2007年5月分


[雨の光]


5月30日
 何か気になって小さな虫をマクロで撮って、拡大したら、
緑の目と不思議な羽根模様の虫がいた。蠅の半分より小さい。
はじめて見たけれど、何の虫だろう。そしてしばらくしたら
雨が降ってきた。ヒメジオンのたたずまいを撮ったら雨の光が
幾筋も映っていた。カメラの目は(写真は)私とイコールでは
ないのだなと思う。その出会いの偶有性が私は好きなのだと思う。
ひめじおんを姫紫苑と漢字で書くととても雰囲気が変わりますね。
北アメリカ原産だということをすっかり拭い去ります。

ミクシィに案内がありました。
ヒラオカサワコ・かみいとおほ二人展『ささやかにともると』


みつとみいくやさんがブログ狼編集室を初めました。
私達の詩の仲間で若くして亡くなられた高雄健一郎さんの詩を
みつとみさんが紹介しています。とても熱心にいい詩を
たくさん書いて、詩を書く情熱とともにいた高雄さんを
その言葉からくっきりと思いおこしました。



[朝の光]

5月27日
 朝ごはんのとき、何かにラップしておいたのを外して、テーブルの上におき、
なにげなくごはんを食べた。なにげなくそのラップを撮ってみたら、窓からの
光が、数本の虹色の光線になって射していた。受胎告知の絵のように。


 ここ数日、かみいとおほさんの、もうすぐ出される詩集『ささやかにともると』を
読んでいました。とてもおもしろい詩集です。6月に絵との展示会をされるので
それに会わせて制作するということでした。発行はフロッグザクロック。
 いつも個人誌「カエルの置き時計」と同じところです。




[夏のようです/プロジェクターで映す写真データをつくりました]

5月24日 
 きょうは暑くてしかたなく、はじめてエアコンを使ってしまいました。
体がだるく重くつらい感じでした。そしてまだ目がちょっと痛いです。

なんとかプロジェクターで映す写真データをつくりました。SDカードにデータを
移すのも初めてだったのですが、SDカードにデータを記入するのにフォルダーの
階層を作らなくてはいけなくて理解するのに時間がかかってしまいました。
プロジェクター側でデータを受け取るときに必要な階層です。
リムーバルディスクを立ち上げて、すっかりパソコンの写真データをSDカード
に移しました。そしていよいよプロジェクターで映しました。ところが!
プロジェクターのサムネイルの画面に写真が見あたりません。ない!
ちゃんとデータはリムーバルディスクを通して入れたのに。ないのです。
もう一度、説明書をもってきてよく調べました。すると、・JPGファイルの名前の
付け方が特別なのでした。アルファベット4文字と数字4文字で構成する
必要があったのでした。それで、一枚一枚すべて名前をつけな押しました。
そして再度挑戦。ようやく、プロジェクターのサムネイルの画面に写真が
出ました。胸をなでおろした瞬間です。




[バラの季節]

5月20日
 道をゆく肩先に、ふわりとフェンスから張り出したバラの花が
ふくよかな香りを漂わせる。五月は、バラの季節だなと思う。
そして草木が元気になってくるのと同じく、昆虫たちも。
家の回りの草むしりをしたら、カタツムリがにょっきり目を
突き出してこちらを見た。雑草のシダを引き抜くと、大きな
蛙が現れ、きょとんとしてこちらを見ている。カメラをとりに
家に入ったら、もう蛙の姿は消えていた。残念。

19日は現代詩の会が渋谷であった。合評会はいつも熱心に
いろいろ言葉が交わされる。とくにこの日は、作品も多く、
面白いものばかりで、いろいろ感想も途切れない。
ついに一時間延長! の3時間。
森ミキエさん、私、水嶋きょうこさん、川口晴美さん、
山本洋介さん、長田典子さん、辻和人さん、薦田愛さん
の順に来た。その後、カフェでさらに続いたようですが
私は都合で先に帰らせていただいた。

目の痛みを言ったら、山本さんに、カシスがいい、即効性が
あります、と教えてもらった。きょうコンビニで買ったサプリ
をとりました。な、なんと、本当に効果がわかるではないですか。
スゴイ! 山本さん、ありがとう。というわけで少し楽になったの
で、更新しました。でもね、はっと気付いてサングラスを掛けて
パソコンに向かってます。やっぱりサングラスしないとまた
痛くなりそう。






[若冲展]

5月14日
京都まで行ってきました。伊藤若冲の代表作『動植綵絵』30幅が一挙に『釈迦三尊像』とともに
展示される相国寺へ。なかなかこんなひことはないらしいです。120年ぶりということで、
ハレー彗星並なことです。圧倒的。これまで4幅づつ三の丸尚蔵館で展示されるものを数回みました。
でも、全て揃った一部屋の中に立ってみると、その気迫と、緻密さと、永遠の楽園を溢れさせる絵に
真っ白になってただみつめるばかりです。


このところ目が痛いので更新が少な目で失礼してます。
6月3日の歴程の朗読会で二階の朗読会場とは別に、一階の和室で
床の間にプロジェクターで写真をスライドショーします。
そのデータを選び集めて作っているのですが
大量に過去のものを見るのはやっぱり目に来るようです。



[海の記憶/スカイ・ウェイ・モーテルの詩]

5月11日
 きょうは仕事で映画『イカとクジラ』のレビューを書き、不器用な家族の
いとおしい失敗や崩壊や、16歳の息子の屈折と成長など、浸みる世界
に浸りました。

 男性の意識があるんだね、といわれた「スカイ・ウェイ・モーテル」の詩です。
奇しくも、この詩は数年前に小林のりおさんからいただいたメールにあった言葉から
書いた詩でした。

スカイ・ウェイ・モーテル  北爪満喜

熱帯の町を歩いていて
ハイビスカスの花が咲いていた
ほこらしく朱く
まぶしくて
立ちどまり 一輪を摘んでしまった

空港のロビーでジャケットの胸ポケットにそっと移し
乗り込んだ
帰りの旅客機のなか
眠くなる
目を閉じる わたしの頭上で
取り付けられたTV画面に
ハイウェイの乾いた昼を走る車が映りだす
「スカイ・ウェイ・モーテル」という名の
映画が上映されはじめ
乾燥した冷気と飛行音が
高度1万メートルの座席に沈む わたしから
過去を奪い去ってゆく
眠くなり
 わたしは
  熱帯の
   島のまわりを歩きまわって
    低く押しつぶされそうな屋根のしたの
     風の通る 海辺の小屋に入っていった
      長い籐椅子に
      まねかれる
      横たわって目を閉じる
      眠りに落ちる
      すこしまえに
     かすかな足音が小屋にきて腰をおろすけはいがした
    (ハイビスカス)
    島の
   海辺の
  砂浜は短く 
 白くうすい砂浜に
ななめに突きだした椰子の木の
根本まで波がうちよせて
低く押しつぶされそうな小屋へ
風がときおり いきおいよく
通りすぎる
小屋には(ハイビスカス)
花びらのような赤くひろがるサンドレスから
しなやかな足を長くのばし
甘いフルーツの籠の隣で
少女が横たわっている
かたい瑪瑙のような瞳を
からからの空へ
あてたまま
仰向けに
ゆっくりと
うでをうごかし
空に鳥をえがいている 
ドレスが波のように呼吸して 
熱帯の果物の香りのなかで
なんども鳥をなぞっている
ゆれる翼を 飛ぶ胸を
くりかえしえがく波音に フルーツの甘い香りが絡みつき
水しぶきのように 
きみが鳴く
キラリと鳥が鳴くように
短く
きみの声が 跳ねる

籐椅子で わたしは
熱くなり
呼吸の海から跳ねあがる
銀色の羽根の飛び魚になる

きみの呼吸の波に合わせ
波頭をきって跳ねあがる
飛び魚はきみのえがいた鳥に
空でかさなる夢をみる
銀色の魚の羽根は空の羽根になってはばたいて銀色の翼の鳥になる

小屋で、
呼吸する、
べつべつに、
果物の甘い香りにつつまれ、

きみとわたしは
床に 籐椅子に 
それぞれ横たわっている
でもなぜ朱いドレスのすそがだんだんとちぢれてゆくのだろう

暑い小屋の屋根の上では
遙かにジェット機が加速して
照りつける太陽に白く焼かれ
空の青をつきぬけてゆく

熱くなって目を覚ました
固い座席で体を起こすと
上映中の画面には
スカイ・ウェイ・モーテルの
陽にやけて褪せた水色の
カーテンが風にそよいでいた

それから座席の左をみると
丸窓から厚い雲海の白い層がひかっていた

肩をねじるようにして
丸窓から たなびく雲海の白い海を眺めるていると
ふいに身をのりだすようにして
わたしのジャケットの胸ポケットから
ひらり 朱い花が覗いた

   ドレスのきみが 朱くまぶしく
   ハイビスカスの花になり
   白い雲海をみつめていた
   花びらは しおれちぢれはじめて苦しそうなになっているのに
   ほほえみながら
   あきないようすでいつまでも雲をみつめている
   押しつぶされそうな屋根のしたの
   飛びたかったきみの
   渇きは
   水分とともに解き放たれて
   枯れてゆきながら
   輝いている

花首を折って根から切り離し
あの町から摘んできたわたしとここで
着陸までの
すこしのあいだを
尽きるまでの
えいえんを
この空で白い雲の野をかけだすように
飛んでいよう

飛び魚のようなジェット幾が金属の羽根を反射させ
スカイ・ウェイ・モーテルの上空を小高い山のほうへ
飛んでゆくシーンがわたしたちの背後で流れているといい





[明け方の夢]

5月9日
 とても印象深かったのに、思いだせない明け方の夢。
私は市場のようなところで品物をうる男で、同時に自分の
ような買い物客の男だった気がする。ときどき他者で
男性なのにそれが自分だ、と思うことがある。
 ある日、詩の合評会で、北爪さんは男性の意識がある
んだね、と「スカイウェイモーテル」という詩を書い
たときに言われ、えっ、と思ったことがある。そうい
うよく分からないものが、いろいろ出てくると面白い
かもしれない。書くことは奥が深い。夢も。

長田典子さんが個人誌「CO.CO.DAY'S」を手作りで創刊。
おめでとうございます。ブログと同じ名前がジャズから
きているのだと知った。

写真家小林のりおさんから、写真批評誌「photonwork」
を送っていただいた。小林のりおさんと野口里佳さんの
対談が面白かった。「転換のメルクマール 90年代の
写真をめぐって」では、写真は現代美術という観点を抜き
に語れない。現代美術は写真を抜きには語れない。という
切り口のもの。野口さんが最終形態が展示空間だという
意識で作品を制作しているというのが新鮮だった。



[分裂]

5月3日
走り過ぎてゆく車が、つぎつぎと分裂してゆくビルの窓。
よくみると少しづつ車の傾斜が違っていておもしろい。
窓が目だとしたら、イメージは目の数だけ分裂している。

◎お知らせ
 poenique の4wheels で同人誌評を書きました。
これから4ヶ月に一度の受け持ち。
インターネット、詩集、リーディング、同人誌を
4人で担当してゆきます。

今回は
新井高子さん主催の詩誌『ミて』
水嶋きょうこさん発行の個人誌『aquarium』4号
島野律子さん編集の『プラスマイナス』102号
かみいとおほさん発行の個人誌『カエルの置時計』6号
について触れました。



[跳ね返す、透き通る]

5月2日
 たとえば私を湖にみたてると
 水の私は見えているものを跳ね返し、聞こえた言葉を透きとおらせて、ゆれる。
 水の水面が波打つ。すると記憶と今が水面で重なりあう。それは呼吸のよう。


私の詩 保護区 を総合誌「モーアシビ」9号に載せたのですが、
小島きみこさんがブログ「ポイエーシス」で深い感想を
書いてくれました。ありがとうございます。

「ポイエーシス」より


北爪満喜さんから「モーアシビ」がとどきました。北爪さんの詩の
なかにも「えぇっ」という言葉が使用されていて、なんだかおかし
かった。「保護区」という作品、えぇっ、どこにそんな崖っぷちが」
あるの?と思ってしまう、タイトルから、魚保護林を魚になって彷徨う。
この林は、彼女の「記憶」から浮かびあがったもの。他の人と違うのは、
少女の記憶のなかの林ではありません。少女の彼女ではなく、崖の記憶
が新しい林を造成した現実の林を、大人の彼女が、「もっと険しく切り
たった裂け目を見つけ  泳ぎ出す」のです。ここに存在する、彼女は
「記憶」で、魚は現在の「彼女」です。
 表現というものの、むずかしいところへきました。詩を書く人の心と
魂の在り様の極めて高次元の状態です。この詩には写真もついていますね。
より、この異次元の世界をリアルにしています。「詩」とはどこに存在す
ると思いますか?詩人の空想のなかに?言葉と時間は、ここにあるの? 
身体は《ここ》にありながら、詩人の精神は、「震えながら渡りきりたい」
のです。何を?「文字にもならない見えないことばを」
崖っぷちの林を泳ぐ詩人の魂は、「魚保護林」で守られています。詩人の
身体は、言葉に逢いにいくのです。(とうとうきたねきたかったんだ  
って詩人は、言葉の魂に話しかけます。言葉の外側から、言葉の内側を覗い
ているのです。冷たく震えませんか?白く光る炎が見えるような光景です。
この苦しみを
《言語の悦楽》と感じ取れるとき、言葉は、皮膚から身体の精神の衷に入り、
動物のアニマのように、言葉は現われるのです。永遠の「魚保護林」のなかを。



また、谷内修三さんが読書日記で感想を書いてくださいました。
谷内さん、ありがとうございました。


そして樋口えみこさんから、メールをいただきました。
「林の中へ私も迷い込むように読み始めましたが、独り言のあたりから
北爪さんの声が聞こえるようで」
「北爪さんの声が一度聞こえてくると、詩を読むことを意識しないで
私はいつも耳を傾けています。」
身近に受け取ってもらえてとてもうれしいです。