今月へ



[夢の高地]



11月28日
 室内をみまわすと、まだ夢の高地がただよっていた。
高地は磁力のある丘で囲まれていて、車に乗って出ようとしても
出られない。また高地の市街への碁盤の目の街路のどれかを
戻ることになる。右手を母と繋ぎ、歩く。困っていると左手を青年が
掴んでいる。今回は助けてあげるけれど、と言っているから、
どこかに到着すると母と私だけになるらしい。高地の外の風景
は霞んでみえない。ただ外があるのがわかって、出たいとい
気持ちがある。高地の街路には遮断機が無数にとりつけられている。
降りていないところが多く、道幅に届かない短いものも多い。



[駒沢 秋雀]



 

11月26日
 雀たちと目があった。ころころと太った雀たちは何を食べているのだろう。
ここには食べられる木の実や虫がたくさんいるのだろうか。
雀というと伊藤若冲の「秋塘群雀図」を思い浮かべる。あの絵には群れなす雀の
中に一羽だけ白い雀が飛んでいた。一緒に群れてはいてもたった一羽だけ異なって
いる孤独がなにげない情景のなかだからこそ際だっていた。



[阿部日奈子さんが書評を書いてくださいました]
11月22日
ミてプレス(新井高子さん編集)で阿部日奈子さんが書評を書いてくださいました。
ありがとうございました。

[秋のなか]


11月19日
 あつまってくる秋のかけら。
 
通路の詩と写真展7回ではティーカップの中に写ったステンドグラスが人気になっている。
たまたま出会う。それがあるから楽しい。

[あったかい]

11月18日
 陽差しがあるとほっとします。
二日前からバックアップの日々です。DVDに16枚焼きました。でもまだまだあるー。
さぼっていたつけです。バックアップは同じものを2枚づつ焼くようにしているので
たいへんな枚数になるわけです。こまめにやっておくのだった。


[駒沢駅付近 秋/佐藤弓生さんが「歌壇」12月号で書評を書いてくださった]



11月15日

 花壇ではなく「歌壇」12月号で佐藤弓生さんが書評を書いてくださった。
佐藤さんはお手紙でも、ちいさな旅、半径1キロくらいの旅をしたような気持ちになったと
書いてくださったが、こちらでは「飛手」をあげ「自分の手が自由を味わっているさなか
、自分の意識は奈辺にあるのか。」という自由への希求について触れてくれたあと、
    
    死んでも元気っていいです
    
    と ぽろりと口から こぽれてしまった
    ぽろりと
    元気なひとことが
    まるで赤い実のように   (「夜の畳」)

上の引用をして、
「故人であるはずの父親が〈昼寝から覚めたように畳みから起きあがる〉夢をみて、
語り手はこのように応じてしまう。微量の悲しみ、痛みを秘めたユーモアが差し出される。」
と評してくださった。




[ノスタルジー]

11月12日
 すこし前、ある秋の実家近くの道から。
私は中学校へゆくときも高校へゆくときもこの道を自転車に乗って通学していた。
雨のときとさすがにバス、ということもあったけれど、あの頃は片手に傘を持ちながら
自転車に乗っていたのでした。


[六本木 花壇]











11月11日
どこかが欠けたままで歩く。
思い込みをしていたので行ってみたら休みだった。
硬い空気を吸う。くっきりとしている中で花壇の花はしおれていた。
動物の顔が必要だというように、ときどき動物の顔がある。



[ぽつり]

11月9日

雨がビニール傘にぽつりと当たる
ぽつり 
雫は 上空からいっきに地上まできたのだ

空                 わたし

雲の上を旅客機で飛んだことがある 
やわらかな白い雲の原がどこまでもたなびいて浮かんでいる
ならば雲は 数千メートルの上空にあるから
数千メートルをいっきに落ちてきて
はじめて受け止めたのが私のビニール傘

遙かに頭上を直線が突き抜けてゆく

一滴の雫が
ビニール傘を響かせる ぽつり
ぽつ  ぽつ
ぽつぽつぽつぽつぽつぽつぽつぽつ
上空とつながった


[日没まで]



11月8日
 ようやく秋らしいさわやかな一日になった。
歩いていると、上の方から視線を感じた。きょうはあの子か。
いつもいろいろな猫が蔦の絡んだ家の屋根にいる。
この家は誰かが住んでいるのに、外からはまるで廃屋のように見える。
少し行くと、公園の木々を透かして太陽が沈んでゆく。
まだまだ明るくて公園では子供達が遊んでいる。
あっ。撮ったすぐ後で、止まっていた自転車はおじさんに乗ってゆかれる。
一瞬後にはもうこの光景はなくなっている。

夕陽が沈んでゆく。


[水嶋きょうこさんから詩集の感想が届く]

11月4日
一緒に合評会をしている詩の友だちの水島きょうこさんから
拙詩集への感想メールをいただきました。
たいへん励まされました。了解を得ましたので載せさせていただきます。

・水島さんの感想

詩集『飛手の空、透ける街』ご恵贈下さりありがとうございました。お礼が遅くなっ
て申し訳ありません。

魅力的な詩編の数々。体調の悪いときに読んだのですが、本当に言葉の力に救われる
ようでした。美しい言葉の持つ透明感、自由な浮遊感に病気という現実を忘れ、力を
頂き、夢中で読ませてもらいました。

「飛手」という詩作品。蝶の形に合わせた左右の掌が夢の中、自分を離れ自由に飛ん
でいく。起きた自分に、記憶はないが、ペンの先から言葉となって、飛んだ記憶があ
らわれる。詩世界そのものが、この詩には表現されていると思いました。日常の自分
の意識から解き放たれた時間や空間を、漂っている言葉たち。その言葉に誘われるよ
うに詩集の中を心地よくさまようことが出来ました。

「保護区」も、言葉に導かれて突き進んでいく詩です。魚保護林というプレートの文
字を見かけた時から、言葉が生き物のように動き出す。動く言葉に誘われているはず
のない魚たちが、林の中をさまよい始める。それは世界の裂け目、悪夢のようでもあ
り。怖いけど体験したことのない新鮮なわくわくするような感覚でした。

「密集」。窓をつたう雨の雫から、世界がどんどん広がっていきます。稲妻というの
は、とても人に不思議な感覚を与える自然現象です。体の中から違うもの(時間・場
所・人格・・・)がはいあがってくるような・・。そんな不可思議な体感を凄くリア
ルに感じさせる詩でした。詩人は稲妻を体験しながら少女時代を思い出します。で
も、かわいらしい少女の思い出では決してない。思春期の荒々しいむき出しの生に対
する時間でもあり、生き物が密集するような生々しい息づかいを感じさせる空間で
す。稲妻という異空間が、生の亀裂を呼び覚ますような迫力のある詩でした。

そして、この詩集を通してもう一つ強く感じたのは、まなざしの交感。地上と天上で
交わるような声が聞こえてくるのです。その柔らかな声が、とてもわたしを引きつけ
ました。

「月の瞳」では、昼の月をみつけ、消えそうな月にミシン目で点々をいれておいた
(凄い発想でびっくりしました。)わたしが、夜疲れて帰るとき、まぶしすぎる夜の
月に切り取った昼の月を被せ、体の中を照らしていく。ゆっくりと一日の営みで疲れ
たはずの自分が解き放たれ、体の細胞が隅々まで広がり、癒されていくように感じが
よくわかりました。地上の自分と天空の月との関わりが、固い自分の心を解放してく
れる・・、とてもいい詩だなあと思います。

「かならず」。冬の夜空をわたしはみつめています。冬の張り詰めた夜気の中でわた
しは透明になっていき、オリオン座と一緒になっていきます。自然と合致する、美し
い一瞬の情景。情念や雑念の入らない、浄化された静けさ。この詩を読んでいると、
至福の時を感じます。天上の母へ渡す言葉を、月を巧く使いながら描いた「ユリ」も
とても魅力的な詩です。他者(死者)や自然と交感する言葉が、読み手の心を再生し
ていくのでしょうか。読み終わると、なにか世界が違って見える。なにか温かな小さ
な強いものを、そっと心の掌に受け渡してもらった、そんな気がする詩集でした。


[通路の詩と写真展 file.7]


11月1日
 きょう、通路の詩と写真展 第7回の作品を搬入しました。
搬入なのに通路にテーブルが置いてあったので、通る人のじゃまにならないように
気にしながら掛けました。脚立にのって管理人さんが手伝ってくださいました。
 たぶん上の階にあるエステの帰りの女子が一名、わぁーきれいといいながら通路を
通って外へゆきました。通路のもう一方の壁には縦て長の鏡が等間隔にあるので向かい側
の写真が映って、ゆっくり歩くとちょっと不思議な空間になります。


詩「キオクの鏡」+組写真7枚で構成しました。
銀座へお越しの際は、ぜひお立ちよりください。