焼跡に響く、「老犬トレー」。飢えと暴力。幸太との友情の誓い。昭和21年夏。高樹良文、13歳。もちろんまだ老いぼれ犬とは呼ばれていない。あのメロディの源流をたどる書き下ろし長編。
集英社の紹介文である。もちろん『傷痕』ハードカバー版には、この文章は載っていない。主人公は、終始、「良文」としか書かれず、他の登場人物からも名前でしか呼ばれない。「集英社シリーズ」の高樹警部を知っている人でも、何の経過も聞かずに本作を読んで、この主人公が高樹だとは気がつかないだろう。実は、かく言う私もそうだったのだ。なんてとろい奴だ!と思われるかもしれないが、実際、かなり読み進んでから、帯に「焼跡に響く老犬トレーのメロディ」とあるのを思い出して、これが高樹警部の少年時代に違いない!とようやく気づいたのだ。
この話には、高樹のトレードマークともなっている「老犬トレー」の原点や、あの、必殺「手錠ヌンチャク」(だれかもうちょっとましな名前を考えてくれ〜)の原点も出てくる。心の中に獣を飼う男・高樹が、どうして誕生したか、後づけながら実に秀逸に描かれている。
彼の「集英社シリーズ」における位置づけを知らない人には、この小説の底に流れるテーマがわからず、単なる「焼跡もの」にしか感じられないだろう。しかし、単なる「焼跡もの」としても、思わず惹き込まれずにはいられない迫力がある。戦後の混乱の過酷さ・残酷さ・壮絶さが痛いほど伝わってくる。そしてアウトローの技にかけては文壇第一と言っても過言ではない北方先生、これはもう独壇場である。まず、やくざが仕切る闇市の店で盗みをはたらいた少年に対する制裁・「餅つき」が出てくる。人間を餅のように撞いてしまうのだ。捕まった少年たちを立たせて、やくざがかわるがわる少年の頭株をこん棒で殴り、良文と幸太にも1回ずつやらせる。良文の親友の幸太は、思わず泣き出してしまう。やる側が泣いてしまうほど恐ろしいリンチである。一度はやくざに憧れた幸太も、こういうところについていけない人間らしさをにじませる。後に仲間を作って共同生活をはじめた二人は、裏切りに対する制裁として、同じようなリンチをせざるを得ないはめになる。そこでも、冷静な良文と、日ごろの荒っぽさに似合わずくよくよしている幸太の好対照が面白い。幸太は君主タイプ・劉備玄徳タイプであり、良文は諸葛孔明タイプなのである。
幸太を慕って仲間に入ってきた7歳の和也の死のシーンは、本当に痛々しい。幼いながら、男になろうとして瀕死の重傷を負い、仲間に囲まれて何回も「嬉しかった」と言って死んでいく姿は、涙なしでは読めない。必然的に、読む側にとっては、それに続く良文の復讐が、どうしても期待されることになる。個人的には、この復讐シーンは、少し淡白すぎるような気がする。殺す前にもう少し恐怖感を与え、悲鳴をあげさせるか小便を漏らさせるくらいはやって欲しいと思った。でもそれでは実際リアリティに欠けるんだろうな。私は陰湿なのだろうか。
親から聞かされるだけだった戦後の厳しさが、いくらかでも窺い知れる、「ためになる」作品である。この本を読むと、しばらく白い飯がやけに美味く感じられる。ダイエットにも役立つ秀作!?である。
風葬(1989年・集英社)
次回予定(いつになるかは未定)
望郷(1990年・集英社)
次回予定(いつになるかは未定)