さらば、荒野(1983年1月カドカワノベルズ・1985年4月文庫化)

不滅のヒーローを生んだ不滅の名作

 冬は海からやって来る。毎年、静かにそれを見ていたかった。
 だが、友よ。人生を降りた者にも闘わねばならない時がある。
 虚無と一瞬の激情を秘めて、ケンタッキー・バーボンに喉を灼く男。
 折り合いのつかない愛に身をよじる女――。
 夜。霧雨。酒場。本格ハード・ボイルドの幕があく!

 文庫版の裏表紙の紹介文(?)である。なかなかの名文だと思う。「友よ」の「友」が、なにを指すのか意味不明なうらみもあるが…。

 「ブラディ・ドール」シリーズ、いや北方HB史上不滅のヒーロー・川中良一の登場作である。
 初めはシリーズ化される予定でなかった本作では、生身の人間・川中の姿が生々しく描かれている。2作目以降の完全無欠ぶり・貫禄といったものはあまり感じられず、感情も生々しく、結構エラーも多い、普通の人間像である。ただ、とにかくけた外れのタフネスぶりは、すでにいかんなく発揮されている。
 序盤、ボクサー崩れに不意打ちを食らって拉致されるが、必殺の左ストレート(おそらくサウスポーという設定なのだろう)を食っても倒れない。さらに、拉致された後の格闘でも一歩も引かない。最後はパンチドランカーとは言え、ボクサー崩れをKOしてしまう。やはりとんでもない男である。ちなみに、北方HBにボクサー崩れが登場した場合、多くの場合パンチドランカーのような気がする。これも「法則集」に加えてもいいかもしれない。

 ストーリーは、武器輸出疑惑がらみの企業秘密をめぐっての、企業と暴力団、さらには市長をも巻き込んだ抗争劇で、派手に死人が出る。この中で、川中の弟、そしてその妻・美津子も命を落とす。美津子の死の場面では、北方氏得意の大技・体言止め三連発で、川中の切ない重いが見事に語られている。他にもブラディ・ドールのフロアマネージャーの内田や、終盤では川中の盟友とも言える神崎まで壮絶な死を遂げる(内田もさることながら、神崎の死はちょっとショックだったな。ほんとに犬死という感じだもんな…)。
 本作では、シリーズで欠くことのできない二大個性派キャラクターが登場する。北方氏自身、最も好きなキャラクターと言っているキドニーと藤木だ。キドニーは本作でいきなり川中と仲間割れするが、結果的にこのことで2作目以降でキャラクターが生き生きとしてきたような気がする。藤木は本作ではひたすら死にたがっている男、という印象があるが、最後にM重工の所長秘書とデキていたあたりでは、ほんの少し、人間味が顔を出す。
 ラストの「硝煙反応くらい、残しておくのが親切ってものだ」は、北方氏得意の名台詞である。これだけ死人が出ると、もはや感覚も麻痺しそうになってくる。

 BDシリーズの筆頭としてもはや揺るぐことのない地位を確固とした作品だが、人間・川中良一を中心にくりひろげられる、正統派冒険小説として、シリーズ2作目以降を待たなくても大いに評価されていい傑作だといえるだろう。


碑銘(1986年5月単行本・1987年2月文庫化)


シリーズ2作目にして、いきなり超人化する川中社長…

 港町N市――市長を巻きこんだ抗争から二年半が経過した。
 生き残った酒場の経営者と支配人、敵側にまわった弁護士の間に、
 あらたな火種が燃えはじめた。
 そこに流れついた若い男。檻の中で過ごした二年間が男の胸に
 静かな殺意を抱かせていた。

 この文庫版裏表紙の文は、ちょっと違うような気がするが…。

 さて、本作は、「俺」という一人称で語る坂井直司が主人公である。物語を読み進めていくとすぐわかるのだが、坂井は、川中と藤木を殺すことを請け負った鉄砲玉である。しかし、BDシリーズの読者であれば誰しも、この2人を200万円で殺すとは、まるで割に合わない仕事と思うだろう。私は世界中の金をもらってもいやだ。

 さて、この作品の最大のハイライトは、第14節「借り」だと私は思う。川中と坂井の一騎打ちだ。北方HBでも屈指の名勝負である。勝負の詳細は、名勝負数え唄のコーナーを参照してもらうとして、ここでは若干解説をしよう。この物語が坂井の視点で描かれている以上、坂井の腕はものすごいという印象を受けるし、格闘シーンでも、あと一歩まで川中を追いつめたかのように見える。しかし、何度もこの物語を繰り返して読めば読むほど、実はこの勝負はすでに前哨戦の舌戦でついているとしか思えない。川中の貫禄に坂井が呑まれているのだ。川中の笑いにかっと頭に血が昇り、きわめつけは「ジン・トニック」連発から「俺は、終わってからジン・トニックを飲ろうと思ってる」という、本作最高のきめ台詞である。こんな台詞が吐けるのは川中以外いない!ここで坂井はまたかっとするが、実はすでにこの時点で呑まれているのである。そして、格闘でも―坂井は着々と勝利に向かっていると錯覚しているが―まるで格が違う。ちょうどプロレスラー対空手家で、タフさを誇示し、見せ場を作ってから相手を仕留めにいっているかのような川中のたたかいぶりである。最後は悠々たるものだ。
 このあたり、第1作と別人のような川中の超人ぶりである。

 ここで命の「借り」を作った坂井は、後半でどんどん川中一門の人間になっていく。じつは、これ以前に、初めはいやいやついていきながらいつしか熱中してしまう(すぐムキになる男・坂井丸出し!)釣りなど、溶け込んでいくうちに、ブラディ・ドールの面々を、どうしようもなく好きになっているのであるが。そして藤木に連れられ、派手な立ちまわりを演じるうちに、藤木の怖さとなんとも言えない味を知り、惹かれていく。
 最後は冒頭登場してブラディ・ドールで信用を得ていた栗原が実は刺客で、藤木を刺す。本人の「死なないような気がする」で、多分死なないとはわかるが、結果は最後まで描かれず、また、題名からして、なんか不吉な感じがしてしまった。
 


肉迫(1987年1月単行本・1990年3月文庫化)


万葉集にちなむ2人の美女

 どうでもいい話からはじめるが、この作品は、シリーズで異色の2部構成となっている(正確には「2章構成」)。他の作品は、章はなく、算用数字で小さく節が記されているだけである。この方がやはりBDシリーズらしいが。

 第1章「キーラーゴの男」は、主人公・秋山の復讐劇である。で、じつは最初読んだとき、ちょっとあっけない印象を持ったのである。まだ本の半分くらいだったこともあるのだろうが、あまりに敵が他愛なさすぎるのだ。
 第2章「狼の血」は、秋山の一人娘・安見が誘拐されることから始まる。シリーズ最初の安見誘拐事件である。彼女は、BDシリーズで、じつに3回も誘拐されている。ダントツの“BD誘拐王”だ。
 読み進むうちに、安見誘拐事件の根が、実はフロリダでの事件につながっていることがわかる。そして、真の敵が見えてきて、第1章では外野で見物を決め込んでいた川中たちが秋山を助けるという展開になる。BD一門得意の川中死んだふり作戦が見事に決まり、安見は助け出される。しかし「無事」とはいかない。安見救出後、秋山にむかって藤木が、「左手ですよ。やつの。私が切り落としました」「右手は、勘弁してやってください」などと言って、不気味な味を出している。その一方で、川中に対し、「そういう社長じゃなかったら、私はとうに消えてたでしょう」などと照れそうなことを言ってみたり、このあたり少しずつ心を開いてきたような感じだ。

 さて、この作品のなかでとくにあげておきたいのが、安見とならんで万葉集にちなんだ名前の、もう一人の女・菜摘だ(と、偉そうに言うが、万葉集のどこにちなんだのかは、私は無論知らない)。第1章からすでに秋山とは恋仲になるのだが、圧巻は、脚を負傷した(なぜ負傷したかはあえて書かない。読んでない人は読んでのお楽しみ)秋山を助手席に乗せて安見救出に向かうシーンである。とにかく、飛ばす、飛ばす。そして、いきなりの愛の告白…。秋山、完全に圧倒されている。それでいて、現場に到着するやぐったりと突っ伏してしまう可愛さも兼ね備えている。地味なキャラだけど、実際にいたら、いい女だろうな、と思う。

 もちろん、(1作ごとの主人公とは別に)BDシリーズ全体を通しての主人公・川中も生き生きと描かれている。安見救出前の秋山の気を紛らそうとする冗談や、「レナ」売却時の価格交渉など、心憎いばかりだ。

 主人公秋山は、この後、本作のような派手な暴れ方はできなくなる。N市一番の高級ホテルである、「ホテル・キーラーゴ」の社長になってしまうのだ。上品さを要求される職業である。いくらなんでも、ハードボイルドするのは無理というものだろう。補助的に川中たちをサポートするのが精一杯の完全脇役になってしまうのである。その意味では、主人公として登場してから、次の作品以降でも存分に暴れまわる他のキャラに比べて、かわいそうな気もする。
 


秋霜(1987年8月単行本・1990年10月文庫化)


永遠の名台詞―「私がいる」

 初老の画家・遠山一明が主人公である。有名な画家という設定になっているが、ハードボイルドの主人公という柄ではない。しかし、読み進んでいくうちに、どんどん骨のある男になっていく。無論、殴り合いの強さはそう変わらないが、精神的に強靭になっていくのである。「心のハードボイルド」といった趣である。
 そして、本作の頂点が、永遠の名セリフ・「私がいる」である。こんなセリフ、どう考えても実際に吐けるものではない。遠山が言うからこそ、さまになるのである。その前段の、断崖をよじ登るところも秀逸である。この行動自体には、まったく意味がない。川中の発案で女を隠してある場所まで、普通の道を通って行けばなんということもない。実際、遠山が「逢わせてくれ」と言えば、川中は最後は同意しただろう。しかし、断崖をよじ登ってこのセリフを言うことに意味があるのだ。

 本作の「脇役大賞」は、蒲生をあげたい。本当に、生き生きとして、いい味を出している。葉巻をめぐっての土崎との掛け合いは、思わず吹き出したくなるようである。無論、果たした役割も小さくないのだが、キャラクターがそれ以上にいい。

 最後は悲劇的結末に終わる。敵のボスを押さえたと思ったらダミーだったという、BD軍団が使いそうなテにまんまとはまってしまい、遠山が「命ひとつ分だけ、守ろう」と思っていた女(じつは『さらば、荒野』に出てくる内田悦子)が、逆に遠山をかばって命を落とす。
 このくだりについて、文庫版の解説(というかインタビュー)で北方氏がふれているのが面白い。締め切り前夜にカレーパンを食って下痢をして、結末をハッピーエンドにしてしまったというのだ。たしかにハッピーエンドにしちゃったら、しまらないだろう。最初に読んだときはハッピーエンドになるよう願っていたが。

 久々に読み返してみて、印象深かったのが、21節「キドニーの岩」である。『碑銘』以降、川中と敵同士になってしまったといわれているキドニーだが、他のキャラが言うように、どこか深いところでつながっている。それどころか、シリーズ全体を通して彼の行動一つひとつを見ると、どうしても川中をフォローしているとしか思えない。最後は組んでいるようにさえ思えるのである。当事者、とくにキドニーの、相手を敵だという発言がないと、敵対しているなどとはとても見えないのである。それでいて、昔のように仲良くは語り合えない。そんなキドニーの心情の奥にある寂しさが、遠山に向かって語られる。キドニーの岩に腰を降ろしながら、「ひとりだけこの海を見せてやりたいと思った男がいる」と…。やはりキドニーは、川中との距離を縮めたいと思っているのだ。
 ブラディ・ドールを語る上で欠かせない、よりさんのHP「金魚屋一見堂」の、アンケート企画の中で「BDシリーズは、10作を通しての、川中とキドニーの仲直りの物語である」といった趣旨のことを言った人がいるが、じつにいい得て妙である。



黒銹(1988年4月単行本・1991年3月文庫化)

ちょっとキャラ過剰気味になってきたかな…

 今度の主人公は殺し屋である。超現実的な職業であるが、やはりハードボイルドにはぴったりくる。

 殺し屋というと、当然川中・藤木がターゲットかと連想するが、叶本人の語り口から、明らかに違うことがわかる。ただ、藤木あたりは当然警戒している。本作からシリーズで重要な役を務めるピアニスト・沢村明敏も登場するが、藤木は、叶が彼を狙っているという疑いも持つ。もっとも、これは、叶が沢村を尾行したためなので当然のことだが(叶の側にも、沢村を尾行る理由はある)。
 叶のこだわりは、道具が最も印象的である。SWのM48。貫通力を重視した、22口径である。当然殺傷力には劣り、急所に命中させないと仕事は果たせない。ましてや、標的がただ者ではない仕事の方が圧倒的に多いわけだから、相手が大口径でも持っていようものなら、失敗は即自分の死を意味することになる。絶対の自信がないと到底使えない銃である。これが叶の凄みを増幅している。また、ナイフも刃渡りが短いものを愛用する。そして殺しに対する人生哲学のようなものがまたいい。いわく、「相手の人生の幕をひく。それが俺の仕事だ」というわけだ。キドニーは、勝手な論理だと決めつけるが、叶も「生きてるってことが、勝手なことなのさ。その終わりも、やはり勝手な論理で決められる」と、負けていない。

 印象的なシーンでは、まず釣りのシーンがある。魚との格闘シーンといってもいいだろう。闘っているのは沢村である。2節にまたがる激闘で、居合わせた女が何度も「やめさせて」と言ってしまうほどの迫力だ。男が、一度はじめた勝負をやめるはずがない。最後は勝利寸前まで行きながら、大逆転で文字どおり大魚を逸する。土崎が好きなヘミングウェイの『老人と海』を読んだことがなくても、連想してしまうシーンである。
 あとは、「惚れた女がやりたいと思うことを、やらせてやりたい」の場面であろう。沢村明敏、2度目の男の見せ所である。さすがの叶も、引き金をひけない。沢村は、初登場でも脇役で、次作以降ではBGM係のようなキャラになりさがってしまう(でも重要な役どころである)にもかかわらず、おいしいところを2度も持っていっている。本作の準主人公といっていいだろう。
 ラストは…。北方HB得意の皮肉をこめた結末である。これはここでは書けない。

 さて、この作品でまたまた登場人物が増えた。それも、叶だけでなく、沢村明敏や、不思議な女医・大崎ひろ子など、重要な地位を占める脇役陣が加わった。坂井・秋山・遠山といった主人公経験者がすっかり定着していることもあり、必ず全員に1回は見せ場を作る前提で考えれば、ちょっとキャラ過剰気味になってきた感がないでもない。しかし、そこは非情の男(?)・北方謙三、次作で思いきった整理を断行するのである。


黙約(1989年4月単行本・1992年3月文庫化)

主人公になれない宿命の男・藤木年男

 まず、個人的な思いを一言。
 本作の事実上の主人公は、藤木年男である。
 なぜか。
 ドク(桜内医師)の語りで展開する本作であるが、実は、これは、藤木らの男の生きざまをより鮮やかにするための設定なのだ。本作をよく読み返すとそういう結論になる。本作は、藤木の人生の幕のひき方を語った「藤木伝説」である。

 しかし、そうは言っても、桜内もなかなかのものである。外科医の技量としては、遠山の右手を魔法のように治してしまったり、非凡なものをみせつける。まさに「BDのブラックジャック」の面目躍如である。そして、本作から登場する、「BDの女王様」山根知子が形容するように、「砂糖菓子のように崩れていく」生きざまも、ハードボイルドそのものである。圧巻は、何といっても、拳銃で撃たれた脚を自分で手術してしまうという離れ業だろう。本作で藤木が死んだため、脇役に食われてしまうという悲劇はあったが、桜内は充分にBDシリーズの1幕の主人公の資格がある男なのである。

 さて、藤木に話を戻そう。脇差しを使う日本刀のプロ・大貫との立ち合いなど、戦闘における彼の凄みも充分に発揮されているが、なにより圧倒されるのは、高村に対する行動である。死にかかった高村をドクに頼んで助け、さらに彼の仕事を後ろから支えるようなことすらする。藤木が川中以外の男に対してこれほどの思い入れを見せるのは珍しい。しかし、その思い入れの正体をラストで知って、読者は愕然とする。高村は、藤木が東京で起こした「親兄弟殺し」にかかわる組織の人間であり、2人は出会えば必ず殺し合う運命だったのだ。つまり、藤木は、殺し合うために高村を助けたのだ!
 最後も泣かせる。お互いに腹を刺し合い、藤木は定石どおり抉って突き上げた。しかし、高村は刺しただけで手を放した。これが拳銃ならば、まるで「老犬シリーズ」の『風葬』だ。しかし、刃物ならば生き残った方にも対抗手段はある。藤木は、匕首を抜かなければ助かったにもかかわらず、匕首を高村に返そうとする。そのため、ドクたちが駆けつけたときにはすでに手遅れになっている。坂井の「なんでだよ。なんでなんだ」の呟き――。川中を前にしての「やっぱり、会いたかったです」「いい思い、しました」は涙なしでは読めない名場面である。
 BDシリーズの脇役としての存在があまりにも大きすぎて、藤木とキドニーは絶対に主人公になれない宿命にある。しかし、繰り返していうが、本作の事実上の主人公は、藤木年男である。


残照(1990年1月単行本・1992年12月文庫化)

ブロンズパンチ・下村敬登場

 「藤木ショック」さめやらぬBDシリーズ、今後の展開はいかに、というところである。藤木の後継は当然坂井、となるところだろうが、いかにも若い。しかも、坂井はすでに、坂井でなくては果たし得ない役割も持ち、独自のキャラとして一人歩きをはじめている。藤木の代わり、ということにはなりようがないのだ。
 そこでニューヒーロー・下村敬の登場である。無論、次作以降も、藤木の代わりではなく、あくまで下村として活躍するのであるが、坂井と2人で、藤木の穴を埋めるという形になっている。

 さて、冒頭、下村がN市にやってきた経過が語られるが、自分の前から突然消えた女を追いかけてきたという、HBの設定としてはなんとも情けないものになっている。しかし、実は、彼は女に未練を持っているとかそういうのではなく、自分の生きざま、男であることを確かめるためのきっかけを求めていたのだ。そして、本来恋敵の関係にある、ガンに冒された医師・沖田に知らず知らずのうちに惹かれていく。
 下村は、自らを事件の渦中におき標的になり、敵に拉致され、左手を失う。次作以降「ブロンズパンチ」をひっさげるゆえんである。BD軍団による下村救出シーンがまた派手である。いきなり川中社長自ら、フォークリフトで倉庫に突っ込むという荒業を敢行する。キレたら本当に怖いオジサンだ。そして、あの名場面、「俺の天使」である。死ぬと天使が体を持ち上げる、という、北方氏独特の表現であるが、下村は実は死んではいない。坂井が実際に下村を持ち上げるわけだが、下村はそれを錯覚する。そこで、坂井を「俺の天使」というわけだが、この呼び方をめぐってのやりとりが面白い。初対決で引き分けに終わった坂井vs下村だが、口では下村の勝ちのようだ。

 沖田医師も、準主役として申し分ない働きをしている。抗ガン剤を打つことを、「癌という動物に餌をやっているようなもの」というのは、じつは北方氏独特の論理である。一見わかりにくいが、続く、「宿した人間が死ねば、癌も確実に死ぬ」というセリフで意味がわかる。最後の、死にに行く展開も見事である。

 脇を固めるキャラクターも、存分に味を発揮している。
 本作で叶が命を落とすが、末期癌の沖田をかばって撃たれるのだ。放っておいてもいずれ遠からず死ぬ人間をかばって死ぬなど、とても殺し屋がすることではない。「先生は、もう一度輝けます」が、じつに泣かせるセリフである。最後まで、川中たちに憎まれ口をたたき、「俺は沈黙のもたらすものに耐えられない」という名セリフを吐きながら死んで行く。
 本作でもっとも輝いたのが「血が好きな看護婦」・山根知子だろう。初登場の前作よりも、キャラクターが出ているような気がする。文庫275ページ最終行の「セルを回す音がした」というさりげない表現が著者会心の描写だろう。1回目はつい見過ごしてしまうが、重要な記述である。読者ももちろん、だれもことの重大さに気がつかない。爆弾を持ってまりこと車で外出した沖田を、止めずに見送った山根知子の姿が、じつに生き生きしている。「男が何かを決心したとき、あたし止めたことがないの」―これが彼女のキャラクターを見事にあらわす名セリフである。坂井に言わせると、「死にに行く男を止められない女」である。炎上する車を前にしての、下村の「なぜなんだ、ちくしょう」、もう、BDシリーズでは定番とも言っていいセリフである。

 物語の最後から2ページ目で、ついに敵の大ボス・大河内代議士が登場する。ようやく見えた悪の親玉である。次作以降の展開が期待される終わり方である。


鳥影(1990年12月単行本・1993年1月文庫化)

著者のシニカルな人生観を表すような結末

 シリーズ8、9作目の本作と次の『聖域』は、完結作を前にして「ちょっと一休み」的な印象がある。もちろん凡作というわけではないし、大河内の全貌が明らかになるという、連続性ももったものなのだが、いかんせん、前作までで舞台・キャストはすでに整っている。本作および『聖域』の主人公は、『ふたたびの…』で活躍する余地はあまりない運命にあった。つまり、主人公にフォーカスを当てると、BDシリーズではありながら、独立性が極めて強いのである。

 主人公・立野は、離婚した妻・和子の助けを求める声に応じて、N市にやってくる。和子は立野との間の息子・太一を養育しているが、立野がやってきたのは、和子のためでも太一のためでもない。どう見ても、自分のなくしたものを取り戻すために、きっかけを求めてことさらトラブルの臭いを求めてきたとしか思えない。
 山での遭難をきっかけに「白けた」という過去も、北方HBとしてはよくあるパターンである(もっとも、私の知る限りでは『逢うには、遠すぎる』くらいのものであるが)。最後に息子を救出し、命懸けで山を降りるシーンも、『さらば、荒野』を思わせるものがある。舞台は海だが、子供とのサバイバルというシチュエーションでは『友よ、静かに瞑れ』を連想する。
 いろいろな北方HBのエッセンスが詰め込まれた内容だが、やはり独特な要素もある。なんといってもラストで子供が死ぬところだろう。命懸けで救出し、難行を成し遂げ、主人公が息子の心を開かせたその次の瞬間に、「キーロック爆弾」である。ここに私は、北方氏のシニカルな人生観を見るような気がするがどうだろうか。

 BD軍団も、まったく色褪せてはいない。またしてもキレた川中が、なんと、単身、大河内を殺しに行ってしまうのだ。幸い、大河内は東京に逃げた後で、ことなきを得る。もっとも、川中vs大河内の直接対決もお預けになり、読者としてはちょっと残念な気もするが、顔を合わせたら川中は確実に殺人犯だから(川中が返り討ちに遭うことなど、だれも考えもしない)、下村がほっとするのも無理はない。
 なお、本作で、安見が2度目の誘拐に遭う。N市は、この娘にとって、つくづく災難な町だ。


聖域(1991年7月単行本・1993年3月文庫化)

「臆病者」が男になった瞬間に…

 前作のところで書いたが、本作の主人公・西尾もシリーズの中で独立性が強いキャラである。『鳥影』の立野は、『ふたたびの…』にちょっと登場するからまだしも、なにしろ西尾は、本作で死んでしまうのである。BDシリーズで唯一の、主人公の死亡である。ワンマッチ・ファイターである。

 西尾の職業は高校教師である。しかも、体育でなく日本史の。そして、「臆病なんですよ、俺は。自分でも情けなくなる…」と呟く。およそハードボイルドの主人公ではない。最初に持っているHB主人公の資格といえば、車の運転が人並み外れてうまいということくらいだろう。川中にドリフトをさせ、坂井にライバル意識を燃やさせるほどだ。ここでも坂井の、すぐにムキになる性格が表れていて面白い。
 西尾は、やられやられていくうちに、次第に「男だ」という意識に燃えはじめ、「守らなければならないもの」を自分なりに持ちはじめる。殴られても殴られても、屈しない。物語中盤では、すでにそういうキャラになっている。これだけでも、HBの資格はすでにあると言っていい。あとは格闘で勝つだけだ。
 そして、西尾は、最後に敵のボス・金山と殴り合い、勝つ。生まれて初めての殴り合い、かつ、暴力団のボスとの一騎打ちでの勝利である。「起きろ。俺がやっつけた金山を見てみろ」―西尾先生、得意の絶頂である。どう見ても殴り合いでは教師など敵ではない“稲妻ステップ”の高岸に対しても、「今度、おまえの殴り合いの先生をしてやる」である。なんと単純なキャラクターであろう。銃弾を食らっても、「ふん。俺は、金山に勝った」である。「臆病者」が、男になれたことを自覚した次の瞬間の悲劇であり、ここにも北方氏のシニカルさが現れているような気がしてならない。

 BD軍団の活躍でみるべきは、本作ではなんといっても川中vs高岸の格闘シーンであろう。「その坊主を放せ。…ぶちのめしてやる」以下、坂井もあきれて「おまえ、今から殴り殺されるぞ」となってゴングとなるわけだが、文字どおり「ぶちのめす」という言葉がぴったりの格闘である。高岸も当然反撃するが、川中の壁は厚く、最後は白目をむいてKOだ。川中も次の瞬間ダウンするが、「沖田蒲生記念病院」に運ばれた後、「最後は気力の差」と笑う坂井に対して、「お前の眼も、ふし穴だ、坂井。俺は病院まで歩くのが面倒だったんで、気絶したふりをしたんだ。おまえひとりぐらい、相手にできる体力は残ってた」と言い返している。BD軍団では一番おいしいところを持っていっている。さすが社長!もともと主役キャラだが、本作では川中に「脇役大賞」を与えたい。キドニーの「ランニングシャツ」も大ヒットだが…。


ふたたびの、荒野(1992年1月単行本・1993年6月文庫化)

決着はやはりあの場所で…

 冬が海からやって来る。
 毎年それを眺めているのが好きだった。鈍く輝きはじめた海を見て、
 私は逝ってしまった男たちを想い出す。
 ケンタッキー・バーボンで喉を灼く。だが、心のひりつきまでは消
 しはしない。
 いま私にできることは、この闘いに終止符を打つことだ。
 張り裂かれるような想いを胸に、川中良一の最後の闘いが始まる。
 

 ついにシリーズ完結である。川中良一最後の闘いである。いよいよ宿敵・大河内との完全決着だ。これまでのストーリー展開から、当然そうなる。
 ここまでに川中は、多くの仲間と会い、また、多くのものを失った。その想いが、文庫版裏表紙の上記の文に集約されている。本作では、秋山までもが死ぬ。私は、彼だけは家族構成から言っても、著者といえども殺してはならないキャラだと思っていただけに、ちょっとショックだった。

 川中はここで人生3度目、BDシリーズでは2度目の恋愛をする。相手は小山明子。初対面のとき川中が何かを思い出したというのだから、タイプとしては『さらば、荒野』の美津子タイプだろう。必死に恋愛感情を持つまいとする川中、それが克服されると、今度は明子がなかなか心を開かない。いや、明らかに川中に惹かれているのだが、頑なに「私にはその資格がない」として、抱かれることを拒むのである。しかし必然的に、それもやがて克服され、「らしくない」ながらも、川中が幸福に向かっていく、という展開になる。明子との関係の象徴が、「コルドン・ペコ」である。紅茶に詳しい明子が淹れる川中専用のブレンドで、グラン・キームンのフラワリー・オレンジ・ペコ(そういわれても私にはわからない。紅茶の葉の種類のことだろう)とマーテルの、ハーフ・アンド・ハーフである。明子が誘拐されてから、川中は何度もこの「コルドン・ペコ」が飲みたくなる。しかし、やがて川中は、これを一生飲めなくなる。
 明子が誘拐され、同時に安見もBDシリーズ3度目の誘拐に遭う。安見は下村の決死の突入で救出されるが、代わりに下村が、今度は手だけでは済まず命を失う。川中と坂井に見守られながら死んで行く下村と、その直後の坂井の言葉がじつに泣かせる。「川中と坂井に逢えたからツイている」…いかにも下村が思いそうだ。すぐ後に「レナ」でかわされる川中と坂井の物騒な会話に激昂して「映画を観てるんじゃないのよ。…野蛮さを、まとめて海にでも捨ててくるといいわ」と罵る安見に菜摘が「母親ビンタ」を食らわすところはなかなかの名場面である。キドニーは言っていいことと悪いことがあると指摘した上で、自分の透析に安見を立ち会わせ、そうまでして生きる姿を安見に見せる。ちょっとクサい気もするが、安見はすっかり感動してしまう。キドニーもなかなかおいしいところを持っていくものである。
 結局、川中たちは明子を救出することができず、哀れ明子は、「主人公と恋愛した女」の法則に従い命を落とす。川中の、「虫が良すぎたよな」という呟きが、なんとも痛ましい。苦い自嘲で自らをボロボロにしながら、川中は血に飢えた狼になっていく。そんな彼を追った殺し屋は、愚かであり不運だとしか言いようがない。しかも銃も持たず武器が刃物だけだというのだから、結果は見えている。当然サンドバックだ。見ていた高岸が思わずびびってしまうほどだ。キレた川中は、本当に怖い。

 最後のシーンで、ついにキドニーとの「黄金コンビ」が復活する。しかも銃撃戦だ。焦点になっている土地の権利証をすべて持ってキドニーが消える。事前に知らせもせず、ひとりで大河内と対決しに行ったのだ。川中のカンが働かなければキドニーは犬死にである。キドニーは、賭けることで川中との心のつながりを確かめたのだ。キドニーは、川中を待っていたのだ。本当に、素直じゃないぞ、キドニー…!
 しかし、これはキドニーの危機であると同時に、大河内をほとんど裸同然で引き出す千載一遇の機会でもある。というか、キドニーの捨て身の行動が、大河内を倒す絶好の機会を生んだのである。舞台はもちろん、浜岡砂丘。『さらば、荒野』の決着戦の舞台となったところである。やはりシリーズのラストを飾るのは、ここがふさわしい。現場に急行すれば、もちろん大河内は川中の敵ではない。間に合うかどうかが、川中の闘いだった。坂井が止めるのも聞かず、川中は高岸に車を飛ばさせる。そしてシトロエンCXパラス。ぎりぎり、川中は間に合った。大河内の身体に全弾を打ち込むところは、思わず「やった!」と飛び上がりたくなる場面である。しかしその後でも、「俺たちが、生き続けなきゃならんというだけの話だな」と、あくまで川中はクールである。「なにも、終わってはいなかった」格好いい、カッコよすぎる、シリーズの完結である。

 個人的には、まだまだ川中の活躍が見たい。しかし、ここでいったん、区切りをつけておかないとやはりまずいんだろうとも思う。月並みな言い方であり、繰り返しになるが、やはり川中良一は、不滅のヒーローである。



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