How to choose bamboo flute
尺八の選び方
■尺八に使われる竹
尺八は真竹という種類の竹を使います。真竹は肉厚があり丈夫であることから竹細工や工芸品、はては物干し竿、庭ほうきなど日常でもあらゆるところで見ることが出来ます。日本でもその生息数は多く、南は九州から北は東北まで広く分布しています。しかし、どんな真竹でも良いというわけではなく、根と根の間が詰まったものや、節と節の間の寸法が尺八の長さに適したものでなくてはなりません。一般に尺八を作る職人(制管師)が自ら竹を掘りに行くことは現代では少なくなり、竹を掘る専門家(といっても農業の傍ら等といったアルバイト的な人が多いようですが)からまとめて仕入れています。その価格はまちまちですが1本に換算すると1万円から高いものは10万円以上という話も聞きます。
■価 格
尺八の価格はそのほとんどが手間賃といっても良いでしょう。昔は尺八を教える師匠が自ら作って弟子に与えることが多かったためその価格も生産者と消費者という関係とは違った価値観から値段もその価値観に準じていたようですが当時の物価から見てもそんなに安いものではなく、少なくても給料1カ月分以上の価値があったようです。現在では練習管と称する見栄えのしない竹を使って作った安いものから高級管と称する銘木のような色と模様を有する竹で作った値段の高いものまでその価格には大きな差があります。
■尺八の価格決定要因
尺八には大きく分けて二つの価値観があります。一つは楽器としての価値であり、その鳴りや音色、音程など楽器としての性能に対する評価を基準とした価値です。もう一つは工芸美術品的価値でありこれは竹材の形や色の美しさ、竹材の希少価値等を基準としたものです。
制管師の尺八に対する考え方にもよりますが、最近の価格の基準は後者の「工芸美術品的価値」によって値段が付けられることが多いようです。安い尺八は、節の間隔がちょうど良いものでなかったり、竹が曲がっていて姿が悪かったり、径がゆがんでいて持ちにくかったり、掘り傷が甚だしいものであったり、節の数が七節でなかったり(尺八は七節が基本)、まだ竹が若すぎて柔らかく乾燥時にしわが出てしまったもの、といった見てくれの悪いものです。(*メーカーによっては大量生産品を安くしているところもあるが)これらは楽器としての性能とは何ら関係がありません。高いものは(私が知っている限りでは500万円というものを見たことがあります)バクテリアなどの影響により竹の表面に黒い斑の入ったもの、不自然な曲がりや歪みが無く、節の位置、根の形も良く姿が美しいもの、竹材が堅いものなどで、これら高級管にはメーカーによっては歌口や中継ぎ部分に金や銀の装飾を施している場合があります。これらも楽器としての性能とは全く関係がありませんが、竹材の堅さに関しては、音に影響があるという説、無いという説に別れています。私の考えとしては音に最も影響があるのは内径の作り(調律作業の善し悪し)が絶対的であり、堅さ(材質)の影響は鳴りではなく、音色にわずかに影響(調律による音色の影響度を100とすると材質は1くらい)している程度だと思います。しかし、私の経験(数百本の楽器を見てきていますが)では、斑の入ったものに多い繊維密度の低い竹や、燻した竹(これも水分油分が抜けすぎて軽くなり、また割れやすい)などは、同じ人が作ったものの中で比べても軽い音になるような気がします。
この様に書くと、現代の制管師は工芸美術品的価値だけを念頭に置いて尺八を作っているかのように誤解されるので付け加えておきます。尺八を作る方達は楽器職人としてのプライドがあると思うので、「この竹は安い製品になりそうだから鳴りを悪くしよう」などとは思ってないはずですし、「金を施したから楽器として良い性能を発揮する」とも思わないはずです。皆さん一生懸命、自分の子供を世に出す思いで作るのですから、「安いから鳴りを悪く作る」というようなことは無いはずです。「楽器としての価値」と「工芸的価値」両者について満足できる製品を目指して作っていると思います。ただ「竹材の善し悪しによって制作意欲が違う」という話は数人の方から聞いたことがあります。やはり、形の良い竹材はていねいに作りたくなる気持ちは誰でも共通だと思いますし、気を入れて作ったからこそ金を施して高い値を付けたくなる(もちろんそうしない人もいますが)のも頷けます。そして買い手側もそういう価値観で買うのでお互いに成り立つのです。(あ~~、昭和30年頃までの尺八はみな真っ白くて斑の入ってないものばかりでしたが。)ちなみに私の8寸管は約20年前定価13万円、6寸管は15年前定価10万円、楽器としての価値観だけで選びました。
■工芸品としての尺八の見方
尺八は製品として出来上がってしまうと、本来の竹の肉厚、重さなどは分からなくなってしまいます。かろうじて竹の堅さは分かります。「楽器としての価値」で選ぶ人にとってはこれらは関係のない話ですが、材料の善し悪しにこだわる人にとっては大事なことです。
重さ:手にとってみて重たいからその竹がもともと重たくて肉厚のある竹とは限りません。肉厚が薄い竹ほど漆地がたっぷり入り、重たい製品になります。まして漆地に入れる硬化剤の石膏の割合を多くしてある場合は非常に重たくなります。製品になると元の竹の重さは分かりませんが、持ったときに上管に重みが偏っている尺八は漆地のせいで重くなっている可能性が高いようです。竹の肉厚は下管より上管の方が薄いため、肉厚が薄い竹ほど上管に地がたっぷりと地が入ります。
肉厚:尺八の内径はだいたい皆同じなので(あくまでも大まかに言うとです)太い楽器は肉厚は厚く、細い楽器は薄く見えるものです。いくら太い楽器でも竹自体の肉厚が薄いときは地をたっぷり入れて作るので製品になったときの肉厚は厚くなります。細い楽器は相対的に見て地の量は少なくなります。
この様に実際、製品になってしまうと分からないのです。製品になった尺八を見て「重たいから」「太いから」良い材料であるということにはなりませんし、もし本当に竹材がそういうものであっても楽器としての性能とは関係がありません。逆に肉厚の厚い竹は調律が難しく、甲の「ヒ」(都山)「五のヒ」(琴古)が鳴りにくい楽器になる可能性もあります。
ダキ節:竹の節は必ず斜めになっています(横から見たとき)。尺八を正面から見たときに「ダキ節」のつり上がっている部分が正面になっているが尺八は「表開き」(準じて横開き、裏開き)と言い、姿が良いために多少値段を高く付ける人が多いようです。
■楽器としての尺八の見方
まず尺八の作り方(外観ではなく内壁の調律)を簡単に説明しましょう。
節を抜いただけでは尺八は、楽器としてのレベルには、ほど遠い鳴り方をします。ロツレチハ(リ)それぞれの音量や音色があまりにもばらついており、まず、そのままで使えることはありません。ごくたまに自然のままの内径の状態が非常に良く、節の削り方を工夫するだけで鳴る竹もありますが、バランス良い音色と音量にはなかなかなりません。ではどのように鳴るようにするかというと中(内壁)にパテを塗って成形をするのです。そして最後に「仕上げ漆」を塗るのですが、これら一連の作業を調律作業と言い楽器職人としての腕はこの調律の善し悪しで評価されます。昔は名演奏家=名制管師でした。つまり、吹奏の腕が確かであれば出来てくる楽器も(もちろん本人が満足いくまでていねいに作った場合)それなりのレベル(楽器としての)のものが出来たわけです。制管師といえども一人の尺八吹奏者ですからその吹き方は人によって様々です。「メリ吹き-カリ吹き」「外吹き-内吹き(いずれ説明)」「強吹き-弱吹き」「口腔内容積 広-狭」。いろいろ比較部分はありますが決定的なことは「吹奏が うまい-下手」でしょう。
最近は調律道具(内径ゲージや測定器やヤスリ、中継ぎリーマーなど)も工夫が凝らされ林鈴麟氏考案の調律道具など使うと簡単にある程度のレベルまで作ることが出来るようになりました。固まるのに時間のかかる漆地に石膏を入れることにより作業の効率化もなされています。昔は内径の凹凸やテーパーを目で見たり、手作りの簡単な内径測定器だけで計って作っていました。ホゾ部分もノミで削って作っていました。漆地も棒の先に少しづつつけては塗り、つけては塗りの作業でした。結果、内部の凹凸が出やすくそれが原因でなかなか鳴りが良くならないのをじっくり鳴らしながら少しづつ調律していくのです。(現在でもこの様な作り方をする人はいます)しかし、今も昔も最終的には良いものが出来るかどうかです。現代は機器のおかげである程度のレベルまで作る早さが早くなっただけだと思います。結果、一人の制管師の作れる本数は昔に比べてかなり多くなりました。ですから本当は価格も下がって良いはずなのですが(20年前と今の価格があまり変わっていないので少しは安くなったことになるのだが、というより20年前があまりにも高すぎた)手作業、職人技という感覚なのか洋楽器に比べるとまだまだ高いと思います。しかし尺八人口が少ないために洋楽器ほど売れないので自ずと高い状態が続いているのでしょう。話を本題に戻しましょう。では、どのようにして楽器の善し悪しを判断したらよいのでしょうか。もちろん自分が吹きやすい顎当たり、持ちやすい重さや太さ、などもあるでしょうがそれだけでは一生満足に吹き続けられるものであるかどうかは分かりません。先にも書きましたが「吹奏力抜群で誠意ある制管師」から買うのが最も早道であると思います。極端な話ですが「吹奏が下手な制管師」では内径状態がたまたま良くなる状態になってもそれが普段の自分の吹き方に合わなければ、知らず知らずのうちにまた壊してしまう可能性が高いのです。吹奏が上手な制管師の作ったものは吹いているうちに自分の悪い吹き方が直ってくるものです。当然この逆もあります。とにかく尺八は作り手の吹奏の癖などが見事に反映されます。鳴らない楽器を信じて吹いているとせっかくの才能の芽もつぶされてしまいます。「本当に尺八が好きで何十年も吹いていても下手な人」の楽器を見せてもらうと「ああ、なるほど」と思いながらも、あまりにも残酷すぎて本当のことを言えずじまいになることがよくあります。売り手は自分の作ったものを「これは良い」というのは当たり前のことです。しかし、「今はまだ鳴らないけれど吹いているうちに鳴ってくる」という言葉には根拠がありません。「鳴ってくる」のではなく「慣れてくる」のです。それがあまり良くないものであったら、「良くない楽器をなんとか鳴らせるように慣れてきて癖のある鳴らし方になってくる」ということです。恐ろしいことです。「息が入りにくい楽器」や「メリ吹きでないと鳴らなかったり、音がひっくり返る楽器」を吹いていると正しい呼吸法が身に付かなくなります。(呼吸法・吹奏法のページ参照)「吹奏力のある制管師を知らない」「自分に楽器を選ぶ自信がない」ときは吹奏力のある人に鳴りと音程を見てもらうのが一番です。そして、「値段の高い楽器」が必ずしも「鳴る楽器」では絶対にありません。「人に見せて自慢したい人」「床の間に飾って悦に入りたい人」には言いませんが、容姿ではなく中身で選びたいものです。(せめてなる八くんよりは鳴るものでないと意味がない)そして、「アフターケア」(音程の微調整、顎当たりなど)をちゃんとしてくれる「誠意ある制管師」が良いのは言うまでもありません。
■外吹きと内吹き
唇から漏れ出た息は歌口エッジの部分を境に外へ出たり中に入ったりを1秒間に何百回と繰り返し、管内の気柱に粗密波を生じさせ音となります。この時、外に出る息と中に入る息の割合は同じではなく、どちらか一方に多く偏ります。(ただし効率良く鳴っている場合に限ります)これは息が出入りする際に外にいる時と内にいる時の滞在時間に差が生じるためです。外にたくさん出る吹き方を「外吹き」逆を「内吹き」と言います(メリ吹きカリ吹きとは全く違います)。尺八奏者は皆どちらかの吹き方をしており両方出来るという人はいません。これらの吹き方は音が出始めた初心者の頃に決定されるようですがどのようなメカニズムで決まってしまうのかは分かりません。(この様な研究に興味のある方、研究方法についてアイデアがあったら教えて欲しいと思います。また、日本でエアリード楽器の第一人者である吉川茂氏はパイプオルガンにおける音源部分(エッジ)での空気が振動する様子を初めて撮影に成功し本も出版されています-紹介ページhttp://www.nikkei.co.jp/pub/science/page/piano/piano.html-)自分がどちらの吹き方であるかの調べ方としては乙ロの時に管尻にライターの火を近づけて調べます。火が消えないときは外吹き、あっと言う間に消えるのは内吹きです。(オイルライターは使わないように)息の偏りは乙の音の時に顕著に分かります。以前、演奏の仕事の度に楽屋で尺八奏者にお願いして調べたことがありますが(データとしてはプロ40人くらい)外吹きと内吹きの割合は2:1でした。音の印象としては内吹きの人は剛の音、外吹きの人は柔の音の感じに聞こえました。また、外吹きの人は他人が鳴らせる楽器はすべて鳴らせますが、内吹きの人は外吹きの人が良く鳴る楽器でも音がまわってしまったり、鳴りが渋かったりすることがあります。(全部が全部ではないが)ですから、内吹きの人は内吹きの制管師から楽器を買う方が良いような気がします。
■音程について
音楽を奏でるにあたって音程の正しさが非常に重要あることは言うまでもありません。尺八も楽器である以上、正しい音程が求められます。大前提として制管師の吹奏レベルが高く、音程に対する厳しさがなければ良い楽器は出来ません。しかしそれを買う側によっても吹き方の癖が違うため、同じ楽器でも吹く人が変われば微妙に音程が違います。「メリ吹きの人とカリ吹きの人の違い」は全体の音程だけではなく(全部の音が同じ分量だけ高くなったり低くなったりするのではなく)各音の音程のバランスも違ってきます。また、今までチの高い楽器(古い都山の竹など)を使っていた人は無意識のうちにチをメルように吹いていたりします。やはり楽器は買ってから自分に合わせた微妙な調整が必要となります。私は低めの音はヤスリで穴を削り、高めの音はビニールテープによって調節をします。昔、非常に気に入った音色の楽器を音程がひどく悪いのを承知で衝動買いして自分で穴を動かして(確か1センチ以上狂っていたはずです)調節しましたが、あまりにも大きく動かしてしまったために鳴り、音色とも別の楽器のようになってしまい(もちろん悪くなった)大失敗したことがあります。
■尺八はなぜ高い?
尺八の値段はここ十数年あまり変わってはいません。練習管で10~15万円くらい。少し良いもので20~30万円くらいでしょう。製管師によっては師匠割引や直売割引を行っている場合もあるので実際にはこの2~3割引くらいで売られることもあります。それにしてもフルートなど洋楽器では安いもので定価5万 円くらいから売られていることを考えると尺八の方が若干高いように感じられます。しかし尺八は業界の長期低迷から売れる絶対数が極端に少ないため、割高に なってしまいます。また、売れる本数が少ないためにスローテンポで作ることが出来るため、結果的に手間をかけて作り、1本にかける時間が多く手間賃としても高くなってしまうようです。突出して販売数の多い人気のある制管師が定価を下げる努力をしてくれると良いのですが、そうすると売れない人(技術はよいが 営業が下手で売れない制管師)が大変なことにもなりそうなので、尺八の値段を下げるには尺八人口を増やす他に手はありません。製管業界が活性化すると尺八界も少しは活気が出るかも知れません。そんな願いも込めて「なる八くん」を世に出しました。
■なる八くんから解った尺八という楽器の繊細さ
なる八くんは現在1200本ほど愛用されています。これだけの本数を手作りで供給してきた工房るいなすさんのご苦労には頭が下がります。すべて手作りで作っていると、全く同じようでいて1本1本がほんの僅かだけ違ってきます。それはミクロ単位の話ですので(たまにミリ単位のこともあるけれど)見た目では全く分かりません。しかし全部試し吹きをすると、その微妙な違いが分かります。内径は規格品なので殆ど同じですから歌口の深さ、顎アタリ、歌口の内側の削りの微妙な違いくらいしかありませんが、これが音に顕著に現れるのです。顎アタリの削り具合だけでも音に影響します。これは歌口の深さとの関係ではないかと思います。歌口の深さがほんのわずか違っても鳴りが変わります。特に「リ」(乙のハ)には顕著に影響します。歌口が深すぎるときは顎アタリを多めに削ることにより対応しています。そのほかにもいろいろな発見があるので自分も勉強になります。
■「悠」という楽器のすごさ
船川利夫先生監修の尺八通信講座がありました。その教材についてくるプラスチック尺八がとても吹きやすく、入門してくる生徒にはこれしかないと思い、この通信教育会社に電話をしたことがあります。「まとめて何本も買いますから楽器だけ売ってもらえないでしょうか?」そうすると「私共は通信教育講座の教材として提供していますので受講生になって教本とセットでなければ売れません」と。それでも欲しくて設計した人を捜しあてて連絡を取り何とかならないか問い合わせたのです。その方が永瀬さんで、現在「日本コンダクター販売株式会社」を経営されている方です。その時は「権利も全て通信教育会社のものだから何ともならないんだ。押入に3本くらい残ってたから売ってあげますよ」ということで残っていた分を譲ってもらいました。当時から安価である程度の性能を有した入門用楽器の必要性を感じていたため、このプラ管が手に入らないと分かったことが「なる八くん」を作るきっかけになったのです。その後永瀬さんがこの通信教育会社からプラ管を生産する金型の使用を許され大量に売られることとなったのです。しゃくはち風庵でもこのプラ管「悠」を入門セットとして売っていますがやはりすごい性能です。これなら舞台でも充分使えます。みなさん、尺八を始めたい人がいたら「悠」をすすめましょう!