歴史ハードボイルド

 「歴史ハードボイルド」とは、よく言ったものである。どこかの文庫の解説か何かにあった表現であるが、北方の「時代物」にはまさにぴったりの命名ではないだろうか。古くからの北方ファンの中には、このシリーズを嫌う人も決して少なくないと思われるが、やはり北方ハードボイルドの精神はこれらの作品の中にも見事に生かされているのである。「歴史ハードボイルド」を読まないのは非常にもったいない。この間私がむさぼり読んだ作品を読んだ順に紹介しよう。
 


破軍の星(1990年・集英社、文庫1993年)


 不世出のヒーロー・北畠顕家の生涯を描いた力作である。

 全体についてまず一言、カッコいい…。ミーハーな表現だが。こんなにカッコいい人物が、なぜかこれまで主人公にとりあげられなかったのか不思議なくらいである。実際には誰かが描いているのかも知れないが、この小説によって非常に身近になった感がある。

 文庫版の本文がはじまる前に東北地方の地図がある。読みながら何回もここを参照してお世話になった地図である。本文を読み進みながらこの地図を見て気づくのは、当時の日本の勢力図が、単純に色分けできるようなものではなかったということである。あるところから東が南朝、西が北朝とかいうものではなく、双方が入り混じっているのである。顕家は陸奥守として多賀城(国府)に赴任するわけだが、京からむつへいく途中には当然いくつもの足利方の国をとおらなければならなかったはずであり、また、足利最強の部将の一人といってもよい斯波家長が多賀国府のさらに北、かなり奥深いところに斯波館を構えることになる。陸奥の中にも国府と足利の勢力が入り混じるのである。当然、この地の武士も、戦になった場合、情勢次第でどちらにつくか、流動的になる。『三国志』の「豪族」といっしょだ。

 この小説の圧巻は、やはりなんといっても足利尊氏反逆後、東海道を猛進撃して尊氏を敗走させるところであろう。
 

「京にむけて、ひた駈ける。これからは、駈けることが戦だと思え。遅れた者を待つな。戦で、待つ者は死ぬだけだ。家の子郎党が遅れれば、待ちたくはなろう。その時は、駈けることが戦だと思い出せ。京に着到した時、白地に丸、風林火山の旗と並んで立つ者だけが、戦をしてきた者ということになる。夜明け前に進発し、陽が落ちるまで駈ける。それが何日も続くのだ。馬が潰れれば、おのが脚で駈けよ。脚が萎えれば、腕で這え。そして、覇者の立つ地に立て」
 

 鎌倉での諸将に対する檄である。実に見事な檄である。「駈けることが戦」―いかにも北方節である。諸将の士気がびんびんに高まってくるのが目に浮かぶ。
 

 足利敗走の場面は、足利方(直義)の視点で描かれている。
「直義、勢多はどうした?」
 顔を見るなり、尊氏が言った。
「主力が崩れたのですから、いずれ退くでしょう。もう、退きはじめているかもしれません」
「それを大将が見届けずに、戦勝に浮かれたか。軽率にもほどがあるぞ、直義」
「お叱りは、後で受けます。それより、報告しなければなりません」
「朝廷が、叡山に逃れた、などと言うのではあるまいな」
「尾張に入っております」
「誰が、いつ?」
「陸奥守の軍勢が」
「馬鹿な」
「間違いはありません。五万の全軍で、親王も推戴している容子」
「確かめよ。いくらなんでも、速すぎる」
「すでに、心利きたる物見を、何名も出しております。注進は、この本陣に入るはず」
「まことか?」
 尊氏の表情が、蒼白になっていくのが、直義にははっきりとわかった。
 

 尊氏の狼狽が、目の前のことのように伝わってくる名場面である。あえて顕家の視点でなく、足利の視点で描くことで、顕家の鬼神の迫力が見事に描き出されている。
 最後のシーンは、あまりに壮烈で、涙なしには読めないシーンである。やはり歴史のヒーローは、悲劇に限る!?
 六の宮とのふれあいも、特筆したいところである。ただ強いだけではない、優しさも備えた男・北畠顕家の人物像が浮かび上がってくる。
 余談になるが、北畠顕家と言えば、どうしても数年前NHKの大河ドラマで足利尊氏をやった時のゴクミのイメージが強い。あまりにハマリ過ぎているのである。当時のゴクミは美少年系だったからなぁ…。



波王の秋(1998年・集英社文庫)

 実にスケールの大きい、ハードボイルドにロマンも加味された快作である。時代は北方得意の南北朝だが、いきなり話がインターナショナルだし、舞台は当時無限の広さであった海である。そして、敵は巨大な元朝。
 歴史上の記録に残らない、元の第3次日本侵攻を防ぐための上松浦党の活躍を描いたものだが、彼らは必ずしも幕府や朝廷に忠誠心を持っているわけでもなく、自分たちの生活を守るというのが基本の動機である。「国は守ってくれない。だから自分の生活は自分たちで守る」という図式である(現代でも別の形でそうなりつつあるような気がして恐いが…)。

 済州島の「ナミノオオ」軍と上松浦水軍の後押しで結成された「波王水軍」が、必殺「蝴蝶の陣」をひっさげて、元の大水軍に挑むわけだが、無論元との戦いまでにさまざまなドラマがある。その中身を書いてしまうとこれから読む人には楽しみを奪うことになってしまうのでそれはやめておこう。なにしろ出たのが最近の作品だし。そもそも、上記の設定を読めば、北方ファンならばいやでも血がたぎると思うのだが…。

 本筋以外でいくつかふれると、まずは中国大陸であるが、朱元璋や張士誠、方国珍などの名が出てくる。いずれも元末の有力な群雄で、朱元璋は明の太祖である。中国史好きの私には、こんなところに彼らの名が出てきてなんとも得した気分になった。ちなみに、『三国志演義』の諸葛孔明のモデルは、朱元璋配下の劉基という説がある(関羽のモデルは徐達、張飛は湯和。いずれも実在の人物だが、元末の羅貫中が彼らをイメージするのに当たって、自分の時代の有名人をモデルにしたわけである)。元末の時代は、実は三国時代並みにドラマに満ちている。これが少しではあるが、波王たちとからんでくるのだ。これはなかなかの見所である。
 波王水軍(というか上松浦党)の秘密兵器・独魚(どこ)は、要は火薬のない魚雷である。こうした新兵器(当然敵も対策として新兵器を作ってくる)もこれまでの時代小説にはなかった要素のような気がする。→偉そうに言うがこれまで時代小説をあまり読んだことがないので偏見で言ってます。


武王の門(1989年・新潮社、文庫1993年)


 時は南北朝初期、捲土重来を図る南朝の地方戦略の一つとして、九州に派遣された懐良親王が主人公である。解説にもあったが、北方はこうした歴史ヒーローを発掘するのが実にうまい。『波王の秋』の小四郎と『陽炎の旗』の来海頼冬は架空の人物(前者は多分)だが、懐良はどちらか言うと歴史の中で埋もれていたヒーローである。
 そして懐良が抱く夢は「九州独立」―なんとも壮大な、奇想天外な野望である。初めは薩摩から出発し、島津を破って肥後の雄・菊池と合流し、次第に覇道を進んでいくわけだが、それまでにまず、没落激しい菊池の再興が必要になってくる。このあたりの「懐良下積み時代」を過ぎてからの征西府の興隆はめざましい。九州最強の武将・菊池武光と連合して九州探題一色範氏を追い出し、そして最強の敵である少弐頼尚を長者原の戦で破り、ついに九州に覇を唱える。しかし…。
 この後はちょっと書けない。先に書いてしまうと物語の面白さが半減してしまうからだ。

 この小説で指摘しておきたいのは、敵役のキャラクターの魅力である。『破軍の星』の足利尊氏もさることながら、本作品に登場する九州の覇者・少弐頼尚のしたたかさ、手強さは、時代小説・歴史HB史上屈指の名敵役であろう。今川了俊よりも力量は上なのではないだろうか。しかし、戦の勝敗は強さだけが決しない―なんとなく、こんな逆説的なことが想起される。少弐頼尚は、ある意味で歴史上の悲劇の主人公と言えるかもしれない。


陽炎の旗(1991年・新潮社、文庫1995年)


 剣豪小説のカラーも少し入った作品。しかし、あくまで『武王の門』の続編であり、兵法的な駆け引きが中心である。
 実は、北方HBでも、剣豪ものはほとんど読んでいないのだが、この来海頼冬を見ていると、北方HBの真骨頂は剣豪ものでこそ発揮されるのでは、という気もしてくる。強くて、同時に賢くて、さらにどこか翳を持っている―北方HB主人公の法則にばっちり当てはまる。

 クライマックスの大野武峰との一戦は、戦闘シーンは短いながら、本を読むだけで固唾を飲むような迫力である。「業のようなもの」「宿運」で、頼冬は、第三者から見ればやる必要のない武峰との戦いに臨む。彼らが賭けているものは何であろうか。そう、それは「男」―。北方HB得意の「男の誇りを賭けた戦い」である。

 単なる『武王の門』の続編ととらえるとこの小説の本質を見失う。実はこの作品は、北方歴史HBの新境地への過渡期と見るべきなのである。


道誉なり(1995年・中央公論社、文庫1999年)


 これは、文句なしに「面白い」。文庫版発売当日に買ってしまった。「ばさら大名」の痛快さがふんだんに出てくる傑作である(道誉も、NHK「足利尊氏」に出てきたが、キャストは陣内孝則だった。これもまたハマリ役だったなぁ…)。
 しかし、道誉の奇行だけでなく、その将としての力量もしっかり描いているところはさすがである。

 本筋から外れるが、高師直って、尊氏にとって、曹操の夏候惇のような存在だったのかなぁ。どうも北方先生はそうとらえているみたいなんだけど…。


 以上、見てきたように、北方謙三は歴史HBも面白いっ!!
「かつての現代もののほうがよかった」「時代ものはちょっと…」などと毛嫌いしている人、実にもったいない!
 さあ、今すぐにでも書店へ行って歴史HBを楽しもう!


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