まごころ    (1975.2.1)

不朽のファースト・アルバム。デビュー曲「雨だれ」で始まり、また、B面ラストに同曲のオリジナル・バージョンが収録されている。まさに「『雨だれ』に始まり、『雨だれ』に終わる」である。

構成は、12曲を3曲ずつ、四季に見立てた、ちょっと凝ったものになっている。内容は素朴というか、むしろ稚拙でさえあり、純朴である。2曲目「幸福ゆき」ダサい…。しかし、そこがなんともいい。4曲目「雨の予感」う〜ん、イントロがちょっと長すぎるんじゃないの?5曲目の「ひとりごと」は本人作である。他愛のない歌詞と19歳の歌声が、男心をくすぐる。6曲目「夏の扉」では、一転してやや大人っぽさを感じさせる。7曲目「優しさを下さい」例の、台詞付きの歌詞だ。シメの「好きよ」は、この声でこう言われて、頬が緩まない男はまずこの世に存在しないと思わせる。9曲目「グレー&ブルー」も本人作。甘えるような調子で、10曲目の「ぬくもり」へと続く。そして、いかにも冬〜って感じの「白い季節」。「雨だれ」シングルのB面だが、もとはこちらがA面候補だったとか。悪くないけどちょっと暗い。やはり「雨だれ」が正解だったろう。そして「雨だれ」オリジナルバージョン。A面の「雨だれ」と区別するのに、私は「冬バージョン」と呼んでいる。こちらもこちらでなかなか風情があっていい。

何といっても「雨だれ」が軸となっているが、太田裕美の(特に後期の)アルバムにありがちな、B面でイマイチ盛り上がりに欠けるところが全くないところがいい。

とはいえ、特筆すべきはやはり「雨だれ」であろう。私は、「太田裕美は雨だれで終わっている」というのが持論である。でも本当に終わっていたら私は彼女の存在すら意識することはなかったのであるが。それはそれとして、やはり聴けば聴くほど、太田裕美はこの曲で完結していると思ってしまう。その歌声には何の衒いも、テクニックもない。しかし、19歳の、今の私にとってはまったくの小娘といっていい少女の歌声が、なぜか心を揺さぶるのである。なぜこんな小娘の声がこうも胸を締めつけるのか。「太田裕美の曲を1曲選べ」といわれたら、私は迷わずこの曲を選ぶ。しかも、この曲は19歳の太田裕美でないとだめなのである。渋公のコンサートでこの曲を聴いた時は、やはりはっきり違うと感じてしまった。40代の裕美さんには、「バージンからはじめよう」か、古くとも「雨の音がきこえる」くらいまでの曲の方がはるかに合っている。年齢とともに変化する声質・音域というものがあるので、こればかりは致し方ない。

うぐいす氏は、全体的に流れる少女趣味を批判しているが、まあ、私から見れば、「少女趣味いいじゃないか」といったところである(「ウンコなんかしません」的少女像というが、私は実際にそうだと信じていた)。氏は、ジャケットのダサさも「少女趣味」として攻撃していたが、私はまったく別の視点でこのジャケット(ダサいことは私も認める)に注目した。それは、この当時の彼女が意外に老け顔なのである。化粧の洗練されていない点もあろうかと思うが、例えばLP『オモキミ』あたりと比べて、どちらが若いか質問すると、彼女を知らない人はたいてい間違えるのではないか(『タマピリ』でもそうかも)。太田裕美は、年齢とともに若くなる、すなわちマイナスに老ける特異体質なのか?さては…。しかし、コンサートに行った人の「研究委員会」への投書で「やはりオペラグラスで見ると肌など年齢は隠せません」というコメントを見て、少し安心した。なぜなら、太田裕美は決して妖怪変化だったり、(楊貴妃のように)「処女の生き血浴」をしているわけでないことがわかったから。

少し脱線したが、要は、内容・ジャケットともに、洗練されていないこと自体が、このアルバムの魅力のひとつなのではないだろうか。

  • 『裕美抄』

    ヒロイン