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1998 村

★ ジャコビニ群観測成功。JPLは群馬、伊藤班は長野、澤渡は新潟で観測。室橋、沼和は大雨に遭遇JPLの観測結果へリンク

 今回の反省をふまえ「しし群」に全力投球!!簡単な予備知識は下記資料またはJPLのコーナーを見て下さい。具体的観測に関しては村天観測計画をご覧下さい。


しし座流星雨資料

しし座流星雨の回帰
(Adapted from Sky & Telescope)


By Joe Rao
脇屋奈々代 訳



 準備は整っただろうか? 1998年11月中旬、地球は惑星間にある川につっこむ。この川はチリの川である。まばらだし、幅も薄い。数キロの空白部分によって隔てられた砂の粒とちりの塊から出来ている。1-2時間の間、これらの粒子の多くが地球の上層大気を秒速71kmの速度で引き裂く。それぞれは空に、瞬間的な光の筋を作る。しし座流星雨に所属する流星である。
 我々が飛び込む場所における流星物質の川の密度がどれくらいであるかは、推測でしかない。世界中の宇宙開発機関は、500機以上の活動中の地球周囲の探査機、人工衛星を直撃するかもしれないと大変神経質に待ち受けている。ハッブル宇宙望遠鏡を含む多くの人工衛星は、最も感度が鈍く強度のある部分を砂嵐の方へ向くように注意深く回転させられる予定である。
 一方、地上では、アマチュア天文家が、洞察力のある予想と共に、流星雨を待っている。しし座方向からの無数の流星とか球の流れによって空が燃え立つ可能性がある。歴史上のしし座大流星雨のような静かな花火のずば抜けたディスプレーが見られる可能性がある。

左図:流星雨は、簡単に天体写真が撮れる現代にはたった1回しか起きていない。1966年11月17日朝、北アメリカ西部の天体観測者は、世界時12:00頃、淡い流星、明るい流星の荘厳な洪水に魅せられた。New Mexico State University Observatoryにおいて、A. Scott Murrellは追尾装置付きのカメラを用いた。これは、50-mm f/1.9のレンズを使い、Kodak Tri-X (ISO 400) を用いて、露出10-12糞で撮影した写真である。Little Dipperのひしゃくのお玉部分が、写真の下に見えている。

 しかしながら、特定の場所にいる天体観測者にとって、このハプニングのチャンスはほんのわずかである。強い流星雨は1-2時間以上は続かない。おそらく1時間以下であろう。したがって、地球上の特別に優遇された場所は、流星物質の流れに面した場所で、この緊急の時に夜となっている領域である。これは、流星雨がぶつかったときに、真夜中から明け方までのタイムゾーンにあなたがいる必要があることを意味する。今年の最良の予想は、東アジアだと思われる。

右図:地球に目標を定める。1998年、1999年に55P/Tempel-Tuttle彗星の軌道を横切るとき、しし座流星雨に対して地球はどのよう向きになっているのかを示している。1998年、中国と日本が、夜、流星物質に向かい合う。しかし、もし、数時間早く、あるいは遅く流星物質を通過するなら、北アメリカとヨーロッパが好ましい位置へとまわってくる。1999年は、ヨーロッパがチャンスとなる。Peter JenniskensとJohn Walkerの好意による。

 歴史的なスペクタクルのチャンスは小さいかもしれないが、それは起こる。しし座流星群は、過去数年間にすでに活動を強めてきている。ほとんどの年において、しし座流星群は大変活動が弱いが、1995年にはZHRが約40にまでアップした。(ZHRは、空が充分に暗く6.5等級の星まで見え、流星群の輻射点が天頂にあったとき、単独の観測者が1時間に見る流星の数である) 1996年にはZHRは50-80に達し、もっと数の多い短いアウトバーストを伴っていた。その上、この年は明るい流星と火球の数が異常に多かった。
 1997、約12時間、ZHRは80のままだった。半円より膨らんだ明るい月が流星の検出を困難にしていたにもかかわらずである。加えて、しし座流星群の短く鋭いアウトバーストがアメリカ西海岸とハワイから報告されている。すべてのレポートは、1997年の流星群が再び明るい流星に飛んでいたことを確認している。明らかに、1996年の時よりも一段と。-6から-9等級の多くの火球が記録された。電波観測は眼視観測の結果を確認するように、特に密度の高い、大きな流星の軌跡からの長時間続く電波の反射を発見した。
 したがって、世界のどこかの晴天に恵まれた大変数少ない流星観測者が、夜明け前の数時間、素晴らしい流星群を見ることを当然期待できる。おそらく、ペルセ群や双子座流星群に匹敵しうる。もし、今年、明るい流星が多いままなら、光害は、普通の流星群の観測ほど邪魔にならないだろう。そして、これらの予想から、どこへも行く必要はない。



彗星のかけら


 毎年、11月17日頃、地球はしし座流星群の流星物質の中を通過する。通常の年、我々はほんの少しの流星に遭遇、あるいはまったく遭遇することがない。流星物質のほとんどは薄い破片から成るリボンの中に集まっている。33年ほどの周期で太陽をめぐる細長い軌道を持っている。流星物質はだいたい、それらを作り出した55P/Tempel-Tuttle彗星からの物質を伴っている。この彗星は、この2月、近日点を通過し、アマチュア天文家が数週間にわたって、7-8等級で輝くこの彗星を追跡した。
 最後の大流星雨は1966年に起こった、軌道の1周期前である。少なくとも、紀元902年以来、33年毎の群の回帰は時折11月の大流星雨をもたらした。しかし、毎回ではない。スペクタクラーな出現は1799年、1833年、1966年に起こった。それより少し活動の弱いものが1866-68年と1900-01年に見られた。1930年代は、通常の流星群の出現でしかなかった。今回は、天文学者の最良の見積は、世界の一部で、かなり強いが記録破りのアウトバーストからはほど遠いものが見られるだろうというものである。
 流星物質の誕生、一生、死は比較的良く理解されている。少なくともアウトラインについては。彗星が太陽の暖かさに近づくや否や、その小さな凍った核は蒸発する。その過程において、チリと破片の雲をこぼしながら。やがてこの物質は彗星の軌道に沿って広がり、徐々に軌道から拡散して行く。活動の活発な流星群は、より大きなチリの流れの内側にある、薄く破片の集中した帯の中を地球が通過するときに起こる。この様な密度の高いフィラメントは比較的母彗星の近くに、通常見つかっている。そして、その多くは、数世紀以内に母彗星からこぼれ落ちたのだろう。

左図:しし群の流星物質と地球はほぼ正反対方向へ軌道運動しており、したがって、ほとんど正面からぶつかる。流星物質の流れは周期彗星55P/Tempel-Tuttle彗星の軌道にしたがっており、これは、地球の軌道面に対して17°しか傾いていない。交点を結ぶ線は2つの軌道の交わる面に存在する。

 巨大な粒子の垂直方向への分布は彗星核の回転と、中心核上のガスを噴き出す場所に一部依存する。小さな粒子は、それらが中心核から離れた方向には関係なく、太陽の輻射圧によってよりすばやく押しやられる。大きさに関係なく、すべての粒子が、彗星の軌道面近くにとどまる。少なくとも、流星物質の流れが退化し、離ればなれになってしまうまでは。惑星の引力に起因する摂動は流星物質の流れが変わり、最後には乱れてしまう主な要因である。これらの影響のすべてを追跡することは、流星雨の予報をすることにつながる。
 広く散乱するために充分な時間を持った古い流星物質は通常の、活動の弱い例年のしし座流星雨を作り出す。その活動は2日間ほどである。狭く密度の高い粒子の群は、厚さ35,000 km以下、しかし長さは数天文単位のリボン状になっており、これは、数年間にわたって地球の軌道と交わるのに充分である。したがって、このリボンは厚さに比べて1万倍の長さを持つ。実際には、このリボンは、薄い束や帯と言うよりももっと複雑な構造を持つのかもしれない。
 母彗星のように、しし群の流星物質は、地球とはほぼ反対方向に太陽をまわる軌道を持っている。したがって、我々は流星の持ち得るほぼ最大速度でその物質につっこむ。その速度ゆえに、しし群は非常に明るく、通常青や緑の色を帯びる。ほぼ半分のものは蒸発したその航跡に輝きを残す。それらの1部は5分間以上上層大気内にのこる。流星は155 kmの高さのあたりで輝き始める。それらが異常にもろい、軽い物質で出来ていることを示している。それらの密度は1立方cmあたり0.8 gと見積もられている。これら彗星のかけらは水に浮くほどに軽いだろう。


今回のピークは?


 天文学者達は長い間、1998年と1999年はしし座流星雨の最良の好期を提供するだろうと予想してきた。2000年も、流れるだろう。しかし、どの年が最良なのだろうか?
 専門家の意見は分かれている。Peter Jenniskens (NASA/Ames Research Center)は、しし座流星雨のピークは1998年11月17日だろうと推測している。約1時間の間流星は1秒間に3個の割合で降り注ぎ、時折1秒間に40個以上のフレアーが起こるという。彼の計算は、このピークが11月17日世界時19時から1時間以内に来ると予測している。これは、最良の観測地点が中国と東南アジアの経度の場所を示している。

右図:1966年の流星雨到来の写真。2つの「point meteor」は、ししの鎌の鋭いエッジの上にある、しし群の輻射点を明らかにしている。最も明るい星はレグルス、2つの「point meteor」の上と下の明るい星はしし座ツェータ星とγ星である。Dennis Milonが、この有名な写真を撮影した。露出は3分ほど、撮影地はKitt Peak天文台(Arizona)である。彼はTri-X フィルムを用い、105-mm f/3.5のレンズを使った。オリジナルのネガフィルム上には70個の流星が写っている。

 しかしながら、他はより悲観的な予想となっている。Minor Planet Center in Cambridge, MassachusettsのBrian G. Marsdenは述べている。「私の私見では、1998年と1999年共に流星雨を見ることはないだろう。」しかし、彼はつけ加える。「もし私が間違っているなら、それは素晴らしいことだ!」
 Donald K. Yeomans (Jet Propulsion Laboratory) は2つの詳しいしし座流星群の研究を出版している。(1981年と1996年。後者の本では、JPLの同僚であるKevin F. YauとPaul R. Weissmanが共著者となっている) Yeomansは、流星雨の最大の可能性は、彗星が通過した後から、地球がちょうど彗星軌道の外側のチリの川の中につっこんだときに起こると指摘している。そして、それは1998年、1999年、2000年に起こるだろうと。  しかし、Yeomansは、また、同じ様な環境でありながら、著しい活動が見られなかった過去のいくつかの場合についても述べている。良い例が1899年と1933年である。 これは、「彗星の周囲の粒子の分布は一様と言うにはほど遠い」ことを彼に示していた。そして、もし、1998年と1999年に我々が著しいしし座流星雨の活動を体験したとしても、それは異常に大きな分け前には達しないだろう、とYeomansは指摘している。そして、また「1998-1999年において、地球は、1966年の場合に比べ、彗星軌道から約3倍、1833年の大出現に比べて6倍離れたところを通過する。」と。

左図:流星物質が最も厚い場所は55P/Tempel-Tuttle彗星の周辺である。これは、様々な年に地球が彗星の軌道面を通過するとき流星雨が起こることによって示されている。「不発の年」1899年と1933年もまたプロットされている。横軸は、流星物質が、軌道上、どれくらい母彗星の前 (-) 、あるいは後方 (+) にあるかを示している。縦軸は、粒子達が彗星の軌道の外側 (-) どれくらいにあるか、あるいはどれくらい内側 (+)にあるかを天文単位で示している。1998年、1999年、2000年において、我々が通過する軌道面は有望な領域と分かるだろう。ほとんどのデータはDonald Yeomansの好意による。

 前のダイヤグラムは状況を図で示している。あなたのコンピュータースクリーンは、流星物質を含む彗星の軌道面を示す。 (実際の距離の項において、水平のスケールは垂直スケールに比べて2000倍に縮小されている) 地球は毎年11月、様々な場所ではあるが、この面に突入する。ダイアグラムが示すように、今後2-3年、我々は、ある領域を通過する。その領域は、時々大出現を作ったが、それは真に画期的なものではない。
 特に、1998年と1999年の環境は1866年と1867年の回帰(1時間に約5000個)や1932年と1933年の回帰(1時間に240個以下)にとても良く似ているように見える。


極大時刻は!


 もし、しし群のピークが、地球が彗星の軌道面を通過したときに正確に到来するならば、Yeomansは、そのピークを1998年11月17日の世界時19:43と1999年11月18日の世界時01:48と与えている。前者は、東アジアで好条件であり、後者は、ヨーロッパ、東大西洋、北アフリカ、西アジアで好条件となる。
 しかしながら、我々は流星物質のシートに軌道面に到達する2-3時間前、あるいは軌道面通過後に遭遇するかもしれない。この場合、条件の良い領域は東、あるいは西へとずれるだろう。もし、破片のリボンが12時間も軌道面からずれていれば、地球全体のどこもが好条件地域となり得る。
 Tempel-Tuttle彗星に関係する粒子の分布についての2つの研究が、以前に出版されている。それらはまさに反対の推論を導いている。
 University of Western OntarioのPeter BrownとJames Jonesは、以前の5回の母彗星の回帰の時に放出された300万個のテスト粒子の数字的な積分によって、しし座流星雨の進化をシュミレートした。1899年と1933年においてしし群のサイクルのピーク近くで流星群が起こらなかったということが、彼らのシュミレーションにははっきりと現れていた。1966年の活発な回帰もまた、示されていた。1998年から2000年までのしし群の活動は強く、1999年が最も活発であると、BrownとJonesは示唆している。
 そして、時刻は? BrownとJonesは、彗星の軌道面を通過する約2時間40分前に我々が到達する地点(つまり、太陽黄経235.16°)に、流星物質が特に集中しているように見えることを発見している。彼らが指摘しているように、これは、「1966年のしし群の時とほぼ正確に同じ位置」である。したがって、彼らは、ピークを1998年11月17日世界時17:02と示唆している。(西太平洋と日本が好条件)1999年は11月17日世界時23:02(ロシア、中国、インドが好条件)と示唆している。
 この予言を補強しているのは、1996年と1997年の流星群が、軌道面通過の約2時間前に鋭いピークを示しているという事実である。
 Zidian WuとIwan P. Williams (University of London, England)も、また、しし群の流星物質のモデルを作っている。彼らは、1965-66年に観測された流星の多くは、その前3回の回帰の時に彗星から放出されたものだと仮定して、その進化を研究した。Brownと Jonesのように、WuとWilliamsは1899年と1933年にはほとんど出現がなかったこと、1966年の出現を説明するために注意深くモデルを作った。しかしながら、1998-99年に関する彼らの発見は、Brown、Jonesとはまったく違う。1998年、彼らは、1899年(1時間40個)や1932年(1時間に240個)と同じ出現を予想した。1999年については、WuとWilliamsは「ほんの数個見えるだろう」と推測している。
 2つの研究の完全なる対立は、American Meteor Societyのexecutive directorであるDavid Meiselの意見を強化している。彼は言う。「流星雨の予言は悪名が知れ渡るほどに当てにはならない。それがどのようにして起こるのか、本当の所は誰も知らない。」
 そのタイミングに関しては、未知の摂動がしし群の流星物質を彗星の軌道面の外へと移動させることがある。たとえば、1965年のしし群はハワイとオーストラリアでピークを観測した。これは、地球が彗星の軌道面を通過する13時間も前であった。1969年の驚くべきしし群のアウトバースト(アメリカ合衆国北西部から見たとき、1分間に4個の割合で出現した短い活動)が、軌道面通過から約4時間後に起きた。
 別の重要な点は、暗い流星に対する明るい流星の比である。1833年の流星雨の時、明らかに火球が多かった。1966年の流星雨は比較的小さく淡い流星に恵まれた。55P/Tempel-Tuttle彗星が地球軌道を100-200日以内に横切ったときにはいつでもしし座流星群は火球を含む割合が高いように見える。より大きな粒子は彗星の近くにとらえられている傾向にある。それらは小さな粒子に比べて小さな速度で中心核から放出され、小さなチリの粒子をすばやく掃除してしまう太陽の輻射圧による影響を受けにくいからである。もし、この傾向が維持されるならば、1998年には明るい流星が多い傾向にあるだろうが、1999年や2000年は違うはずである。

右図:火球による警告?1996年11月のしし群の観測において、著者は北西の空、カシオペア座の右を通った-4〜-6等級の火球に眼を眩まされた。彼はこのカラフルな明るい軌跡の流星写真を2秒露出でとらえた。50-mm f/2 レンズとフジ1600のフィルムを用いた。

 未知の別の可能性もある。1900年と1901年の記録は奇妙である。両方の年は、地球上のそれほど離れていない場所でまったく異なる流星群活動が見られた。1900年、しし座流星雨はカナダのハドソン湾近くの人々の間にパニックを起こしたと言われている。しかし、別の場所からは著しい活動報告はされていない。1901年、HRの値は、数十から数百、数千まで幅広い見積がなされた。アメリカ南西部とそれに隣接したメキシコで最も高い値が集中した。
 伝統的な知恵は、流星物質の流れは地球(ちょうど7分間でその直径分軌道上を移動する)より小さなスケールの目立った行動を持たないと考えている。しかし、もし、1900年と1901年の報告が額面通りにとらえるなら、大変薄く高密度の帯---ギャップとちりの豊富なスポットを持った複雑なフィラメント状の構造---が存在するのだろうか?世界のほんの一部の領域がそこをさっと通り、他の領域はまったく関知しなかったというのだろうか?
どのように観測するか

 有り難いことに、しし群の観測者は今年、月の光の妨害に直面せずに済む。来年、半月以上に満ちた月が11月18日の1時過ぎにはのぼってくる。流星観測者にとって暁前の重大な暗闇を邪魔する。2000年の状況はより悪いだろう。ほぼ下弦の月が早朝の空に輝くだろう。
 流星群がどのような活動を示すか、あなたがどこにいるかには関係なく、観望の最良の時間は1-2時から暁の始まりまでである。これはしし座がすでに地平線上にあり、次第に東の空高くなって行く時刻である。この流星群の見かけの輻射点はししの大がまの中にある。位置は赤経10h 14m、赤緯+22°。しかしながら、そこを見る必要はない。見るのに最も良い方向は、単に空の最も暗い場所、おそらく輻射点から45-60°離れた場所だろう。輻射点について重要なのは、それが地平線から高いことである。輻射点が高いほど、たくさんの流星が見られるだろう。

左図:1996年の流星群活動中にスペインで見られた火球の軌跡。この火球は満月の明るさに燃え立ち、2回フレアーアップし、分裂し、1時間も痕が残った。Volker Gerhardtは、火球出現後、約5分(左上)、10分(右上)、50分(下)に撮影した。上層大気中の風が流星痕をゆがめている。

 流星を観測するときは常に、予想よりも暖かい服装、快適に横になるためにリクライニング・シート、眺望の開けた適度に暗い場所を欲するだろう。今まで、記録するための最良の方法は目を空から離すことなく、テープレコーダーに声を吹き込むことである。正確にセットした時計を持って行き、少なくとも30分毎に時刻をテープに入れる。もし、流星の出現数がすばやく変化するようなら、もっと頻繁にタイムを入れるべきである。
 もし、流星が大変多く流れ出し、個々のカウントが難しくなったら、いくつかの明るい星で区切った領域---たとえば、御者座の五角形の中、北斗七星のボールの中と言ったような---を選んで、この領域内で消えた流星のみの数を数えるようにする。あるいは、視野の中に1度に見えた流星の平均数を見積もる。
 科学的に有益な流星観測の単純な、しかし必要な手順は、Sky & Telescope1997年8月号P90にでている。
 あなたがやることは、時計のアラームをセットすることである。もし、今回のしし座流星雨を見逃したならば、次のチャンスは33年後になる。1998年から2000年という年は、 しし座流星雨の33年周期の最後となるだろう。 (S&T:November 1996, p74参) 2029年、木星による摂動はこの彗星の軌道を地球から引き離し、2098年か、あるいは、おそらく2131年まで、しし座流星雨を見ることは出来ないだろう。

 Joe Raoは、News 12 Westchesterの流星学者であり、New YorkのHayden Planetariumのインストラクター/解説者である。彼は、John E. Bortle、Edward M. Brooks、Daniel W. E. Green、Brian G. Marsden、Donald K. Yeomansに感謝の意を表している。



しし座流星雨の評価


 ここにあげたリストは、しし群の流星物質との遭遇に関する極めて重大な統計である。このデータは、Donald K. Yeomans (Jet Propulsion Laboratory)によって計算されたものである。
 最初の縦の段は、55P/Tempel-Tuttle彗星の降交点に地球が到達する日を与えている。これは、我々が彗星の軌道面と流星物質のシートを通過する日である。活動が未だ起きていない予報の場合、与えられている時刻は、地球が彗星の軌道面を通過する時刻を0.1日の精度で示してある。C-Eはこの点における地球から彗星軌道までの距離(天文単位)である。毎回、我々は彗星軌道の外側を通る。次は、地球が彗星の何日後、あるいは何日前にこの点に到達したかという数字である。最後に活動の様子が書かれている。データは、Peter Jenniskens、Gary Kronk、A. C. B. Lovell、Paul Roggemans、E. K. L. Upton、Donald Yeomansによって集められたものに基づいている。いくつかの活動を見せなかった年も含まれている。


Date (UT)世界時

C-E (a.u.)

Earth at Node

1時間出現数

1799 Nov.11-12 0.0032 116.9 days before comet 30,000
1832 Nov.12-13 0.0013 50.7 days before 20,000
1833 Nov.12-13 " 307.9 days after 50,000-150,000!!!!
1866 Nov. 14 0.0065 299.4 days after 2,000-7,200
1867 Nov. 13 " 664.4 days after 2,200-5,000
1868 Nov. 13 " 1,029.9 days after 1,000-1,800
1900 Nov.15-16 0.0117 495.8 days after >1,000
1901 Nov. 15 " 861.4 days after 850-1,800+
1965 Nov. 16 0.0032 195.5 days after 120
1966 Nov. 17 " 561.0 days after 150,000!!!!
1997 Nov. 17 0.0080 108.1 days before >100
1998 Nov.17.8 " 257.3 days after Go look!
1999 Nov.18.1 " 622.5 days after Go look!
2000 Nov.17.3 " 988.7 days after Go look!


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