「忘れたくないんだ」
「なにを?」
「自分が男だってことをさ」
「血だるまになるのがそうなのか?」
「時にはな」
これは、北方謙三(以下、「氏」という)の、ある小説の一節に出てくる、主人公と1登場人物のやりとりである。氏の作品の中でも、比較的マイナー系に属する(と私は勝手に思っている)ものなので、かなりの濃いファンでないとすぐに題名が出てこないのではないだろうか。
とにかく、なんともきざな、およそ現実に口にすることなど到底できそうもない台詞のオンパレードを、味わってほしい。
氏のハードボイルド(以下、「HB」という)小説のキーワードは、なんといっても「男」であろう。主人公はみな、例外なく自分の「男」を、時には命よりも優先する。氏独特の論理で、「男」を傷つけられるパターンがいくつかあり、その時に主人公は、どんなに小市民的なキャラクターであっても、時には自分でさえも気付かなかった牙を剥くのである。
「やつが殺されたということは、おれが殺されたということだ」…
この、一見奇妙な、しかし本にはまりこんでいると妙に説得力のあるフレーズを主人公がつぶやくと、読んでいる者は思わず心を躍らせる。大抵、さして親しみを感じていなかったが、ひょんなことから運命共同体になってしまった脇役が敵に襲われるという設定で、この台詞が出てくる。文庫本の解説ではよく、この時の心理状態を、「友情」という言葉で片付けているが、これは感心しない。もっとさめた、それでいて熱い、何とも不可解な心情をくくるには、あまりに安すぎる言葉といわざるを得ない。
氏のHB小説の魅力は、純文学出身のその格調高い文章(HB作家としては、傑出している)もさることながら、なんといっても「男」へのこだわりである。しかし、それと同時に、一見ストーリー主義を拒否しているかに見えて、実は巧みなストーリー展開、さらに、脇役陣の魅力あふれるキャラクターなども優れており、連作ものにこうした特長が活きている。
氏のHB連作の最高峰は、無論「老いぼれ犬」シリーズ(集英社刊)であろう。なんといっても出世作「弔鍾はるかなり」が出た出版社であり、ここから出る作品が群を抜いている。「眠りなき夜」でさっそうと登場した稀代の名脇役・高樹良文警部が、一人づつ「男」とすれ違っていく、そんな感じの作品群だ。あるときは逮捕し、ある時は逃がし、またあるときは最期を看取ったりもする。心に獣を棲ませながら、刑事であるために解き放つことができないという設定だが、どうしてどうして、こんな怖いおまわりさんがいるのか、という動きを見せてくれる。たとえば、…
「眠りなき夜」:民間人である主人公に警察車を勝手に貸し、自分が狙っている有力政治家の自宅に殴り込みをかけさせる。しかも主人公が用心棒との格闘でボロボロになっても、ターゲットが追いつめられて拳銃を持ち出すまで助けにいかない。
「檻」:上司から、ある男が選挙に出られないようにせよとの命令を受け、その男を逮捕するのでなく、主人公に殺させるようにしむける。
刑事って、犯人を逮捕するだけじゃないんだ、と実感させてくれる。
高樹警部は、最後のほうでは少年期からの回想という形で主人公に輝き、彼の登場する最後の作品で殉職を遂げる。壮烈な生きざまである。
連作もののナンバー2は、「ブラディ・ドール」シリーズであろう。地方都市の有力者・川中良一は、「トラブルの星」を持つ男である。彼の周りで、バタバタと人が死ぬ。地方都市で、こんなに人が死んだら、目立ってしょうがないと思うのだが、そこは小説である。氏の作品を読むときに、そんなリアリティなど些細なことだ。川中は「トラブルの星」を抱えているにもかかわらず、彼の周りには、実にたくさんの、しかも個性的なキャラが集まる。中には雇われて彼を殺しにきたものまで、いつのまにか彼の部下になってしまったりしている。最近、氏は、時代小説を次々に書いているが、「三国志」の劉備は、川中が時代を変えて現れたような気がする。
北方文学紹介MENU
―徐々に作っていこうと思っています…
弔鐘はるかなり――HB出世作から、北方HB原形の完成作である『檻』まで
(1999.8.4一部刷新New!)
舞踏の輪はそこにある――独断と偏見・偏読で選ぶ、お気に入りHB集(その1)。
(1999.8.10一部刷新New!)
女がどこかで泣いている――独断と偏見・偏読で選ぶ、お気に入りHB集(その2)。
(1999.8.10New!)
歴史ハードボイルド――北方文学に「時代もの」という表現はあたらない。あくまで「歴史HB」なのです。
(1999.5.15)
老犬シリーズ――「老犬トレー」の原点に迫る異色のシリーズ3作(うちまだ1作…)。
(1999.5.29)
冬は海からやってくる――北方HBの頂点に立つ不朽のシリーズ
(1999.7.18)
企画もの
―しょーもない発想の浮かぶままに…
北方HB 名勝負数え唄――北方HBを飾る“名勝負”の数々。
(1999.8.10追加New!)
北方HB 法則集――発見!? 北方HBにおける法則(ルール)。
(1999.8.10整理・一部追加New!)
北方HB 必殺技集――バイオレンスシーンを彩るエグい必殺技(よい子は真似しちゃダメよ!)。
(1999.8.10整理・一部追加New!)
北方文学関連サイト紹介(リンクです)
―「ブラディ・ドールシリーズ」と「老犬シリーズ」のコーナー。微に入り細をうがつ「ここが美味しい」など、深く読んでないととても書けない内容ながら、爆笑必至。北方文学関連サイトの少なさにかねてから不満だったYOTCHIEにとって待望のサイトである。