あれは幻の旗だったのか(1984年・集英社)

 「北方ハードボイルド」の異色作である。しかし、テーマとしている全共闘闘争は、氏の青春の重要なエッセンスであり、この作品を抜きにしては北方謙三を語ることはできない、と言っても過言ではない。

 十年の後(プロローグ)
 舞踏の輪はそこにある
 準備
 青春の軍団
 あの時なにが可能だったのか
 垂れた旗(エピローグ)

 以上がこの作品の各章の構成である。その一つひとつに、氏の思い入れが感じられてならない。
 「もう檻の中の運動会はやめだ」――全共闘闘争高揚期、傍観していた4人の仲間は、全体に流れる“敗北主義”にいらつきはじめ、「運動会」に「一杯食わせてやる」ことを思いつく。そしてそれは、「野村党」という一派を取り込むことに成功したのをきっかけに、とんでもない可能性を膨らませ、「運動会」どころか日本全体に「一杯食わせ」そうになるほどに至る。
 これは、氏がかつてをふり返り、冷静な目で書いているからこそ思い至る発想であり、実際に当時の学生がこんな発想を持ったら…成功するかどうかは別にして、恐ろしいものがある。4人は、次から次へと飛躍した作戦を敢行し、ついに有力派の中で一目おかれる存在にまでなる。最後に「最終行動」を成功させるために考えついたとんでもない発想が、途中から4人に合流してきた若き活動家の村井にどうしても受け入れられず、「あの時」なにかを起こす可能性があった作戦は破綻に帰する。
 プロローグの「十年の後」とは、作戦破綻から十年後の回想である。時系列的には、この話はエピローグに続く。主人公ら4人は十年前のけじめをつけるかのごとく、かつての仲間・野村を殺害した暴力団の会長を殺す計画を実行する。そして、十年前、計画を破綻させる裏切りを演じた村井を葛藤しながらも仲間に入れる。そして、この村井が、またも予定外の行動をとり、主人公を慌てさせる。しかし今度は裏切りではない、なんと、暴力団事務所のビルの屋上に、かつて全共闘時代に所属したS派の旗を揚げようとするのだ。村井は生き残った暴力団員に銃で撃たれる。変わりに主人公が旗を揚げる、というわけだが、この行動の中に、村井の、過去に対するこだわりが見事に凝縮されている。

 変な言い方だが、この作品は、非常に勉強になる1作である。まず、全共闘の雰囲気というものがなんとなくわかるようになる。70年安保のころと言えば、私はまだ小学校に上がるかどうかぐらいである。当然覚えているわけがない。TVで内ゲバの画面が流れたりして、「大学生って、怖いんだ」と思ったことが微かに記憶にあるくらいである(夢に大学生が出てきてうなされたこともある)。
 そして、これは一般的にほとんどの人が知らないことだと思うが、「マル暴」の正しい意味である。私ははじめ、これを暴力団の意にとって、前後のつながりがまるでちんぷんかんぷんだった。2回目に読んで、初めて警視庁4課のことだとわかった。暴力団を担当するから「マル暴」なのである。


渇きの街(1984年・集英社)


道ってやつは踏みはずすためにある。踏みはずしたところに、また道がある。

 本作品最大の名調子である。気位、男の誇り。それが主人公・川本高志に平坦な道を歩かせない。高志は25歳の三流クラブのボーイである。6年間勤め、ささやかな出世も見えてきた、そんな境遇である。物語の冒頭、いきなり高志の殺人シーンから始まる。廃人にされた友人の復讐である。そして数日後、ふとしたことからトラブルに巻き込まれ、高志は職を失う。その後に、「後悔はしていなかった」に続き、この名調子になるわけだ。
 高志はその後、室田という、彼の失業の原因となったトラブルの元である、危なそうな男の下につき、ヤバい仕事で頭角をあらわす。そして、アウトローの世界で思いもよらなかった素質を開花させ、急激に成長していく。室田の死後も、独自の道を歩みはじめ、立ちふさがる敵を撃破していく。
 高志をめぐる3人の女が、全く異なる3つの女のタイプを表しているようで面白い。いかにも「いい女でござい」のエマ、ルックスはそこそこ、惚れた男に尽くす可愛いタイプの美恵子、理知的な美人の遠山葉子(これは実は室田の女だが)と、それぞれ個性がはっきりしていて面白い。
 最後は美恵子が「老いぼれ犬」にタレコんで一巻の終わり、となるのだが、美恵子のいいぶんはもっともな気もする。

 主人公の若さゆえの無謀さと、成長して行くプロセスの融合が、ほどよくブレンドされた、エンターテインメント小説の傑作、と言えるだろう。
 


標的(1987年6月・光文社)


北方HBヒーローの基本形

標的になってやるぜ。呟いた。
標的になって、誰もかもを、光の中に引き出してやる。
標的には、なりきれるだろう。
なりきれるかどうかを試すために、俺は標的になるようなものなのだ。
俺の標的は、俺だ。自分自身だ。

 本作の最大の殺し文句(対読者の)である。本作のハードカバー版の表紙にでっかく書いてあったこのフレーズに思わず惹かれ、衝動買いしてしまった記憶がある。ともかく、北方HBのヒーローの行動の基本原理を、こんなにうまく言い表したフレーズもないだろう。多くの北方HBの主人公は、最終的にはこの行動パターンをとるのだ。光文社刊ということで、マイナーな作品に属するかもしれないが、ストーリー・会話のテンポ・アクションシーンなど、他の作品と比べても遜色ない。その上、北方HBの基本形がわかりやすく書かれていて、実はビギナー向きの作品としても最適ではないだろうか。

 本作の主人公・大塚は、転職経験(それも、本人自ら「しくじった」としている)のあるサラリーマンである。サラリーマンが主人公というのは、そう意識して書いた作品はいくつかあるが、本作のように自然に描かれているのは非常にまれと言っていい。初めはイエスマンで(これは前職での失敗からそうなったもの)、失踪した社員を捜して連れ戻せなどという、わけもわからない出張命令に従順に従い、舞台の町にやってくる。ここで、事件の深みにはまるうちに殴られ、それが彼を目覚めさせる。イエスしか言わないサラリーマンが、キレたのだ。そしてあとはハードボイルドまっしぐら――。
 大塚は、もともとサラリーマンという身の上もあって、私のような凡人から見ても親しみが持てる、いわゆる等身大の主人公である。本作を読んでいると、なんとなく、サラリーマンでも、ハードボイルドできるんだと思えてしまう。どんどん自らの戒めからはみ出して変身していくさまは、見ていて痛快である。
 会社にとっての用が済み(つまり大塚は噛ませ犬だったわけだ)、出張を中断して帰るよう課長が命令に来るが、大塚はあっさり追い返してしまう。もうその後は、すでにセリフも違ってきている。

「なぜだ、大塚?」
「なにが?」
「大した金になるわけでもないだろう」
「金で動く。男はそれだけじゃないと思ってる」
「男ね」
かすかに、飯島が笑った。

 これもハードカバー版の裏表紙あたりにあったやりとりである。口だけでなく、行動でも、平気で命を賭けるようになる。そして、冒頭に書いたハイライトにあるように、自らを標的とすることで事件の渦中に立ち、男であることを実感できるようになっていく。大塚自身にとっての“標的”とは、自分が男であることを実感することだったのだ。

 本作には、2人の美女が登場する。1人は、見るからに派手なタイプの美人の「めぐみ」、もう1人はどちらかというと地味系だが、どこか気をひく(本作の表現で言うと、「口もとにちょっと色気がある」)タイプの「久子」である。北方HBでは、どちらかというと派手系の美女の方が主流だが、本作ではなぜか久子の方が気になる。めぐみほどではないが、時折見せる気の強さがなんともいい。特に序盤では、大塚に対しては単なる好奇心もしくは嫌っているようなそぶり(いきなり電話切りなど)を見せているが、彼に対する態度の変化から、次第に惹かれていっていることがわかる。めぐみを美人の典型だとすると、久子は、「可愛い女」の典型だ。大塚への過去の告白とそれに対する大塚の優しさ、そしてラストの久子と大塚との会話もなんとも泣かせる。大塚がカッコよすぎるのだ!

 いろんな意味で、北方HBのエッセンスが詰まった本作、初めての方にはとくにおすすめしたい作品である。



 

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