらいのperです。中には「4年ぶりでオリンピックperだ」なんて人もいて。まずは星座の復習からということですこしお勉強。トーゼンのことながら10年前と星空はちっとも変わってなくて、私も旧姓でよばれたぐらいにして、気分はすこしノスタルジー。そんなしてる間に、筆記係の私はヒジョーにあたふたしてきたのです。だって流星1つ分のデータを書く間に、次の流星が次から次へととぶんですもの。諸々寺山でやった10年前は筆記係って一人だったわよねーなんて思って....いられない!!結局観測者と筆記者は1対1でしなければまにあわない程になってしまいました。でも、ホント今でもこの日の夜は忘れられない夜となっています。まっくろい空に星がまたたいていて、明るいのから暗いのからさまざまな流れ星が、静かにたくさんとんでいくー。
とってもすてきな一夜でした。
で、今年はというと、初日(11日)の夜というか、朝方がpeekだったらしく、その時家で眠っていたことが残念です。そうそう、今年はまたまた、再会ゲストが出現!!ベロ氏です。彼も太田氏に負けず劣らず変わっていません。いえ、変わってました。なんとベロ氏はまっきいろのユーノスのtwo she-eterにのってきたのです。ときどきこの若者車を街角でみかけると「どんな奴が乗ってんだー」と思っていたのですが、そーです。ベロ氏のような人が乗っているのです。まっきいろの車をみかけたら運転者をみてみましょう。
と、ホントにバラエティー部門に徹しながら雑文してみましたが、来年もまたきっと誰かと再会できるかもしれません。これをよんでいるあなた!!来年の8月11、12日の夜、南大平でお会いしましょう。では、また!
(by みゆき)                                      


●ビデオ撮影実験


天体のビデオ撮影を家庭用ビデオで実現したので報告する。
セレストロンC-8にアイピースを付け、その先にアダプターを作りSONY製ハンディカムをコリメート接続した。
その際、アイピースに電池を含めたハンディカムの全重量がかかるためこれを分散させる必要が生じる。
実は、前回の実験の際、鏡筒を水平近くに持って行き天体を導入しようとしたところ三脚を蹴ってしまいビデオカメラのレンズ接続部がメリッと音を立てて折れてしまうという惨事にみまわれてしまったのである。
補強は、ホームセンターに売られている、ボルト穴あきの定規状の細長い鉄板で曲げ加工が簡単なものを使用した。鏡筒に付いているカメラ雲台のネジを噛ませるように鉄板を取り付け、カメラ側は三脚に取り付けるネジを利用して固定した。ただこの方法だと天体の南北が画面上に決らず、なんとかカメラを回転可能な状態で補強工作出来ないものかと悔やまれる。
今回使用のTR-900は手ブレを防止するための光学的駆動機構が備わっており、撮影中の鏡筒のブレ、大気の揺れを克服できるかという実験も兼ねて行った。撮影した感じは、想像以上に天体は暗いと言うことだ。月面でも不満が残るという感じで、惑星にまで実験する気が起きなかったというのが事実である。またブレの防止の方も効いているとは考えにくいのである。通常の映像とは異なり被写体が暗く、画面中少量、点像であることから、制御側のほう(ブレ防止のソフトウエア)では、点像のブレをブレとは認識せずゆらぎのある周期的な運動の様子を正確に記録しようと判断したのかも知れない。改めて、人間の目のすばらしさに感心すると共に高感度、低価格のビデオカメラの登場を待つことにする。

●コンピュータ画像処理の入力について


最近のマイコンによる、画像処理ソフトのすばらしさには驚くものがある、天文ガイドに紹介されている沼澤氏のコンピュータシュミレーションによるアンシャープマスクを利用した合成法は太陽コロナ(親父がコロナにしました、たまに私も借りて乗ってます。)の急激に減衰する光さえもきれいで繊細なディテールで表現され全世界から注目されている。このとき、画像を入力する方法としては次の3通りが実験した、ビデオカメラで撮影したものをビデオ入力インタフェースでコンピュータに取り込む場合NTSCでは水平512本の解像度しかとれない、したがってコンピュータ上では72dpi(1インチ中72ヶの点で表される
解像度の単位)程度で、取り込む前にレンズ系で倍率を稼がないと画像処理時にデーター量が少なくなる欠点がある。つぎは写真撮影したものをスキャナーで読み込む方法である。これが、一般的ではないだろうか。写真のきめの細かさにはかなわない。これをスキャナーで取り込むのだが解像度の設定は大きい程きれいである300dpiでも拡大しない限り写真と変わらない。ところが、解像度を上げすぎるとメモリーやハードディスクの消費が激しい数メガバイトから十数メガバイトにもなり、画像処理の計算も計算するポイントがそれにつれて多くなり、結果して処理の計算が遅いと感じられる。
最後は、ST-4,ST-6といった冷却蓄光型CCDを利用したカメラで出力は最もポピュラーなRS-232Cである。このシステムはもともと我が国では、最初自動ガイドシステムとして紹介され、コンピュータ画像入力の部分はおまけ程度で紹介されてきたが、国産コンピュータ用ソフトの新規開発、Macintosh自体の国内普及にともない、画像入力の方でもにわかに脚光を浴びてきたのである。これの威力は凄い、通常の天体写真を頑張ってガイドしてとってる人には気の毒で見せられないしろものである。60秒でオリオン星雲が写り露出をかけすぎると真っ白である。これの問題は、電気を食う事である。電子式冷却器にかなりの電力を消費されるため冷却部分に断熱材で囲いドライアイスで冷やすとか放熱側のフィンにファンで風を送るとか銅パイプをフィンに巻き冷水を通し水冷方式にするとか熱対策が節電の要となる。

●「コンピュータは、電悩か?」


ここ、数年コンピュータの発展がめざましい。天文の仲間でマイコンをもってないひとはほとんどいない、つぎに月食、惑星食がいつ何処で起きるかとか、どのくらい欠けるかとか表計算、グラフ、フォトレタッチ、通信、そう、NIFTY(商用コンピュータ通信網)のIDを持っている人はなんと120万人に達した、就業人口比で行くと約50人に一人の勘定になる。
食堂のせがれでありながら、秋葉原に板前修業にいきAPPLE //を抱えて帰ってきた私としては、大変気になるところだ。コンピュータは性能が急に向上する(私にはそう感じる)、まるでホントは早いんだけれどもわざとブレーキをかけてスピードをころしているような気さえする。
大体2年で性能が2倍、価格が半分と思えばよい。したがって、24回のローンなんかで買った場合は、かなり悲しい出来事が起こってしまう。半分支払った段階で世間には新しいコンピュータが登場しそれがローンの残金で買えてしまう価格帯なのだ、それも性能が良くなっているやつが。しくしく、泣いてばかりもいられない。それだけ、コンピュータは需要があり競走がありまた激しいのだ。
コンピュータはそれ自体の性能故にユーザーは悩むのだ。特に経済的に。
(室橋)


●村高学園祭見物記


9/20(日)我が地学部は、プラネタリウムをやっていた、ほかの展示物は、四季の星座を半円系に黒く塗ったボール紙に等級毎の穴をあけて黄色のセロファンを貼り窓に透かしてみるときれいだった。なんかへんだな。プラネタリウム上映中だったので中には入ることができなかったが、外にいた部員にいつもの研究の発表はないのですか?と尋ねると、ないですとそっけない返事だった。おかしいな、部長さんはどちらですか?と尋ねると、いないです。という。活動は何をやっているのですかと恐くて聞けませんでした。理科のクラブはどうなってんだあ!化学部はない、物理部もない、電波かろうじて、生物これは、一生懸命やっていた。OB(東北大生)も来ていた、すごい。ちゃんと日頃の研究を発表している。あたりまえだが感動してしまった。ざりがにの研究をしている東海林君に地学部はどうなっているのか聞いてみたところ、地学部は文芸部というのが母体でその構成員は音楽部と吹奏部である、文芸部の一部がまんが研究会をつくりがんばっている。今年の星まつりに来た村上テクノクラブのおくまったところでパソコンを打っていた人は実は吹奏部員で去年1年間太陽黒点の記録を付けていたんだけど発表できなかったみたいです。十数名の人間が、音楽、吹奏の練習をやっていて、たまになにか詩でも書いてみたいな、星の話なんかいいんじゃない?そうね、そうよね。女の子言葉で書いたには訳がある。部員はほとんど女子なのだ。

追伸、北アメリカ星雲の大きな写真(あれは原価3万円なり!〕がぺらぺらとプラネの暗幕にガムテープではってあった。よくみると、沼氏のサインがあるではないか、ぎょーえー!おどろいた。印画紙だけでもクラブの年間予算と匹敵するものを..。おしまい。まいった。私の負けです。
 
誰が付けたのか、「うどんのはらたまや」をやってもう10年近くになる。
あれは、うる星やつらの「ぎゅうどんやのはらたまや」の「ぎゅ」がとれたやつなのだろう。ところで、私はペンネームを「原 珠哉」としたいがよいだろうか?なにか著作権みたいなのにふれるとやだなあ、最近そうゆうトラブルに巻き込まれて事後処理に苦労したのでふと思った次第である。よいよね?ね?ねっ!(室橋)


懐かしの同好会ノートより


Mobile Observatory

 えー本日は7月17日である。富士夫が書いたのが6月14日ということは…ひーふーみーよー…な何と33日間も空白の時間があったことになる、いと恐ろしきことなり。
前の男はしろしろ…でなくて、いろいろしけたことを言っているが私は今燃えているのである。何に燃えているかと言うと観測である。観測の何に燃えているかと言うと …(かなりしつこい)…つまりペルセ群である。そうペルセウス座流星群の観測を今年も大々的にやりましょう!
 自分が村天の観測に初めて参加したのが2年前のペルセ郡であったのであります。あの時夜空を無数にとびかった流星の影響かどうか、ペルセ郡というと一段ともえ上がるのである!今年は月もなくgoodな空らしいです。(雲さえなければ)だからみなさんも燃え上りましょう。セーノ1、2、3、ハイッ…ボワッ
 一昨年は4時間で665個でしたっけ。166/hですねえ。すばらしいではありませんか。1時間に166個もの流星が流れるなんて。天文をやっている人でなければ、めったに見れるものではない。今年は計画をきちんと立てて、より大きな成果があるようにしよう。写真もバッチリとろう。今年はカメラが7〜10台くらいあつまる予定である。天ガにのるようなスゴイのをとろうや。なあみんな。←古い!
 本部の人はみんな知っているけど沼先がプラネタリウム=(pranetarium (名) (C)、(プラネタリウム・丸天井の内面に星座を映写してその運行を示す装置)…アンカー英和辞典より)のオペレーターとして新潟のゆーびんちょきんかいかんに就職しました。まことに、うらやましいかぎりですね。
 BUT、沼沢プラネは大きなライバルがあるのです。今年、11月ころ完成すると思われる、新潟科学博物館がそれ。沼沢プラネが14mドームに対して、18mドーム。それだけでなく60�冏神屬泙任△辰董△泙錣蠅藁�日本一の大博物館。沼沢プラネにとってきわめて不利であると思われる。沼先!がんばらなあかんで〜
 おちついて考えて見ればペルセ郡の前に”星空への、いらっしゃい”があるのだ。昨年は11名が2台の車にのって行ったけど今年はどうなるのだろう?25日までにオレの家へ参加希望の手紙がくるはずである。しかし20名参加。車2台なんていったらどーすんだべ?今年も村天から天ガにのるようなヒーローorヒロインを出しましょう。昨年の瀬賀さんみたいな。
 しかし”星空への招待”は本当にいい行事だと思う。星好きが集まってワイワイガヤガヤとやり、知識の交換をし、仲間をふやす。一度さん加しただけで何度でも行きたくなった。
でも本当に車はどーなるんだろうう。
富士夫みたいに他人の犠牲になるなんてイジケているのもいるし、車がほしいよ〜
そこで私は車のことを考えたわけであります。20分ぐらい。
下の車。名ずけ手”Mobile Observatory”
 どーだまいったか!ワハハハハハハハハハハハハハハのハハハのハ
しかし、この車はほとんど実現不可能である。自分としては天文観測用の車のベストを書いたつもりだがもんくがあれば。どーぞ
この車のけっ点→�‘端錣里瓩鵑�ょがいる �⊇鼎ぁ´�3人しかのれない �い佑襪箸海�無い!
ワワーンこのページにまで色がにじんでしもた!
前出の車を作ってみようと思う人はいないか?たぶん300万は下らないだろうがねエ…
私は自分で書いた車ながら気に入っているのである。
BAT、バッテトゥ、bat、ばっと、前にも書いたとうりまず実現不可能!
金もさることながら、あんなに改造したら車検がとれませんがね。せいぜいサンルーフ付きのハイエースから星をながめるくらいが関の山。
 でもあんな車があったら本当にいいと思いませんか。”星空へのいらっしゃい”へでも乗ってったら、ニコン賞もビクセン賞もたかはし賞もミザール賞も、あれもこれも一人じめ。天ガの表しになったり車のまわりは人だかり。「ねえー乗せて〜」なんてのがなんてのが
うわ〜よだれがとまらん!ジュルジュル〜ッ…と、言うことになると、�い侶臈世郎討喀殿腓雰臈世箸靴討Δ�び上ってくるのである。
…なぜでしょう?
もっと実用的な案もありますがそれはまたの機回に…
こんなバカなことに2ページもつぶしてしまった。悪い。すまん。かんぺん。では夢の車にのってさります good by!

※この2ページは悪夢と思ってわすれさって下さい。
 なんならやぶってくれてもけっこう。
 アホのたわごとでありますから。
PS.こんな車をつくるなら、その金とヒマでしっかりした観測所をつくった方がいいです、ハイ。

1980年7月17日 By Matsuta (高校3年生)


79年星空への招待 思い出日記

By: みゆき(高校3年生)


7月30日 午後から食料買い出しに行く。Jusco.トリちゃんがレジをしていた。夜11:00ごろ床に入ったんだけど、ドキドキコして眠らんなかった。
7月31日 5:00ごろ起きて5:30まで床ン中でうらうらしてる。メシをクッテ、6:30にちえみクンとまってると、しばらくたってJeep登上。あのせまい(荷物がたくさんだったの)中にトリちゃんと三田村クンものっけてパピヨンでまってる。小嶋クンちはりっぱだった。んで、セリカがきてのっかる。のりごこちがばつぐんなのですごく気にいった。竹内サンの曲も気にいったりして・・(彼女は9月6日 月食の日新潟にConcertにくるの)・・・・・ 浄土平につきホッしている間もなく、例のヒロイン「ピンクのすいかわり」が登上!なかなかかわいかったぜイ!しかし、あとでわざわざちえみを写真にとりにきた巻の人にはびっくりした。やっぱり
ちえみはモデルになれるのでは?
31日夜 新天会の差し入れに100%のるつもりだったのだが,20Cmと、 まさとしと、まわりのいい雰囲気にまけて星をみていた。なんていうか、10代の私たちと、30代、40代ぐらいのおじさんたちといっしょにおなじことしてるっていう実感がした。ちょっとした感動だった。だって今までそんなに年のはなれた人と同じことやった
っていうの、ないもの。うん。となりの見知らぬおっちゃんが、こっちはなに見とる?なんてすごく気さくに話しかけてくるの。・・・ところが、寒さに負け、テントの中にはいってしまったのです。そしたら中は、正気でないげみちゃんと、松浦さん。正気な、風岡サン、太田クン、前田センセがいた。私はちょっと角をのんだんだけどなんかおいしく感じなかったので、ひとくちでやめた。ホントはおいしければもっとのんだだろうに。松浦さんは相変わらず「セガサン、セガサン」といっている、くっくっく。
太田クンと前田センセがぬけちえみクンがはいってきた。つけものはおいしかった。3:00ごろゲミちゃんがどこからつれてきたのか一人の男がはいってきた。すごく元気かよくて「会津若松天文同好会の君島と申します!!」と入った。年をきくと15だという。松浦さんがもってきたつけものをたべては、「おいしいですねー」このノートをみて、「すごいですねー」このノートのイラストや写真をみて「いやあーうまいですねー」 松浦さんとお話がはじまった。 松浦さん:「君たちの天文同好会は何をしているの?」 少年:「はい、一般への天文の普及です。」「例会とかあるの」「はい、週一回です。」「会報は?」「はい、月一回(だっけなあ・・)コピーです」 もう松浦サンたじたじ。ともかく、すごいのです。この少年は。村高3年でいえば小田バカふう。この間、ゲミちゃんは外をほっつき歩いている。途中来たけど。この15の少年も4時頃「徹夜しますヨ。だれかヒマな人とつれてきます」なんていってテントを出ていきました。スルト、ゲミちゃんは入り口に横になって眠りはじめたんです。これがわるかった・・・。松浦さんはタテにねはじめ、ちえみと風岡サンと私はどうしたらいいんだあ!! 考えに考えたすえ、ねている2人を移動させることにした。まずゲミちゃんをタテにねかせ、そのよこにマツウラさんをねかせ、2人でテントの半分以上とってるんだから残りの3人はそこのあまりにちっちゃくなってねたんです。風岡サンなんかひざわかかえてるんだ。かわいそう。そのころ松浦・沼沢両氏は ぐーぐー・Z−Z−。
8月1日 4時頃ねむって5時頃おきた。まだ両氏は眠っている。風岡サンは 眠られなかったらしくいないの。記念写真は6:00とのこと。それまでヒマをつぶし、記念写真を・・・。゛セリカの3人どうしたんだろうね”なんて私たちは話ながらも結局おこしにいけなかったのです。ごめんなさい。そしていろんなひとといっぱい写真をとって帰ってきました。セリカの中でのねごこちはよかった。いなわしろもよかった。よかったよかった。行ってきて、すごく楽しかった。車酔いもなかったし、夜もさわいだし(?)。はじめ、期待はそんなに大きくなかったのだけど、思ったよりう〜んとよかった。DRIVERのお二人さんごくろうさまでした。AND THANK YOU!

(1979年No7ノートより, 佐久間美幸 原文のまま掲載)


By Matsuta(高校2年生)


★5カ月ぶりにノートに書く男


星空の招待から24日、ペルセ郡から13日もたってしまった。
星空の招待ん時はロードマップ係が、3人がかり(フジオ。スガワラ。オレ)でガソリンのむだづかいをやらかしたようでスミマセンデシタ。
ドライバーも大変だったと思う。「右だ!」…「左だぜ!」…「ここどこだ。本当にこの道なんだか?」 この一言一言がどれだけ不安をあたえたことやら。いやはや南友。でも会場に着いてからはバッチリだったではないすか。
戦利品もニッカド電池やら特大のクリームパンやら、よその同好会の会報やら。瀬賀サンが”星の手帳”にのるとかのらないとか。
”スイカわり”の決定的な写真をとろうとアセってキャノンFTをかまえてシャッターをおす、おす、おす、おす、おす?…おせない。不思議に思って、たしかめたらシャッターがロックされてた、…アホの子。
 つづいて望遠鏡の説明なんかがありまして、コンクールが始まった。
『えー、大口径賞です。わたしこそ大口径と思う方』とアナウンス。
ひとりのおっさんがのこのこ出てくる。『何cmですか?』『102cmです。』『望遠鏡は何ですか?』『カーブミラー利用の全天カメラです。』
このとき会場は”ウワ〜””やられた〜〜”の声が。102センチという記録はえいえんに不めつの大記録となるのでは?
ニコンの7×50そうだつ戦2回もやりなおすげき的なねっ戦となり3回目にしてどっかのガキがもってった。
 夕食ではヤキソバ(アストロメニュー)の量のすくなさにめげつつひたすら食った。夜これから本番と言う時、テントで酒もりが始められた。ひょーね。おらってで見てよーってんでセレストロンをいじくりいじくりしてM27、57、51、31、13、22、7、4、17、15、とポコポコ入れて見ていると、さすがセレストロン。どっかの人が”なにか見えますか?”なんてよってくる。するとオレたちは沼先がいないのをいいことに、いかにも自分の物のように。「ええまあ見てくださいよ〜」なんて気がるに見せたりして。すると。”へえーすごいですね〜よく見えますね〜”と感心して帰って行った。
 何時ごろだったか大野さんのシュミットカメラをはずして20mmで観望会しようということになった。村上ぜいが5〜6人でシュミットをはずしたり20cmをつけたり力しごとをしたのにネジをしめているうちにバッチリ列ができて見るのはいちばんビッケになった。
内心「おれたちがくろうしてしごとしたのに…」と思いつついちばんうしろについて見たが一つの対象を見るのにじかんがかかりすぎるので「おれたちだって20cmくらいあらあ〜な」と思って(完全に自分の物のつもりでいた。)再びセレストロンで見た。
 青木さんのドームをのぞくと中にスガワラとヤンピがいた。青木さんは恒星時のデータをまちがえたとかでM27を入れるのにすっかりてまどっていた。オレも内でみせてもらった。北極星ばん星を見た時は前に見た人が「いや〜みにくいですね〜よっぽど注意しないと見えませんよ」とか何とか。オレもアイピースをのぞくと明るい星のわきに小さな点がポチンとつれそっていた。あまりにもかんたんに見えるので「こいつじゃないんだな。」思ったがほかには見あたらない。あアおれの目はそんなに悪かったか思ったらさっきのポチンが正解だそうだ。それからミザール、アルコルを見て外に出ると、完全に出来上がった沼先が佐久間さんと瀬賀さんに手を引かれながら「小石川さんをテントによぶんだ〜」とかいって暗やみに消えて行った。(オオッ何という文学的表現)
 1時ころまであっちゃこっちゃ見て回ったが、ニコンの10cmはどっかへもってかれて見えなかった。ケチッ!雲も出てきたのでねるために機動母艦(三菱マーク)ジープへ行った。中に4人ほど(♂×2、♀×2)がいる。
高速巡航船セリカもバッチリとトランクにまでねてる。
テントは大フィーバー。(三菱マーク)にもぐりこんでしっかとねた。ねる前に外を見るとわが村天のテントだけが明るく光っていた。
よく日のいなわしろもいかった。ジープのなかはあっちぇかった。
金はなくなった。道はわかんねかった。写真もとった。星も見た。とってもいかった。
”自分のカメラが手に入りそうであります。なにがいいが一口助言を!”
一言。□□□□□□□□の□□□□□□□がいい。

(1979年No7ノートより, 松田隆 原文のまま掲載)

★スペシャル(ノンフィクション)サスペンス
             OM−2N危機一発


 そう、それは忘れもしないしょ秋の落日が日本海へと没し、足早に夕やみがせまってくる9月18日の夕暮れ時のことであった。我々は間島という重よう文化財には指定されるはずもないかたいなかのバラック、駅にいた。
 学園祭用の写真をとるためであった。そこには一台の見なれた例の(三菱マーク)が止まり、その回りを数人のヤローがとり回いていた。内1人はジープのドライバー、海賊タオルのアンチャンこと沼沢茂美その人であり、またその他にも太田、菅原、佐藤、伊藤、鈴木、本間、といった、いま一つパッとしない人々が夕ぐれをまっていた。
いや、彼らがまっていたのは夕ぐれだけではない。長(閃�)というアホをもまっていた。その内にはOM−2のオーナーことオレもいたのである。オレはなにげなくOM−2Nの入っているスポーツバッグをジープのドロよけの上においた。そして電話をかけにしばらくジープをみんながはなれた。これがいけなかったのである。用をすませ、
帰ってくると、”グォーン、バォォォー、ドォロロロロ”といきなディーゼルノイズをのこし(三菱マーク)は90°のコーナーを見ごとなコーナリングで走りさった。長をむかえに。その時オレはチラと左のドロよけの上にバックを見たようなさっかくをおこした。そしてその不安は少しずつ大きくなっていった。他の人々は、「いくらなんでも気づくさ〜」といったが…乗っていったのは沼先と”一彦”と聞いてオレはがくぜんとした。


北天インデックス(画像あり)(画像無し)

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